百合とBL要素はどうなった?
ところで、エスティアには恐れていることがある。
(ここは『乙女☆プリズム夢の王国』の特典ストーリーの世界。私はその特典ヒロイン。……百合とBL展開はいつ絡んでくる……の……?)
前世ではオタクといえない、ほとんど一般人のアラフォー女性だったミナコは、スマホ版乙女☆プリズム夢の王国を、それはもう戦々恐々としながらプレイしていた。
若い同僚たちから百合とBLが何かを教えられた時点で、もうキャパシティオーバーぎみだった。
かつて夢中でプレイした乙プリの大好きだった登場人物が、女性同士や男性同士の色っぽい展開になるのかどうしよう……と追加要素がいつ出てくるのかとても緊張していた。
ところが、だ。
(なかった。恐れていたほどはなかったのよ、百合もBLとやらも!)
カーティスやセドリックとのお茶会を終え、自室に戻ってきた。
エスティアは数冊のノートを取り出して確認した。前世を思い出してから今日までにまとめた、ミナコのことや乙女ゲームの内容を可能な限り書き出したものだ。
スマホ版に移植されたとき、本編ルートクリア後に百合モードとBLモードが課金購入できた『乙女☆プリズム夢の王国』。
復刻移植そのものがシリーズ三十周年記念だったこともあり、そのイベント感も後押しされて新旧ユーザーを含めて大炎上した。
主にSNSで。ゲームのニュースサイトで。
燃えに燃える様子はゲーム雑誌だけでなく、新聞各社も取り上げ、地上波のテレビニュースでも特集されるほど波乱を引き起こした。
炎上の火種になったのは、リアルタイムでプレイしていた前世のミナコと同年代の女性たちである。
『そもそも、男女の胸キュン恋愛を楽しむ乙女ゲームに百合もBLも不要!』
というのがその主張だ。
まったくもって同感だった。
百合を楽しむなら百合ゲーム、BLならBLゲームでいいじゃないかと。
だが、蓋を開けてみればどうなったか。
リリースされたスマホ版『乙女☆プリズム夢の王国』で課金解放された百合モードもBLモードも、その頃既に周知されていたほど〝それっぽい〟要素はなかったのだ。
それぞれ必要な課金金額は99円。このぐらいなら怖いもの見たさでプレイヤーたちは皆、ふつうに課金した。もちろん前世のミナコも。
何より、スマホ移植記念の完全新作の特典ストーリーは、百合とBLモードに課金し、本編と合わせて全部クリアしないと解放されなかったので。
本編をクリアすると、ゲームのスタート画面に白百合の花のアイコンと一緒に『乙女の秘密モード』の表示が出る。
クリックすると課金で購入できて、百合モードが解放される仕組みだった。
その百合モード『乙女の花園』は、乙女ゲームだった本編を、ダブルヒロインたちとその友人あるいはライバルの令嬢たち女性視点から追い直す内容だった。
ヒロイン以外は攻略対象の婚約者が多い。必然的に、本編では悪役令嬢的な女生徒となっている。
課金の百合もBLも、本編のようなストーリーパートと戦闘パート、日常パートのお決まりルーティンはなく、淡々とクリックだけで進んでいくノベルゲーム仕様になっていた。
選択肢も少なく、あらかじめ決められた本編の王道ルートをなぞるだけ。
前世のミナコもそれを知ってからは、百合やBLを恐れることなく各モードを最初からプレイし直している。
それぞれ本編を補完するエピソードの追加もあったので。
百合モードのタイトルは『乙女の秘密』だ。
ダブルヒロインのメインヒロインで、後にメイン攻略者の王太子と結ばれる金髪ゆるふわ少女ロゼットが、実はサブヒロインの銀髪クール系カタリナに憧れていたことが明かされる。
二人のヒロインは本編ではどちらが聖女認定されるか競い、ラスボスの黒いドラゴンを倒すため、強い浄化の力を持つ聖杯を探す旅に出る。
だが、ロゼットは光の魔力持ちだが平民出身。
カタリナは伯爵令嬢で、元々聖女を輩出する特殊な貴族家のご令嬢。
ロゼットは幼い頃から絵本で読んでいた聖女様のドラゴン退治のおとぎ話が大好きで、学園でその聖女様の末裔カタリナを知って一方的に憧れるのだ。
反面、サブヒロインのカタリナには葛藤がある。
本編では光と闇の魔力以外の全属性の魔力持ちだった彼女は、作中で既に周囲から称賛され地位を確立していた。
だが、聖女の家に生まれながら光の魔力を扱えないことに葛藤を持っている。
だから、平民の特待生として入学してきたロゼットには複雑な感情を抱いていた。
ついつい、淑女のマナーを逸脱してしまうロゼットに対して、友人の令嬢たちと一緒にきつめの口調で注意しては後から後悔してしまうことなどが、『乙女の秘密』では語られていた。
カタリナはエスティアの実母だ。
エスティアの記憶にある母はとても冷静な、名実ともに女伯爵の貫禄を持っていたが、学生時代には悩みも多かったようだ。
ロゼットとカタリナ、攻略対象たちはほとんどが高等部の三年生の設定だった。
年下はお助けキャラのテレンス君が一年生だったぐらい。
『乙女の秘密』では、学年一の才女カタリナが、王太子の世話役だったテレンス君を心配して何かと口を挟んでいる描写がある。
例えば、王家の遠縁だが一子爵令息に過ぎないテレンス君はまだ一年生。
そんな彼が王太子の世話役、小姓的な仕事までやっていては、学生本来の勉学が疎かになる。
世話役を辞退して同級生たちとの交流に集中したほうがいい、とカタリナはたびたびテレンス君を説得していた。
その光景を見てロゼットが焼き餅を焼いて、カタリナが向かう前に先回りしてテレンス君にお菓子をあげては仲良くなっていく。
やがてテレンスはロゼットに懐いて、注意や忠告ばかりのカタリナを鬱陶しがるようになるのだ。
(お母様とお父様の仲が悪い原因のひとつは、学生時代のロゼット様の行動なのよね。最終的にロゼット様は王太子と結ばれて、今はこの国の王妃になったけど)
カタリナに何度も注意や説得を受けても、テレンス君は困ったように断るだけだった。
その困り顔がこれまた天使なのである。
『もう~! カタリナ様は僕のママじゃないでしょ! お説教なんかいりません!』
(新規イラスト追加、ありがとうございます!)
モリスン子爵家の令息だったテレンス君の父親はマーリンという魔法騎士団の団長である。
比類なき天才魔法使いだった父親はマッドサイエンティスト的な人物で、魔法研究のためなら平気で私財を売り払い、借金する男だった。
テレンス君は父親の借金を王家に肩代わりしてもらう代わりに、学園で王太子のお世話をすることになった設定のキャラだ。
これは本編でも語られている。
彼自身も魔法使いなのだが、まだ一年生だから大した魔法は使えず、本編ではプレイヤーのお助けキャラに留まっていた。
実際はテレンス君には王都の学園は専門分野が違いすぎて、本当なら領地で自分も父親の研究の手伝いをしたかったのだと、寂しそうに笑うシーンがある。
父親のマーリンは賢者の石という万能薬の研究をしていた。テレンス君もその研究がしたい子だったのだ。
学生時代、テレンス君はまだ小柄で、三年生のカタリナの方が背が高い。
そんなカタリナが、故郷が恋しくて泣いているテレンス君の前に跪いて、自分が刺繍を刺したハンカチで涙を拭うシーンなど、思わず歓声をあげてしまうほどだった。
(あれはとても美味しい場面でした……胸が高なる光景だったわ)
で、そんな光景を目撃したロゼットが、ずるいわずるいわと部屋に戻っては悔しがるシーンがコミカルに繰り返されるのが、百合モード『乙女の秘密』だった。
百合モードとはいったい何だったのか。
最終的にダブルヒロインのロゼットとカタリナは、攻略対象の男子生徒たちと一緒に、世界を覆い始めた瘴気を祓う聖杯を探す旅に出る。
瘴気の発生源である邪悪な黒いドラゴンを、ヒロインと、ヒロインが選んだ攻略対象の真実の愛が聖杯を活性化させて浄化し、ゲームクリアだ。
本編では金髪ゆるふわヒロインのロゼットと、王太子アーサーが真実の愛のベストカップルとして聖杯に認められる。
この旅に必要なポーション類はお助けキャラのテレンス君から購入できる。
購入時、『照れ照れテレンスの確変パズルゲーム』で当たりを引くと最大九割引きでポーションやアイテム類が買えた。
同じく課金で解放されるBLモードはスタート画面で赤い薔薇のアイコンに、タイトルは『王太子の思惑』。
赤薔薇は乙女ゲームの舞台であるプリズム王国の王家の象徴でもある。
本編のメイン攻略対象、アーサー王太子視点のノベルゲームとなっている。
登場人物の名前や世界観の設定でわかるように、『乙女☆プリズム夢の王国』はイギリスの騎士道物語のアーサー王伝説がベースになっている。
(ただし、そのわりに細かいところで設定が甘いのよね)
例えば、アーサー王伝説を知っていれば、ランスロットというキャラが登場したら「こいつは主君の婚約者を奪うよな」とすぐピンと来る。
オマージュ元の原典だとランスロットは忠誠心の高い騎士だが、アーサー王の妃ギネヴィアを奪って逃走する寝取り男なのだ。
けれどゲーム本編の攻略対象ランスロットはふつうにアーサー王太子の友人だし、ギネヴィアは奪われるのではなく最初からランスロットの婚約者だ。
だが、彼はヒロインのロゼットに心酔して婚約者のギネヴィアを捨ててしまう。
このギネヴィアは本編では隣国カルダーナの王女で、婚約破棄は大問題となる。
彼女は婚約破棄後は生涯独身を貫くが、父の庶子である異母弟セドリックをとても大事に可愛がっている。
というのが特典ストーリーでの設定だが、実際はギネヴィア本人の不貞の子だ。ただし元婚約者との。
ランスロットに一方的に婚約破棄されても諦めきれなかったギネヴィアは、魔女に秘薬を授けられて一晩だけランスロットを自分の思いのままにできた。
その夜に結ばれた二人の息子が隣国カルダーナの王弟セドリック。エスティアの本命である。
BLモード『王太子の思惑』では、このようなアーサー王太子の側近たちの出来事が、彼視点で語られている。
建前ではイフストーリーとなっているが、百合モードと同じで本編の番外編の位置付けだろう。
また、本編ではロゼットと少しずつ関係を深めて真実の愛を実らせた金髪青目の美形テンプレ王子様だった彼が、実は次期国王らしい策略家であることが明かされる。
聖女候補のダブルヒロイン、ロゼットとカタリナどちらを最終的に選ぶか。
常に自分の正妃候補として見定めている。
どの選択がより大きな利益へと繋がるか、冷徹に比較している様子が、本編の出来事の裏で語られていく。
だが、そんなアーサー王太子もまだ十代後半の若者だ。
次期国王の重責で押し潰されそうになることもある。
BLモード『王太子の思惑』は、本編開始前の時間軸のアーサー王太子の悩みからスタートする。
そんな彼が、遠縁の年下の少年を自分の世話役にしたいと言った我が儘を、父王は許した。
それがエスティアの父となるモリスン子爵令息のテレンス君だ。
「ああ、ああ、この辺りで前世でプレイしてたとき、イヤな予感がしたのよねえ~」
BLモードの主だったストーリーを書き出したノートを見返しながら、エスティアは嘆息した。
前世のミナコはこの辺の展開を、スマホのゲーム画面を薄目で恐る恐る見ていた記憶がある。
ところが肩透かしだ。
BLモード『王太子の思惑』では、別にアーサー王太子がテレンス君を〝そういう意味〟で狙っている描写は一回も出てこなかった。
確かにアーサー王太子は本編でもBLモードでもテレンス君をよく気にかけていたが、世話役だからといって理不尽に振り回すわけでもなく、付かず離れずの主従関係を保っていた。
「心配して損したなって思ったけど、ファンアートでは、その……」
前世では、そんな薄味ですらないBL成分を捏造し濃縮させた二次創作が増殖していた。
他のプレイヤーたちの感想が見たくてSNSのアカウントを作った前世のミナコは、検索するなり飛び出てきたテレンス君関連のR18的なファンアートや二次創作の漫画や小説を見て卒倒しかけた。
翌日、出勤して勤務時間前に若い同僚たちに泣きついたら、SNSの閲覧にセンシティブ設定すればBL要素のある情報は流れて来ないと教えてもらってその通りにした苦い思い出がある。
それで結局、スマホ版『乙女☆プリズム夢の王国』の課金追加ストーリーには、百合らしい百合も、BLらしいBLもないままそれぞれ終わる。
元のゲーム自体が全年齢向けなので、どぎつい性描写などがないことはわかっていたが、緊張して構えながらプレイしていた前世のミナコでもちょっと肩透かしな気分だった。
そんな疑問を職場の既にクリア済みの若い同僚たちにぶつけてみると、皆してニヤニヤと笑っていた。
『ミナコ先輩。特典ストーリーも全クリしたら飲み会しましょうよ』
『乙プリのリアタイ世代の方がクリア後どうなるか楽しみー!』
特典ルートはゆっくりめにプレイしても一ヶ月はかからないという。
クリア後の感想会したいから頑張って、とネタバレをお口チャックする同僚たちに見守られて、アラフォーおばさんはひたすら続きをプレイする日々だった。