ep.29 マリン・サマー 1/3
――なつ海ね、お兄ちゃんと結婚するもん。
記憶のなかで屈託のない表情で笑う幼い女の子。
それは俺が佐藤悟としてみたゲームでの知識の光景なのか。
それとも俺が、真田一樹として知る過去なのか。
この世界が単なるゲームで、いつか覚めるような夢だとするなら、きっと前者だ。
しかし俺は自分自身が間違えなくこの世界で生きてきた真田一樹なんだと、そう思うようになっていた。
前世ってものなのか。
それとも……。乃愛の言うような、並行世界の一つなのか。
「まぁ、考えても仕方ねーよな」
俺は、俺だ。
そしてあの記憶の女の子は、なつ海は俺の妹だ。それでいい。
学園祭の翌日、一気に静けさを取り戻した真田家は、平穏そのものだった。
ゲームをする、なつ海。
その横で参考書を開く由依。
変わったこととすれば、なつ海が由依とともに勉強をする姿を見せるようになったこと。
そして由依が手料理を振る舞う日が増えたこと。
「兄さん」
「……」
思えば、時間さえあればパソコンに向かい、プログラム言語を打ち込む日が続いていたから、こんなに家でのんびりとする日曜は久々かもしれない。
俺はリビングの端のほうで寝転びながら、身体と心の疲れを癒していた。
「兄さんってば」
「……」
先週は乃愛とデートをしたわけだし。
その先週というのも、タイムリープのためにかなり昔に感じる。
「にいさん! さっきから話聞いてた!?」
「あ……え? ごめん、何か言ってたか」
「なんで、何も聞いてないのよ……わたしのことも、ちょっとはかまってくれてもいいんじゃない? もう」
最後のほうは少し聞き取れないようだったが、何か不満を口にしていることだけはわかる。
この家の財布と胃袋を握っているなつ海の機嫌をあまり損ねるわけにはいかないので、俺は起き上がり、ソファーの前にいるなつ海へと向き合う。
「なつ海ちゃんがね、3人で海にでも行かないかって。そう言ってたんですよ」
「由依ちゃん、説明ありがとう。えっと、なつ海、海に行きたいのか?」
「夏だし……7月にも入ったから。まぁ、お兄さまはだいぶお疲れのようですし? 由依と二人だけでも、わたくしはよろしくてよ?」
妙に棘のあるお嬢様言葉を使うなつ海。
たしかになつ海も由依も、県内有数のお嬢様学校の生徒ではあるが。
「悪かったって、行くか。海。そういえば、父さん達が海外に行ってから、そういうレジャー的なことやってなかったしな」
不満げな表情が、綻ぶのがわかった。
こういうところは素直なのだ。
真田なつ海という少女は。
「由依ね。一つ疑問があったんですよ。なんでなつ海ちゃんって、お兄さんのことを、兄さんって呼ぶの? 普通、お兄ちゃんとかじゃないのかなって」
「ああ、それね……」
やめろ。妹よ。それは俺の恥ずかしい記憶だ。
「昔、兄さんが当時ハマってた流行りのギャルゲーの妹キャラがそう呼ぶからって、まだ小学生のときのわたしに強要したのよ」
「なーるーほーどー……。へー……」
どういう心情かまるでわからない日向由依のリアクションに、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
何はともあれ海に行くことが決まり、俺は準備のためと二人の視線からいったん逃げるようにして自室に戻ることとした。




