⑭素直になれ
ナヒッドがゆっくりと口を開く。シェリーンは胃がキュっと締め付けられる感覚に襲われながら、言葉を待った。
「より深い相互理解のために、わたしたちはより多くの時間を共に過ごすべきなんです。だから――」
「シェリーン!」
ナヒッドの言葉は途切れ、大きく開いた扉からターヒルがやって来た。振り返ったナヒッドを睨みながら、ゆっくりとシェリーンの元へと歩み寄る。
「ターヒル」
「大丈夫かい、シェリーン?」
シェリーンが頷くと、ターヒルは彼女の横に並び立ち幼い頃のように手を繋いだ。ナヒッドが感嘆の声をあげる。
「凄いな、合わせ鏡のようだ」
「それで……? 今まで通り、喫茶室でお茶を?」
シェリーンが問いかける。声が震えないようにと意識した結果、繋いだ手に力が入ってしまう。しかし一層強い力で握り返されたことに安堵して、シェリーンは細く長く息を吐いた。
「いいえ、それでは卒業が先に来てしまう。だから特別な時間が必要だ、そう思うでしょう? どうかホワイトムーンパーティーをわたしとともに。パートナーになっていただけませんか?」
そう、その通りだとシェリーンの頭で誰かが囁く。
ナヒッドは紳士的だし場の空気を読みながら話ができる。勉強を教えてくれるなど面倒見もいいし、いずれはソハラやターヒルたちも一緒に、みんなで仲良くできるのではないかと考えていたのだ。
パーティーなら授業でみんながバラバラになることもない。ただ楽しい時間を過ごすことができるし、そうなれば仲が深まるのも確かだ。
「そ、そう――」
「ちゃんと考えろマヌケ」
シェリーンの返事を遮るように、ライルの声が背後から聞こえた。シェリーンとターヒルが振り返り、ナヒッドもしっかりと閉じられたカーテンを見やる。
ふわりと動いたカーテンが次の瞬間には大きく開かれ、観覧口の縁にライルが足をかけていた。
思わぬ登場に誰も声が出せない。
室内に降り立ったライルはシェリーンとターヒルの前へ向かい、迷うことなく……シェリーンの肩を抱く。そして耳元で囁いた。
「素直になれ、シェリーン」
「紳士にあるまじき行為だ、ベーダス卿。彼女から離れたまえ」
ライルはハッと鼻で笑いながらシェリーンから身体を離し、ナヒッドの足元へ何かを放り投げた。
「ほら、返してやるよ。せっかく向こうに置いてきてやろうと思ったのに、こっち来んなよな」
よく見ればそれはブレスレットで、ナヒッドからシェリーンに贈られた通信機であることがわかる。それをしばらく見つめていたシェリーンだが、突如なにか思い出したように顔を上げた。
「ナヒッド、ごめん。私はあなたのパートナーにはなれない」
シェリーンがそうハッキリと口にした瞬間、彼女の目の前に青白い魔法陣が現れ、弾けて消えた。
「なんで……」
呟くナヒッドに、シェリーンは笑ってライルとターヒルの腕をとった。
この半月ほどが遠い昔のことのように思えてしまうほど、いまシェリーンの思考はクリアになっている。
「自分に素直になっただけだわ。ブレスレットがないと兄と私の見分けもできない人とは、顔見知り以上に仲良くできる気がしないもの」
「君たちはこんなにもそっくりなのに見分けろとは!」
「でもライルにはそれができるし、それに……最後のホワイトムーンパーティーだもの。あなたと友人になるためではなく、自分が一緒にいて最も楽しい人と参加したいでしょ」
ライルは空いたほうの手でシェリーンの頭をぽんぽんとあやすように軽く叩いた。
「あっれー? つまり、俺といるのが最も楽しいって?」
「そんなこと誰も言ってないでしょ!」
「行間読んだつもりだが?」
「喧嘩はあとでゆっくりしたらどうだい?」
ターヒルが呆れ顔で窘めたとき、俯いたナヒッドが拳を握った。
「こんな、こんなのは想像していない。プ、プロポーズはそりゃあ多少は手こずるかと思ったが、パーティーくらいで……!」
「結婚まで考えてたんだ? オーケーするとは思えないけど、どうだったのかなぁ」
うんうんと首を捻るシェリーンを背後に隠すように、ターヒルが一歩前へと出た。
気配に気づいてか、ゆるゆるとナヒッドの頭が上がる。
「どれだけの思いがあったにせよ、どんな理由があったにせよ、君のしたことは兄として許しがたいな」
「やっと手に入れたチャンスだった」
「君の用いた精神操作魔法は、クライシュ領の兵士に対してのみ使用が許可されているはずだよ。シェリーンが寝ている間に被魔法検査を受けさせ、君の魔力の痕跡を証拠として提示できる状態にしてある。どういう意味かわかるかい?」
シェリーンは驚いてターヒルの後頭部を二度見したが、ライルに腕を引っ張られたため黙っていることにした。
「脅すのか」
「まさか。今後一切、アディーブ家およびベーダス家に害が及ばないよう尽力する……と誓約してくれれば、こちらの証拠品は破棄するさ」
ターヒルの後ろで、シェリーンとライルが目を見合わせた。
個人ではなくアディーブ家およびベーダス家が対象だと、「尽力」とはいえかなり重い誓約となる。スノウドラゴン一匹がアディーブの領地に降り立って、咆哮を放つことさえ許されないのだから。
だが、領主が法を犯したと知れるよりは。
「わかった」
「とはいえ、今日は証拠などわざわざ持って来てはいないからね。後日改めて、誓約の場を設けよう」
それだけ言うと、ターヒルが振り返ってシェリーンとライルにウインクをした。いたずらっ子のような目は、彼の発言がハッタリであることを示している。
シェリーンは吹き出してしまいそうになるのをこらえて、「帰ろっか」とふたりに声をかけた。




