③誰にでも喧嘩売るのやめなよね
講義が終わるなりシェリーンの元へと向かおうとするライルを、女生徒たちが囲む。身動きの取れないライルの視線の先で、シェリーンはターヒルに手を振りながら大講堂を出て行ってしまった。
「わりい、どいてくれ」
「えー、ライルがパートナーになるって言ってくれなきゃヤダー」
香水と化粧品の甘い香りが混ざるが、何種類も集めればいい香りとは言えなくなる。ライルは彼女たちを押しのけたい衝動に駆られながら、道を開けるよう懇願していた。
そこへ涼やかな声が女性たちの輪の外から発せられた。
「すまない、この後ライルと急ぎの用事があるんだ。彼を連れて行って構わないだろうか」
すました語り口はターヒルだ。ライルはホッとした笑みを浮かべ、まだモゴモゴ言っている女生徒たちの輪から抜け出ることに成功した。
「助かった。で、急ぎの用事なんてあったっけ?」
「そうじゃないさ。君とシェリーンはいつも一緒なのに、今日は何かあったのかと思ってね」
「べっ……つに。いつもの口喧嘩だよ。どうせ帰る頃にはアイツも忘れてんだろ」
ターヒルが知りたいと思うようなことを、ライルは説明できない。いつものことでしかないからだ。
毎週のことながらこの後は、ライルもターヒルも空き時間となる。いつもならシェリーンも混ざって喫茶室でダラダラするのだが。
「シェリーンには先に行ってもらったよ。君と何かあったなら事情を聞いておきたかったから。何もないならいいんだ。喫茶室まで一緒に行ってくれるかい?」
「そりゃ、まあ。アイツが嫌がるかもしんねぇけど」
「さっき、彼女は珍しくラブレターを開封したんだ。いや、兄妹の区別をつけられた人物は君を除けば初めてだから、それで喜んだのだと思うけどね」
喫茶室までの道すがら、ターヒルが苦笑しつつ発した言葉にライルは不思議と心がささくれ立った。
未だかつて、シェリーンが直接ラブレターを開封したという話は聞いたことがなかった。アディーブ兄妹はいつも、屋敷へ持ち帰ったあとで定型文のメッセージカードを侍従に送らせているからだ。
「単純な奴だな」
苛立ちをため息にして吐き出したとき、喫茶室の前にできた人だかりに目が留まった。
その中から、ふたりの姿を認めて駆け寄ってきた人物がいる。シェリーンの親友のソハラ・ギラス子爵令嬢だ。
「ねぇ、シェリーンがナヒッドとお茶してるんだけど……」
「は? それで野次馬してんのか、こいつら?」
「ナヒッドは人気者なのに、これまで浮き名のひとつもなかったからね。シェリーンも僕たち以外の男性と一緒にいることは滅多にない。注目してしまう気持ちはわかるが、これではふたりが少々不憫だね」
ライルとターヒルが近寄ると、喫茶室の前の人だかりが割れて入り口があらわになった。奥の窓際の席でこちらに背を向けるシェリーンと、その対面にナヒッドの姿がある。
カウンターで注文し、商品を受け取ると3人でシェリーンの元へ向かう。ナヒッドの瞳が一瞬だけライルたちのほうへ動いた。
ナヒッドが右の手のひらを上に向けて広げ、その空中に青白く光る玉が生まれた。玉はゆっくりと上昇し、シェリーンの目の前で止まる。口元に笑みを浮かべたナヒッドが何か囁いているが、ライルの耳には聞こえない。
だが、嫌な予感がする。
ライルが走り出した。
「シェリーン!」
青白い玉は弾けていくつもの小さな玉となり四方へ飛ぶ。その場には小さな魔法陣が現れて、ふるふると震えながらくるりと回った。魔法陣が煙のように消えるのと同時に、四方へ散った小さな玉が青い薔薇に転じて落ちる。
ライルがシェリーンのもとへ到着したときには、ただテーブルの上にいくつもの青い薔薇の花が散らばっているだけだった。
「わー、すごい! これがナヒッドの持ちネタ?」
「驚いたかな? そしたら賭けはわたしの勝ちですね。約束通りまたお茶の時間を持ってくれると嬉しい」
「えっ、……ええ、もちろん」
ライルはシェリーンをまじまじと見つめたが、背後に立つライルからその表情は見えない。
ターヒルとソハラもやって来て、ライルと並んでふたりのやり取りを見つめている。
「ああ、よかった! では、明日もまたここで」
安堵したのか、ナヒッドの存在感のある眉がふわりと下がった。入口の方で彼のファンとおぼしき女生徒たちの歓声があがる。
立ち上がり、その場を去ろうとしたナヒッドの肩をライルが掴む。
「シェリーンになにした?」
「ベーダス卿……人聞きの悪いことを言わないでください。わたしは彼女にまたお茶を楽しむ約束を取り付けただけですよ」
「ちょっとライル、誰にでも喧嘩売るのやめなよね」
ライルとナヒッドの睨み合いは、シェリーンが声を掛けたため長くは続かなかった。
「では、失礼」
ナヒッドは薄っすらと笑いながらライルの手を払いのけ、喫茶室を出る。何人かの女生徒が後を追ったようだ。
「ねぇねぇ、今のなんだったのー?」
ソハラがシェリーンの隣の席に座り、先ほどの光景について問いかけた。一方、ターヒルはライルの袖を引っ張って、シェリーンたちから距離をとる。
「いまの魔法陣に心当たりがあるんだ。あとで調べに行きたい。手伝ってくれるかい?」
「やっぱなんかあんのか」
シェリーンとそっくりでありながら、怜悧な色を宿すターヒルの瞳が喫茶室の出入り口を睨んだ。