【挿絵追加】ep.00 恋=ゲームの基礎理論(沙織視点)
暦は6月。
すっかり葉桜となった桜並木の通学路を歩く。
その途中でアタシ、佐藤沙織は立ち止まってしまった。
スカートの布地をぎゅっと握りしめる。
チェック柄がくしゃくしゃになって、規則正しい線は入り乱れていく。ノイズまじりの縦横線はまるで、心の指標みたいだ。
その理由はいたってシンプルなもので、目線の先にあった。前を歩く親友の結城さやかと、その隣を歩く男子、真田一樹君。
ふたりは家が隣同士の、いわゆる幼馴染というもので。
そんな中に割り込むのは、どうにも気が引けるんだよね。
声をかけるタイミングをとるのは難しくて、まるで、幼いときに遊んだ大縄跳びのようだと思った。
初夏の日差しはまだ本格的なそれとは違い、肌を焼くほどのものではないのだけど、まだ幼い熱を帯びて、アタシを照らしつける。
これはきっと、滲んだ汗が目に入ったせいだ。
だって、こんなにも目がちかちかして、瞼が熱くなるんだから。
「沙織さんは、もういいの?」
その声に振りかえった。
グレーを基調とした制服を纏った少女が目についた。
朝の登校中の時間で、アタシもそうであるように制服を着ていること自体は、特別なことではないのだけど。
その落ち着いた雰囲気をもつ制服は、ほかの登校中の生徒とは違ったデザインのもの。
「え、あれ! なつ海ちゃん? あ、その制服ってことは、東女の中等部だったんだ」
東女とは、アタシの通う一ノ宮学園から少し離れた先にある東華女学院のことだ。
そして、彼女は真田なつ海。
いま前を歩いていた真田一樹君の三つ下の妹。
それまでのセンチメンタルな気持ちを悟られまいと、意図して大げさなくらい明るい声を出す。
「もういいのって、なになに、なんのこと?」
「んー、なんだろね。沙織さん見てたらなんかそう思っちゃった」
「えっと……ちょっとわかんないんだけど」
「そうですねー。恋=ゲームと仮定します。その場合、いまの沙織さんの状況は、リリース前予約を忘れていて強キャラがゲットできなかったようなもので、もうこのゲーム詰んじゃった~とか思ってるんじゃないかって」
恋=ゲーム。
ゲーマーの彼女らしい例えで、ちょっとだけそのユーモアに笑みが浮かぶ。
リリース前予約どうのこうのっていうのは……よくわからないんだけど。要するに、出遅れていることを指した言い回しなのだと思う。
ちなみに詰む、とは。ゲームをしているときに先に進めなくなり、にっちもさっちもいかなくなること。らしい。
「ちょっとー笑わないでくれます?」
「ごめんごめん。そうだねー、なつ海ちゃんは恋してる?」
「わたしの話はパス!」
「なにそれずるい。沙織的にはフェアじゃないのはダメだと思うけどなー」
「なつ海的にはそれもありなのですよ。フェアプレーだけが戦略じゃないもん。あ、由依から電話だ。じゃあ、沙織さん。また遊びましょーね!」
なつ海ちゃんは良い子だけど、変わってるなと思う。
そういうのを《《キャラが立つ》》というらしい。
そしてゲームでいえば、そんなキャラの立っている登場人物をメインキャラと呼び、それ以外のことを《《モブ》》と呼ぶらしい。
なんだかそれは、アタシのことなのかなとか思ったりもする。
それにしても、可愛くなりたいなーとか、綺麗になりたいとか。そういう悩みだったら可愛げがあるんだけど。
キャラ立ちしたいな、とか思ってるのってどうなんだろうね。
しわの縒ったスカートの裾を、手で摘みあげヨリを戻す。
そうすることで、朝の気持ちを再起動させるように。
モブキャラにも悩みくらいあるんだって、わかってくれたらいいんだけど。
そんな、僅かばかりの不満を込めて。
アタシは深くため息をついた。
「もういいの、か。もう、その恋はあきらめてもいいの? ってことだよね。いいわけないよ。いいわけないけどさー」
なつ海ちゃんへ
恋=ゲームの基礎理論のなかでは、
モブなアタシは一生恋ができない気がするよ。