マリー「チョコレートの品物を撒く……?エックスと虎をホイッてしてオレンジの城にベイ来るどっち」
エステルとの小さな冒険。
アレクが言う通り、何かにつけて無自覚なマリー。
私達はその後、少しボボネの方を追ってみた。案の定その男はコルジアの役人で、その後もそ知らぬ顔をして、それなりに仕事に励んでいた。
「どうする? 衛兵に突き出すか? それとも単に金貨を取り返そうか」
「……私が決めていいのか?」
「僕は外国人で放浪者だ。君に判断してもらいたい」
エステルは少し考え込んでから、首を振った。
「司直には通報しておくよ。個人的に突き出すのはやめておこうと思う」
「君は海賊の情報を求めていたんじゃないのか? あれも小さな海賊みたいなものだ」
「私は今日、二度も失敗してるんだ……手柄を焦って無実の人に手を挙げたり、謝罪に行って余計無礼な事を言ってしまったり……あの役人の不正を見つけたのも、全部君の手柄じゃないか」
ありゃりゃ。今度は萎れてしまった。一筋縄では行かない子だな。
こういう子を元気にする方法……
私の交友範囲っておじさんとお兄さんばっかりなんだよな。ヴィタリスに帰ればサロモン達が居るけど、同世代や同性が本当に少ない……だからどうしたらいいのか、良く解らない。
「一つ頼みがあるんだけど。僕は今日サフィーラに来たばかりでこの街の勝手が解らない。君、どこか甘い物を食べられる店を知らないかな」
「えっ……?」
「頼むよ、どこか案内してくれないか」
「そのくらい……いいけれど」
私はそんなにおかしな事を言っただろうか。エステルは困惑した様子を浮かべつつも、サフィーラの街で私を導いて行く。
どこまで行っても白い壁とオレンジ色の屋根が続くこの街は、ヴィタリスの田舎者マリーちゃんを迷子にするには十分に複雑な構造をしている。私、一人で船に帰れますかね?
やがてエステルは賑やかな街角の一軒の店を指し示す。
「ここがいいと思う。私はもう持ち合わせが無いので、ここで失礼させて貰いたい」
「僕は気が弱いんだ、一人では入れない。この街自慢のスイーツの注文の仕方も知らないし、勘定なんか僕が持つに決まってるじゃないか、付き合ってくれよ!」
たまらん。何だろうこの香り、嗅いだ事が無いのに絶対美味しいと感じる、不思議な香りが……何を躊躇してるんですかエステルさん、早く早く! 私はエステルの手を引き、店の扉に突撃する。
この町は北大陸で一番の砂糖の貿易港でもあるらしい。そして新世界からの産物が当たり前のように存在する町でもある。
「シナモンチョコレートマグをエクストラホイップオレンジシロップで、ベイクドチップをのせて。それを二つ」
エステルが呪文を唱えた……何が起こるんだろう。
暫く待っていると、あの謎の香りをたっぷりと纏った、取っ手付の陶器のカップの上に生クリームが山盛りになった物が運ばれて来る……オレンジ色の半透明の何かと、茶色い種のような何かが振りかかっている。
これは取っ手を持って豪快にかぶりついていいのか? 危うく私はそうする所だった。エステルは一緒について来た小さな長いスプーンで、山の上の方をちょっとだけすくって、そっと口に運んでいる。
私も同じように一口きゃあああああああ甘い柔らかい甘い柔らかい、駄目だこれはマリーに戻るきゃあああああああ! お口の中で天国の鐘が鳴ってる! 天使飛んでるきゃあああああああ!
それでこの種のような物は? これは固いのね。なんだろう、この焦げたような香り……香り……何この香り!? 私を惑わせ狂わせようとするこの素敵な香りの正体は何!? そして溶ける、口の中で溶ける……
「ねえ! この。種のような、口の中でとろける素敵な物は……何ていうの!?」
「あまり大きな声で言わないでくれ……チョコレートだ。クリームの下には飲み物状になったのも入ってる」
「それはどうやって飲めばいい?」
「焦らず、上から攻めて行ってくれ……最後はいい感じにクリームと混ざっているはずだから」
チョコレート。名前だけは聞いた事がある……これがチョコレートですか!!
困ったな。自分を田舎者扱いし辛くなっちゃったじゃないか。私は今やチョコレートを食べた事のあるマリーなのだ。ごめんね、ヴィタリスの皆。私は皆さんの遥か彼方まで先行してしまいました。
「君を元気づけるつもりが、僕ばかり元気になってしまったな。すっかりこの町が気に入ったよ。君に感謝しなきゃ」
「そんな……私は君をここに案内しただけじゃないか。それにもう少し面白い話が出来れば良かったのに。私はこの通りの武骨者だ」
私のエステルを元気づける作戦の方は中途半端になってしまった。私は最高に幸せな気持ちで店を出たが、エステルはほろ苦い笑みを浮かべただけだった。
「さて、司直への通報はお任せするよ。君の騎士道が認められ、そしていつか成就する事を祈る」
「え……あの」
「うん?」
エステルは何か困ったような顔で何かを言い掛けて、やめる。
「何でもない……すまない」
「うん。縁があればまた」
何だか結局、私ばかり楽しんでしまった。チョコレートをいただきながら少女小説の話などしてしまったが、変な男だと思われなかったかしら。まあ思われてもいいや、こっちは本当に楽しかったもの。
エステルももう大丈夫だろう……
「待ってくれ! 君は現れる時も突然だったけど、去る時も突然なんだな!」
立ち去りかけた私の肩を掴み、エステルはそう言った。え? 何事??
「このまま手を離せば君は朝方の微睡の夢のように消え、二度と現れない。そうなんだろう?」
何が起きてるの? エステルは……ものすごく真剣な目線で私のアイマスクを真っ直ぐに見つめて来る……アイマスクをしてなかったら私の目が焼け焦げてしまいそうな熱視線なんですが……何事!?
「き、君の率直な意見を聞きたい! このままボボネを通報する事が完全な正義だと思うか!?」
「どうしたんだ、急に」
「頼む、答えて欲しい、正直に」
「……ボボネは不正をしているしロワンは不利益を受けているが、さりとてロワンのような者に構い、面倒をみようという人間は多くない……ボボネをロワンから引き剥がすのが本当に正義かどうか……」
「やはり君は私のような猪武者とは違う。どうしてここで手を離すんだ! 後はどうなってもいいのか!」
「待ってくれ、君だって一度は僕を一人であの店に放り出そうとしたじゃないか」
「本当にもう持ち合わせが無かったからだ! それに!」
そこまで言って、エステルは……顔を赤らめ、俯く。
「そんなにも賢く勇敢なのに……甘い物を食べる君は驚く程可愛らしい……」
褒められてるのか馬鹿にされているのか、よく解らん。困ったなあ。そろそろ帰らないとアイリさんにまた怒られて、今後ますますお出掛けし辛くなるかもしれない。
祖母も門限には厳しかったな……まあヴィタリスでは門限を破ろうにも外に居場所など無かったが。
「僕が何か無礼を働いてしまったのならお詫びする。だけど、僕にはこの後約束があって」
私が正直にそう言うと……エステルの瞳に、涙が滲む……えええ……振り出し……?
「もういい! 君はひどい、さんざん人の心を惑わして……武骨で無愛想なコルジアの女につき合わせて悪かったな!」
ああ……やっぱり泣きながら走り去るエステル……なんで?
あと、こんなに豪快に置き去りにされると、ちょっと困る……フォルコン号を泊めた場所はどっちでしょう?もう全然解りません……とりあえず、海が見える場所を探そうか……