ep.25 2センチくらい淋しかったの
放課後、結城さやかの部屋に通い詰める日々。
その理由は一つ。アプリの作成のためだった。持参したノートブックと、タブレット端末を使って、コードを書いていく。
その隣で、さやかはイラストを仕上げていく。
共同作業の中、さほどの会話はないが、どことない心地よい連帯感があった。
「はい。出来ましたよ。これでゼンブッ。アプリに使えそう?」
プリンターが吐き出した用紙に印刷されたキャラクターは、様々な表情や仕草をした黒猫と、デフォルメされた金髪の女の子のイラスト。
このモデルは乃愛なんだろうなと思う。どことなくそっくりだ。
「おお、さやかすごいよ! ばっちし、これでいけるよ」
俺のほうも、基本のアプリは完成しあとはレイアウトや、イラストを使ったインターフェースの調整だけだった。
つまり、この二人での共同作業もこれで終わりということになる。
「良かったぁ。一樹の役にたてて……」
「ん?」
「なんもないですよー。あ、そうそう前に話してたマンガももうちょっとで出来そうなんだ。タイムリープのやつ。乃愛センパイにもかなり手伝ってもらっちゃった」
「へー、どういう感じになったんだ?」
「それはまだ秘密ッ。完成したらね」
作業がひと段落したからか、さやかは結んだ髪を解いて、頭を振るって髪を整える。そんな仕草が素敵に見える。
さやかは大きく手を伸ばして背伸びをして、ペットボトルの水を飲む。
それに合わせて、俺もさやかの淹れた苦いコーヒーに手をつける。
「はいはい、仕方ないな。乃愛センパイとは仲良くやってるんだな」
「おかげ様でね、この前、沙織も誘って皆で服買いにいったりしたんだよ」
「そうなんだな、女の子同士で仲良さそうで何よりだ」
「えへへー、一樹には話せない、女の子同士のことも色々あるからねー」
「なんだそれ」
口元にそっと指先をつけるそんなジェエスチャーをする。
「それも秘密ッ。ねえ、なんか小さいときみたいだね」
「ん?」
「一樹が、こんなに毎日うちに来てるのがよ。中学に上がってからは全くだったじゃない」
「そうだったか?」
「そうよ。ホントはね、ちょっと淋しかったんだ。あ、ちょっとよ? これくらいね」
「2センチくらいかよ」
つぎは親指と人差し指で小さくCの字を作る。その空いた隙間はほんとに狭い。
さやかは、冗談っぽく見せているがそれが無理して作っている笑顔なのだと気づいてしまった。
「うん、2センチくらい淋しかったの」
「なんか、らしくないぞ?」
「あはは、そうかな。……ん、やっぱり隠しごとは良くないよね。実は、あの、これ。ごめんなさい……!」
ばさりと、さやかの長い髪が勢いよく音を立てるほどの勢いで、さやかは俺に向けて頭を下げる。
そして手にしていたものが、さやかの愛用の腕時計であることが目についた。
「あー、時計止まっちゃったんだな」
「うん。そうなの。街の時計屋にも持って行ったんだけど、なんか電池替えても動かないんだって」
「まあ中学生のときの俺でも買える安物だしな」
さやかのその態度で、本当にショックを受けていることはわかった。
だからこそこれ以上落ち込ませたくなくて、軽い口ぶりでそう答えることとした。
「でも、でも。気に入ってたんだよ。一樹がくれた大切なものだったの。……ぅぅ、えぐ」
「おいおい、そんな泣くことないだろ。また買ってやるよもっと良いやつ探しとくからさ」
「……怒ってない?」
「怒るわけないだろ、今までも俺はさやかの味方だっただろ」
「……うん」
いいのかな。と思った。
でも、そうしたいとも思ってしまった。そうするべきだと、言い聞かせていたのかもしれない。
俺は伸ばした手をさやかの頭にのせて、そっと撫でる。
「ありがとな?」
「……え?」
「大事に使ってくれてさ」
以前、時計店の店主に聞いた話を思い出した。
ほとんどの時計は、壊れるまで使われないと。だから時計が壊れたというのはその時計にとってはとても幸せなことなんだと。
その話を聞いたときは、あまり納得できなかったが、なんとなく今はその意味がわかる気がした。
「……ぅん。あのね一樹、私ちょっと怖いんだ。時計が止まったからかもだけど。なんか悪い事が起こるんじゃないかって。乃愛センパイには、気のせいだって言われたんだけど」
「あの人が間違えることないんだから、大丈夫だよ」
「でも……」
――ずっと幸せでいることはできないんだよ。
水月の言葉が胸を刺す。
結城さやかの死、それが迫っていることは明白だった。俺がこの6月に留まれる日数はそんなに残っていない。
だから、俺は俺のもつ全ての知識を使ってこのゲームを攻略する。
この幸せな日々のなかで、誰一人として欠けちゃいけないってわかるから。
決意を口にする。
「それに、もしさやかになにかあったら俺が守ってやる」
「ほんと?」
「ホントだよ」
「なら、安心だね。ごめんね、なんか変なこと言ってるって私も自分でわかってるんだけど、変にナイーブになってるみたいで――」
さやかは、潤んだ瞳を誤魔化すように、袖口で顔を隠す。
そして、手にしていた壊れた腕時計を再度左手首に巻き始めた。
「それ、壊れてるのに付けるんだ?」
「ん、つけてるのが当たり前だったから、今更外しておけないもん」
動かない秒針の長い針。
クリスタルガラスの風防に、ちらりと銀髪の少女が映りこんだように見えた。
――水月の、そして死の気配がした。




