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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

佐伯美智香は道に転がった鳩の死体を蹴る覚悟はあるか

作者: ぱそ

俺は道端の鳩を蹴り上げた。


理由はなんてことない。彼、もしくは彼女が既に死体だったからである。


心臓の鼓動が失われた生物に人権(この場合は鳩権だろうか)など無い。カラスか猫にでも食われたのだろうか、血に塗れ骨を突き出し無残な姿になったそれを蹴り上げた靴の先は血がこびりついていた。


「なにやってんだ!」


その怒号に肩を跳ねさせ、俺は通学路を走り抜けた。大人の男の声だったと思う。動物愛護が主流なこの時代、おかしいのは自分の方だとは理解はしていた。


走る。走る。そして、横断歩道を渡りきった頃、世界がぐにゃりと歪んだ気がした。


俺は横断歩道の前に立っていた。


ぴこぴこ鳴る音、青いランプ、そして、横断歩道の先にある空き地。


横断歩道の先にはスーパーがあったはずだった。2010年に開店した大型スーパーだ。その前は別のマイナーな薬局が建っていて、それは2008年に閉店している。


非科学的、または空想的な事は信用しないタチだが、もし「それ」があるのなら。

俺は殺さなければいけないやつがいる。

奴の名前は佐伯美智香。

未来の殺人犯だ。



佐伯美智香について俺が知っている事は少なくはない。


ひとつ、この時が2009年近くであるのならば当時、奴はまだ小学生だった事。

ふたつ、この時は友達もおらず、所謂いじめられっ子であった事。

みっつ、白い文鳥を飼っていた事。

他にもまだあるが、今は語るべき時では無いだろう。


俺はその足で私立御影大学初等部の前に向かった。その前にある公園が唯一、あの警戒心の高い学園に不審者がられない場所な事を俺は身を以て知っている。


そして、奴がそこに現れることも。


ある夏の日のことだった。


「なにやってるの……?」


怯えた声が蝉のうるさい鳴き声に混ざった。


「……殺してる」

「…………おかしいよ……」


佐伯美智香は、虐められる毎日に怯えながらも、確かに被虐的な欲望を内に秘めさせていた。不登校にならなかったのは、自罰的な感情からだったかもしれない。


最初は蟻、次はバッタ、その次は蝉。

目的は違えど、やっている事は標本を作ることと同じでは無いか。


頬の筋肉が上がる感覚。


そう言った佐伯美智香は確かに愉悦の表情を浮かべていた。


尻ポケットからスマートフォンを取り出す。

この時、このバージョンのスマートフォンは無かったし、スマートフォンがあったかすら記憶に危ういが、神はそこまで鬼ではなかったらしい。


「2009年、8月31日」


それは佐伯美智香が人を殺した最初の日だった。俺は夜までにアイツを、あの人の心のわからない畜生を殺さなければならない。


時刻は7時、奴は塾のためにこの公園を通る。


そこで殺す。


俺は覚悟を決めて、ベンチに座りながら奴が現れるのを待った。

奴が現れるのにそれほど時間はかからなかったが。


「ねえ」


俺は出来る限り優しい声で、佐伯美智香に話しかけた。


「君の逃げた文鳥、見つけたんだけど。うちで預かってるんだ。取りに来ない?」

「……なんで知ってるの」

「何って、張り紙そこかしらに貼ってあるだろ?見つけたら佐伯へって。ご丁寧に電話番号まで」

「じゃなくて、なんで佐伯美智香だってわかったの」

「名札をつけてるじゃないか」


この時はまだ防犯的にしっかりしておらず、荷物に名札を付けてくる子も少なくなかった。佐伯美智香の鞄には学年と、クラスと、名前がしっかり入っている。


「……母さんに電話してください。知らない人にはついて行っちゃダメって言われてますので」

「ならお前が学校のウサギを殺したことをバラす」

「!」

「嫌なら俺についてこい」


そう、俺の記憶が正しければ。

コイツはこの数日前、初等部で飼っているミニウサギを一羽殺している。


当時はその残虐性から大問題になったが、結局犯人は見つからなかった。私立校と言ったって、至る所に防犯カメラや警備員がいるわけではない。内部の犯行は専門外なのだ。

ちなみに、文鳥は自ら逃した。


理由は「飽きたから」だったか「親の寵愛を受けているのが気に食わなかったから」だったか、どっちかは忘れてしまった。


佐伯美智香はウサギの件を指摘すると大人しく俺についてきた。


まずは人気のない場所に連れていかなければいけない。学校近くにある何年も放置された廃屋はそれに適した場所だった。ドアを蹴り破り(我ながらよくやる)中に佐伯美智香を連れ込んだ。


「単刀直入に言う。俺は未来から来た」

「は?」

「お前は今日、秋葉拓人を殺すつもりだろうがそうはさせない。今日一日、約束の時間までお前にはここで待ってもらう」

「なんでそれを……!」

「お前には関係ないことだ」


俺は佐伯美智香を突き飛ばし、馬乗りになった。ポケットから結束バンドを取り出すと、両手の親指と、靴一式を脱がして素足の親指につけてやる。小学生が高校生に力で叶うはずもなく、佐伯美智香はされるがままだった。


「離せよ……ッ!」

「今日一日は無理だな。俺は拓人を守る義務がある」

「お前は拓人のなんなんだよ……」


佐伯美智香は力なくそう呟いた。相手は歳上の男だ。全てを諦めたのだろう。やる前から全てを諦める、抵抗しない、佐伯美智香はそういう奴だった。


俺はその問いに鼻で笑った。お前に何がわかる。お前にこの10年の後悔の何がわかる。そんな感情を込めて。



「親友だよ」



秋葉拓人の話をしよう。


拓人は当時、佐伯美智香の唯一の味方だった。


ただし虐めからは守ってくれない。むしろごく稀に加担していたと思う。


だがそれは本人の事なかれ主義と、自己保身からのもので別に悪意があるわけではないのだ。佐伯美智香はそれを知っていたからこそ、拓人に何もかもを話していた。


自分の嗜虐趣味の事、罰して欲しいと言う事。拓人はうんうん、とうなづいて奴を受け入れてくれた。


初めて哺乳類ーー……ウサギを殺した時も変わらなかった。この人だけは自分を受け入れてくれると、佐伯美智香はそう安心していた。


だが、それは2009年の夏に終わりを迎える。


「僕を殺して欲しい」


公園のブランコ、沈む夕日、濃いオレンジの空の下で拓人はそう言った。


「僕のせいで親が離婚しそうなんだ。僕が父さんの浮気をバラしたから……、僕は罰を受けなきゃいけない。佐伯はそういうの得意だろ?」


殺し?と佐伯美智香は呟いた。

拓人は力無い笑いでうなづいた。


この時、俺は止めればよかったんだと思う。それは父親が悪い。拓人が気にする必要はない。死にたいのは時間が解決してくれる。


だけどもこの時、佐伯美智香はただの知的好奇心ーーウサギより大きなものを殺せるという感情ーーからそれを受け入れてしまったのだ。


そしてこの廃屋で、今日の夜、佐伯美智香は秋葉拓人を廃屋の屋上から突き落とす。


俺はこの廃屋で拓人を説き伏せなければならない。佐伯美智香が塾に来ない事でチキッたかと勘違いし、拓人がここに来なくてもいいし、拓人が約束どおりここに来ても説き伏せられる自信がある。


「どうする?今からお家に帰っておねんねするつーなら帰してやってもいいけど」


佐伯美智香の母はこの時はまだ専業主婦だ。教育ママで一度帰宅してしまえば、コイツの監視をしてくれるだろうし、塾に行っていないとなれば一日折檻コースは確定だ。放課後には間に合わないだろう。


「拓人との約束は破らない」


佐伯美智香はそう言った。


「破ったほうがいい約束もあるんだよ」


俺はそう答えた。


「お前は拓人の事を考えた事があるか?拓人はな、今は混乱してるだけなんだよ。傷なんてのは時間が解決してくれる。お前みたいな生まれながらのサイコパスとは違う。死んだほうがいいのはお前の方だ。拓人を道連れにするな、死ぬならお前だけで死ね」

「死なない」

「……理由を聞いても?」

「拓人を永遠にする」


自分の記憶の中で。佐伯美智香はそう答えると見下すように俺を見た。


「どこの誰だか知らないが、かわいそうだな。拓人の死に顔を永遠に出来なくて」


血が沸騰して、頭に一気に登る感覚がする。

そう歪な顔で笑った奴を気がついたら思い切り蹴り倒していた。


「かは……っ!」

「見たから言ってんだよ!」


そう、俺は拓人の死に顔を見た。恐怖、後悔、怨恨、全てが入り混じった見ていられいない表情が脳漿に塗れて浮かんでいた。


「拓人は後悔してたんだよ!あんな混乱して出た一言で殺されてなあ!お前は人の気持ちなんてわからないかもしれない、でもそういう奴もいるんだよ!」


そしてコイツの性根は何年経っても治らない。


「……未来の俺からメールが来たんだ」


タイムスリップする数日前、2019年の秋のこと、最初は迷惑メールかと思った。


件名は「秋葉拓人の死について」


俺はすぐにそのメールを開いた。迷惑メールでもなんでもよかった。拓人との話を共有出来る人間がいると言うことが、俺にとっては大切だった。



『未来の俺へ

数日後

、通学路に鳩の死体が落ちている。それを蹴り上げろ。躊躇はするな、昔のように罪悪感を消せばお前には出来るはずだ。そうすれば拓人が死ぬ日にタイムスリップが出来る。俺には止められなかった。どうか拓人を殺さないでくれ。もし拓人を殺してしまえばお前は殺人の味をしめて、また人殺しをするだろう。現に俺がそうだ。頼む。もう拓人を殺さないでくれ』



あぁ、俺は、佐伯美智香という人間は、性根まで腐っているのだ。2回も殺人を犯すなんて正気ではない。


だから俺は、佐伯美智香を止めなければいけない。


俺と拓人の未来の為に。


「俺は拓人を幸せにするんだ。俺にはそれが出来る」


拓人は俺に唯一優しくしてくれた。俺はその恩に報いなければならない。

佐伯美智香は虚空に呟いた俺に笑った。


「だったら殺してやれ?」

「は?」

「死にたい気持ちは消えない。それとも未来の俺は忘れてるのか?俺は幼稚園から今まで生きたいと思った事はない」

「……」

「未来には絶望しかない」

「俺は……」


俺は今、幸せだ。

親が離婚して、友人にも恵まれて、名前で虐められる事もなく、元々進学校にいたからか成績も申し分ない。バイトも順調で死にたいなんて思わない。


ただ、言葉にできない虚無感が時折襲うだけだ。


それを死にたいと形容するならば、確かに俺は死にたい気持ちを胸に秘めたまま生き続けているのだろう。


「だとしても生きてる事は悪いことばかりじゃない」

「……どうだか」


沈黙が続く。高校生の自分を睨みつける小学生の目は汚濁の様な色が滲んでいた。


昔の自分はこんな色をしていたのかと驚く。


小学生の癖に気持ちが悪い。そんな思考が途切れたのは、誰も来ないはずの入り口から光が射したことからだった。


「誰?!」

「……やあ」


身長の高い男、見慣れない顔。だが、面影には覚えがある。生まれつきの口元のあざ。それは間違いなく、秋葉拓人のそれの形だった。


「僕は"未来の"秋葉拓人。そちらは同じく数年後の佐伯美智香くんで間違いないね?」


拓人は柔らかな物腰でそう言った。


「あぁ……、あぁ!そうだよ!佐伯だよ!どうして?拓人は死んだというのに!」


「可能性はいくつも分かれているということさ」


それは、秋葉拓人が死なない可能性があるということだ。


メールの主は失敗した様だが、きっと他の世界線の自分は成功したに違いない。俺は希望を胸に拓人らしき人物に近づいた。


が、すぐに訳が分からなくなってしまう。


大きな殴打の音。チカチカと光が点滅する目、痛み。


殴られたと知ったのは、だいぶ時間が経ってからだった。


倒れた俺をよそに拓人は佐伯美智香の拘束具を外していく。


「どうして……」


思わず口から漏れた声に拓人は怒号で返した。


「お前が!邪魔をしたからだ!約束を守らせなかったからだ!」


そう言った拓人の目は佐伯美智香の様に濁りきっていた。絶望を煮詰めた様な瞳、その瞳が自分を捉えている。


「お前が邪魔をしたせいで俺は生き延びてしまった!その結果がどうなったと思う?人生最悪だよ!やっぱりあの時死んだほうがよかったんだ!神様だってそう思ってるからこうして僕はここにいる!」


そう言うと拓人は愛おしそうな目で、佐伯美智香の方を見て「約束をよろしくね」と言った。佐伯美智香はひとつ頷くと、俺の横を駆け抜けて廃墟の出口に向かって駆け抜けていく。


「……さぁ、ここからは大人の時間だ」


無様に尻餅をつく俺に、拓人はしゃがみこんで言った。


「あの時の気持ち、忘れた訳じゃないだろう?思い出せ、小動物を、人を、殺した時の気持ちを。快感だっただろう?」

「あ……あ、……あぁ……」

「お前言ってたよな?殺すことで満たされるって。今の人生、お前満足してるか?表面上は満足してるだろうが、本当は?殺したくて殺したくて仕方がないんじゃないのか?」


俺は幸せなはずだ。俺は幸せなはずだ。

人を殺すまでもなく満たされているはずだ。

……………………………本当に?


「僕だけはそれを受け入れてやる。さぁ、殺すんだ、僕を。win-winじゃないか。僕はこの最低な人生からオサラバ出来て、君は欲望を満たせる」

「俺は……拓人を幸せに……」

「僕を幸せにするんだろう?約束を守るんだろう?だったらやるべき事があるはずだ」

「あぁ……あぁ……」

「やりやすい様に座ってやろうか?」


廃墟に放置された椅子に拓人が座る。

俺は立ち上がって拓人の前に突っ立った。

首は丁度手にかかる位置。


「俺は……」


拓人を幸せにするんだ。


俺は首に手をかけた。力を入れる。力を入れる。力を入れる。力を入れる。快感が身体を襲う。虫や小動物を殺した時とは日ではない快感。あの時、拓人を校舎から突き落とした時と同じ快感が。


ボキッ


手の中で骨が折れる音がした。


「…………拓人?」


拓人は何も言わない。だらりとした身体は何も言わない。


「ははっ……あはは……」


幸福感が腹から込み上げてくる。なんて幸せなんだろう!忘れていた虚無感を埋める方法!生きていることを確かめられる唯一の!


「拓人……」


だがもう拓人は帰ってこない。

でも大丈夫。拓人が生きている可能性があるのなら、俺が拓人を殺さない可能性もあるはずだ。


俺はスマートフォンを開く。数日前の俺に届く様に。


件名は「秋葉拓人の死について」


原理はわからない。だが、きっと「前回の」自分もそうしたはずだ。


俺は拓人を幸せにするのを諦めない。

例えそれが俺の独りよがりだったとしても。



あれから十数年が経った。

俺はあれから元の世界に戻り、順風満帆な人生を送っている。嫁も娶り、子供も出来た。


自分には色々な人が関わっていて、既に1人の人生ではないのだ。もう殺人を起こすことはないだろう。


表面上は満たされている。


それに拓人を殺した時の感触を上書きしたくないという理由からか、あれ以来殺人衝動は起こらなくなった。


「おっと……」


立ちくらみが起こる。最近立ちくらみが多い。

何かの病気だろうか?それとも熱中症?不安に思っていると、目前に懐かしい制服を着た少年が、鳩の死体を蹴り上げているのが目に入った。


「なにやってんだ!」


そう怒鳴ると少年は驚いた様で、横断歩道に向かって駆け出していく。


車に轢かれるのではないかと不安になったが、丁度信号は青で渡りきれた少年を見送ってホッとした。


が、目の前の少年が不意に消えたことで、自分の目を疑ってしまう。


「?!」


だがすぐに思い出した。


「あぁ……」


彼は拓人を救いに行ったのだ。


実際救えるかはわからない。だが可能性の一つとして、もしかしたら拓人と幸せに笑える世界があるのかもしれない。


自分には出来なかったけれどーー……、彼を手にかけた両手を眺める。


手には未だに骨の折れる感触が残っていた。


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