013 明日の食
弟くんがペシペシとラザロの頬を叩く。
「ラジャロ―」
心配そうだ。左半身の感覚は相変わらず分からないが、立とうとしたら、右膝の力が抜けた。尻餅をつく。ままならない。
ねいちゃはペシペシと泥猪の背を叩く。
嬉しそうだ。
「良かったな」
姉弟を抱き寄せて、窮地を乗り越え、平静を取り戻したことを確かめる。
病前のように一息で立ち上がることが難しい。手や膝などをついて3点でバランスを取る動作をはさむ必要がある。
脚衣を払う。泥だらけだ。
倒してみると意外と小さく感じた。体長は1mを超えていそうだし、モヒカンヘアでなくなったために外見が小さくなったのも確かだが、それだけ気圧されていたということだろう。
「持ち上がらない……」
だが、その身は重い。さすがに100kgはないと思うが、重量挙げの選手でもない限り、単身で持ち上げられるとは思えない。
ねえちゃがふんぬと泥猪の足を引っ張っているがぴくりともしない。
だが、すでに魔獣に侵入されたこの場所で解体するのは避けるべきだろう。ばらす前に一度、水洗いしたいし。
台車があれば良かったが、無いのはすでに確認済みだ。
よその家の玄関の建具を外して持ってきた。
ちなみに村の玄関扉はどこも引き戸だ。蝶番も必要なし、つっかえ棒が鍵替わりとなるお手軽さ、開き戸にする理由がない。
戸板を背に当てて、足にロープを結んで引っ張れば、ゴロンと戸板に載る。
後はロープを戸板に結びなおして、引っ張る。戸板にあまり角度をつけないのがコツだ。
「うごいちゃ」
やわらかい土壌もあって進める。戸板下に土がたまると抵抗が増えるので、姉弟に掻き出させる。二人は土遊び感覚できゃっきゃと楽しそうだが、ラザロは腰が砕けそうだ。
外畑を抜けると、途端につらくなった。柵内まではと頑張って引いたが、柵の扉を閉めた後に音を上げた。
「ちょっと休憩させて」
水場までが遠い。
が、それを見て思いついた。
釜場の薪置き場から数本を選んで持ってきた。選んだのは、枝部で比較的真っすぐの半割になっていない薪だ。
それを戸板の下に置いて、戸板を引くと転がる。
ゴロ、ゴロ、きゃっきゃ、ゴロ、ゴロ、きゃっきゃ……
建物を解体せずに、別の場所に移動する工法に“曳屋”というものがある。歴史的建造物の維持保存などで稀に使われるが、古くはピラミッドの築造工事にも使われた技術だ。
薪をコロ代わりにした“曳屋”工法を採用させてもらった。
コロの置き換え作業は大変だが、姉弟が楽しんでやっているようなので良しとしよう。ちなみに日本では台座のことを修羅と、従事する人工を修羅送りと呼んだ。
ラザロは水路際の共同の水場に到着して、ほっと一息をつく。
「後は内臓を抜いて、血抜きして、身を流水にさらして、食べられるのは明後日か」
ラザロの台詞にねいちゃがブンブンと首を振る。
「おいしくなくなる」
「しゅぐたべりゅー」
聞けば放置すると有摩味が逃げるし、肉が臭くなるとかで……ほんとかよ、逆だよな。
これから解体作業なんて、やりたくないんだが……だが、それを期待する幼児の目を見て、その台詞を言える者がいるだろうか。
「よし、やるか」
やばい、泥猪と対峙するよりもつらいかも知れない。
水路にロープにつないだ泥猪を落として全身を水洗いする。姉弟もやりたがったが、水深は膝下とは言え、流速は水車を廻せる程度にはあるのだ。危険すぎる。
内臓を抜く。小腸以外を捨てようとしたら、心臓と肝臓も食べると泣かれた。
えーやるよ、やってやんよ。
黙々と解体作業に従事する。
「ラジャロ―」
背中を叩かれるまで呼ばれたのに気づかなかった。
釜戸の側壁に網棚を数枚も差し込んだが、覆いを掛けられないで困っていた。
「なるほど、その壁はそのためにあったのか」
煮炊きする時に邪魔に思っていたのだけれど、燻製用だったのか。
「すごいな、二人とも、燻製のやり方を知ってるのかー」
残念、釜戸の穴を塞がないと……なるほど、この鉄板はそのためにあったのか。てっきり、村祭りで鉄板焼きでもしてるのかと……。この覆いは皮みたいだが、燃えないのだろうか。
って、塩がない!
「塩ってなかったよな……いや、醤油を使うから大丈夫だから、な!」
ガーン!と全身でショックを現す二人をがっかりさせる訳にはいかない。
再起動しない姉弟に呟いてみる。
「そう言えば、お昼ご飯まだだったよな。少し味見してみるか」
「「するー」」
醤油と蜂蜜とチューブ生姜でタレを作り、バラ肉と心臓と肝臓の薄切りを用意した。
姉弟が頑張って載せた網棚を抜いて、鉄板で肉を焼く。
胃を刺激する匂いと脂が弾ける音が暴力的だ。
ハツの味は淡泊だ。コリコリと言うかサクサクしてる食感が良い。レモンが欲しい。
レバーは焼くと血がじゅっと出てくるが血生臭さはなく、ねっとりとした感じだ。焼きよりも煮込みで食べてみたい。
先の二つは塩で食べたいが、カルビは明らかに甘辛タレに合う。ごはんが欲しくなるな。レトルトご飯はあるが……我慢しよう。
後は何と言っても、肉質が柔らかい。熟成期間ゼロなんだが、姉弟の言う通りだったようだ。
「じぇいも、あじみしゅるー」
「じっしょく!」
焼け具合を確認していると、ぴよぴよと姉弟のせっつく声が背を叩く。
「ねいちゃ、おいちいね」
「甘ぁーい」
姉弟の指さしを受けて、鉄板から皿に肉を移す。
いや、いいんだけどさ。二人ともタレカルビばかりを注文するね。ハツとレバーが泣いてるぞ。下処理に手間が掛かったりしてるし、食べると泣いたのは誰だ。
「スープも飲めー」
サイドメニューは、“ほうれん草とたまごのスープ”だ。もちろん、フリーズドライにお湯を注いだだけだ。ラザロはカルダモンの鞘を剥いた種子にお湯を注いで飲んでいる(種は残す。種を噛むと眠気が飛ぶ)。カルダモンの小瓶は備蓄にお薦めだ。スパイスではなく飲料としての目的だが、口も頭もすっきりするし、記憶力が上昇する報告もあったりする。
姉弟に食休みをさせて、ラザロは燻製の下準備を再開する。
醤油と蜂蜜は基本として、チューブ生姜、胡椒、りんご缶で変化をつけるか。
“黒い裂け目”を開いて、文具棚からチャック付収納パックを取り出す。食品用ではないがしようがない。
「ラジャロ―、てちゅだう」
問題は500mlしかない醤油をどれだけ使うかだ。
「じゃあ、二人はリンゴを潰してくれるか」
すりこぎ棒が役に立つ時がきた。まあ、本来の使い方なんだけど。
弟くんに鉢を押さえさせて、ねいちゃにすりこぎ棒でつぶさせて、“すりおろしりんご”に近づけていく。
時折、鉢に指を突っ込んで味見しているが、まあ、いいだろう。途中で確かめても味は変わらないけどな。
ソーセージも作るつもりで、小腸は水路にさらしてある。
3人で食べる分だけあれば良いので、猪肉をすべて残らずに使い切る必要はない。
代用を手に入れるまで、醤油は残しておきたい。
もも肉は塩漬けにしたいが、とりあえずはゴミ袋に入れてチェスト横で保存だな。悪くなるようなら、処分するしかない。
そう思って、袋詰めにしたもも肉を収納しようとしたら、“黒の裂け目”が消えていた。
「きえちゃったの」
ひきつった表情の弟くんが黒の裂け目があった場所で右指を突き出したままに固まっていた。
“薬箱”と頭で思っていても、“黒の裂け目”は現れない。
「薬箱!」
声に出してみても、結果は同じだった。




