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016 準備(前)

 パチン、パチン。

 雨上がりの爽やかな朝に、音が抜けていく。

 ここまでの地面はぬかるんでいたが、水路際の共同の水場周りは無骨ながらも石床造りになっていた。

 それはそうだろう。水仕事をすれば水もこぼれる。毎度、ぬかるみの中で作業をするのは余計な気も使うし非効率だ。

 干された洗濯物も柔らかな風になびいている。

 が今、3人は無言だ。

 水浴びの時は、きゃっきゃっとあんなに楽しそうだったのに……。

 卓に付属した長椅子には緊張感が漂っていた。

 そこではラザロが二人羽織のように弟くんの背中に覆いかぶさって作業している。

「もじもじするのは我慢な。白い部分を少し残すのが難しいんだ」

 パチン、パチン。

 手の爪を押して、白からピンク色にすぐに血が返るのを見ると安心するとともに、ラザロは幼児たちに爪切りを宣言した。

 爪が伸びていたり、爪先が乱れていたりすると、爪が割れたり剥がれたり碌なことにはならない。

 が、幼児の爪を切るなんてことは経験したことがない。ネイリストのように向かい合って作業するなんて到底無理で、自分の爪を切るように抱え込むしかなかった。

 深爪にならないように注意しながら慎重に作業を進めなければ!その緊張感はされる側にも見てる側にも伝わる。

「ふぅー、終わった。お疲れさん」

 元気な弟くんがぐったりしている。卓上に抱え上げて、今度はねいちゃに「おいで」と手を伸ばしたら身体ごと退かれた。

 しかし、魔王の手からは逃げられない。(卓もそこまで大きくないし)


      ◇


 作業所に移動して、背負える巾着袋ナップザックの肩帯などの採寸を済ませて、姉弟は解放された。

 トテテテーと村内の探検に出かけて行く。元気に走り回る顔は真剣かつ笑顔である。こちらもつられて笑顔になってしまう。そのまま、体力を取り戻して欲しい。

 ラザロも肩帯となる革に縫合のためのポンチ穴を空けたら、残りの作業は夜に回す。

 作業所と隣接した鍛冶場で使えそうな物を見繕ったら、再び、水路際の共同の水場に戻る。


 と言っても、昨日に引き続き、燻製作りに勤しむためではない。猪肉は塊で残っているが……。

 手を付けていない課題(タスク)はいくらでも思いつくが、ここに留まる期間が長くなれば様々な利を失うことになる。例えば、情報の風化などが最たるものになる。

 未検討・未実施の課題はこなしながら、幼児たちの復権(失った物者(ものもの)の回復)のために、先を見据えた行動に移らざるを得ない。


 1.移動手段の確立

 2.摩法の習熟


 何故、2.が1.と同列に挙げられているのか。

 ラザロは幼児たちを村に戻し、親元に返そうと考えている。

 が、そこで思う。果たして、元の村の主犯やその関係者が幼児やその両親に行った所業を認めるのだろうか。

 幼児たちと一緒に戻って、相手の所業を問いただせば、反省の弁も幼児の居場所も得られて……と考えられる者は、よほど幸せな(世間とは隔絶された)人生を歩いてこれたのだろう。

 指示に従っただけだ。そんなことになっているとは知らなかった。あれよこれよと言い訳をするならばマシな方で、()ったことをまったく認めない場合だってあるだろう。

 それもそうだ。相手は幼児と金銭(カネ)地縁(コネ)手段(ツテ)もない普通(ただ)のおっさんなのだ。真面に相手をする必要性も感じないかも知れない。

 交渉をするにも、決まった内容を守らせるにも、その背景には何某かの力が必要だ。

 黄門さまにヘヘェーと頭を下げるのは、殴る蹴るで押さえつけられた上に、権力の象徴を見せつけられるからだ。相手がそこらの隠居だったら、去った後にふざけるなジジイとすぐに復活するに違いない。

 ラザロが選んだのは、身を護る手段と言えば体裁は良いが、話を明確にすれば暴力を背景にした交渉だ。

 金銭(カネ)地縁(コネ)手段(ツテ)も準備するのは簡単ではない。時間も要するのもお分かり頂けるだろう。

 若くして早世した(いにしえ)天才(パスカル)も言っている。

『力なき正義は無力なり。正義なき力は暴力である』

 正義という言葉には問題があるが、それはこの際には置いておいて、力を持たない交渉は成立することも守られることもないことを知るべきだ。

 もっとも、次案として、より上位の権力者に恐れながらと訴える手法も考えられるが、それも例の書簡を見た感じではいろいろと障壁が有りそうだ。


 丸太椅子を傾けてゴロゴロと回転させて行く先を制御するのに苦慮しながら、水辺に位置どった。

 村を見渡したところ、馬車や運搬車の類はない。輓獣(ばんじゅう)(荷車などを牽引する使役動物)もいない。魔獣を手懐(てなず)けて背に乗せて運んでもらえるのは、物語の中の主人公だけだ。


 あっ、火が消えた。


 大八車のようなものでも、あればマシなのだが、作業所には車輪の一つもなかった。素人には(スポーク)でつないだ車輪を作るのは難しい。車軸になりそうな物もなかった。槍の柄なんかで代用できればとも思ったのだが、それも見当たらない。幼児探検隊には武器や刃物の類も探索対象にお願いしているので、結果を待ちたい。


 駄目だな。一握りの火種を気流に乗せても10m先に届かない。


 作れそうなのは、輪切りの丸太を車輪にした乳母車のようなものくらいか。それならいけると思うがどうだろうか。

 しかし、それで“しとしとぴっちゃん”と行く姿は、実行(やる)前から精神的にも肉体的にも辛いだろうと予想できる。(ロナウドヘアーは虐待だと思う)


 三握りした火種は飛距離が20mを超えても、その熱を保っているようだ。落ちた水面にわずかに蒸気が立つ。さらに左で握った方が圧縮率が高いのが、火の色が少し黄味がかっているように見える。

 左で火種を出して、右で気流を操作して、さらには“風の結界”も頭上で回り続けている。一度、意識を固定してしまえば、手で制御しなくとも何とかなりそうだ。もっとも身体も動かしたら、どれもご破算になりそうだと感じる。


 今、行っているのは思考と摩術の切り離しは可能なのかという検証だ。

 動作を伴わないという前提で、左手と右手で起動する摩術と起動済みで固定化した術と合わせて、3種類までなら思考しながら発動できることが分かる。

 但し、摩術を起動する際に思考が途切れるという状況は改善したい。


 コーヒーを飲むという動作において、手を動かして、取っ手を掴んで、口に運んで、嚥下する。と言う手順(プロセス)を思考する者はいないだろう。摩術でも目標を定めただけで一連の動作が処理されるようにしたいと思う。

 そんなに難しいことではない。

 誰だって、音楽を聴きながら、コーヒーを飲んで、プログラムを走らせ、携帯をチェックし、マウスやキーボードを叩いて書類を作成し、煮物の具合を確認し、電話を受けるぐらいのことを同時にしているだろう。


 直径10cmくらいの空気の球を水路に流す。起動したラザロには宙空でもそれが見えるが、空気の球は水面を転がっているのか表面に水滴を巻き込みながら流されていくので誰にでも見えるだろう。不思議さも満載だ。

 それを気流で狙い打つ。予想以上に難しい。薙ぎ払うのならば、百発百中なのだが……。


 おっと、移動手段の思考が止まっていた。


 気付けば、姉弟が目をキラキラさせて見ている。

「ねいちゃとジェイもやってみるか」

 そう言って、二人には小石を渡した。

 ……。

 ヤバい。二人の方が的中率が高いぞ。

 ちょっとズルして、流す球の強度を上げてみる。弟くんが投げた小石を弾いた。はははっ、まだ、君たちには負けんよ。(……大人げない)

 まあ、三人分を合計した数よりも、流れ去って割れる数の方が多いが。


 二人が戻ってきたのは、昼飯の匂いがしたからだろう。

 野菜よりも肉の種類が多いポトフが鍋でぐつぐつと煮立っている。

 レバーで鉄分を補充させねば……アサリ缶はあるが幼児に食べさせても良いのだろうか。


 弟くんとねいちゃが空気の球が流れるのを見送っている。

 何故だろう。構いたくなる表情だ。

 空気の球に煙を巻き込んで、二人の名を呼んで放った。

 大き目のビーチボール(サイズ)だ。

 当然、打ち返されるものと構えて待っていたが、ひょいと跳んで抱えると転がって遊び始めた。

 猫だ。猫がおる。

 予想とは違ったが、これはこれで有りかも知れない。

 が、そこは幼児、重心が上半身にある。

 球を抱え込んで身体が上になった瞬間に、頭からいった。下は石畳である。

 あっ、と思っても、もう遅い。

 弟くんは反射的に首をひねって、肩から落ちて背中をつけて4分の3回転して静止。ウルトラCだ。そこで止まって、きょとんとしたのもつかの間、びっくりしたのか肩が痛かったのか、涙目になる。

「だ、大丈夫か」

 駆け寄って、肩を見たが赤くもなっていない。頭に巻いたタオルバンドが汚れていたので、見た感じでは大丈夫だったが少し打ったのかも知れない。

 一大事にならなくて、ほっとしたのもつかの間、二人の服がびしゃびしゃなのに気付く。

 雨上がりの石畳の上を転がりまわれば、そりゃそうなるだろう。

「洗濯したばかりなのに……」

 崩れ落ちた。

 世の中の親御さんは、こんな苦労を毎日しているのだろうか。


筆者注)

張合いがないね。

張合い(名)② 努力しようとする気持に対して、てごたえがあること。かいがあること。

何故、投稿なんかしているかと言うと、執筆のプラスにしたいからだよね。

ここが面白かった。あれはどうなの?それはそうじゃなくてこうだろ!

みたいな意見が聞ければイイナと思って、投稿なんてしている訳さ。

もちろん、ブックマークつけたり、評価をもらえるだけでも張合いは生まれる。

単純にうれしいし、頑張れよって言ってもらえてる気がするからね。

だけど、何にも声が聞けないなら、投稿する意味あんのかな?

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