勇者噂話「くそっ、こいつは手強いぞ!」ひみつ大魔王「フハハハ、ここは通さぬぞ噂話め!」
そういえばアイリさん、そんな紹介状出してた!
でもマリーがハマームで起きた事を隠してるのもいけないんだよ。
三人称ステージ、続きます……
フォルコン号が去った翌日午前。ディアマンテでも指折りの格式の高いホテル銀獅子亭に、駅逓が宿泊客に宛てられた二通の手紙を持って現れた。
宛名には一通はエトワール・エタン・グラナダ侯爵様と書かれていて、もう一通にはマクシミリアン君と書かれていた。
ロヴネルらストーク人一行はグラナダ侯爵が泊まる特等室に付随している従者用の部屋に逗留していた。
手紙を読んだロヴネルは溜息を一つき、やや俯いた表情を見せた。
「あまり良い知らせではないのですか?」
共に逗留しているクロムヴァルが尋ねる。彼は舞踏会とは別に、情報収集の任務に当たっていた。
「君も読んでみてくれ」
「宜しいのですか? フレデリク卿からの大事な手紙なのでは」
ロヴネルはその便箋をクロムヴァルに渡す。クロムヴァルは暫しそれを黙読した後で、口を開いた。
「フレデリク卿は……本当にストークの人間なのでしょうか?」
「うん? 何故そう思う?」
クロムヴァルは勇猛で有能だがまだ若いロヴネル提督を補佐する、経験豊富な副官である。
「私も四十余年生きて参りましたが、こんなに達筆なストーク人は見た事がない。そして実務的な内容なのにエッダのように美しい文章。とても我々のような武骨者と同じ人間とは思えません」
「ふむ、確かにそうだ」
クロムヴァルは便箋をロヴネルに返しながら問いかける。
「これは本当の事なのでしょうか……南大陸北西部、マジュドの軍港ファイルーズの使用権、商港ヤシュムとの交易権、これでは状況がまるで変ってしまいます」
ロヴネルは憂鬱そうに眉を顰める。
「グラナダ候の大計も成功する兆しがあると。もしそうなればコルジアとアイビスは強固な同盟となる。また、独立を失ったアンドリニアの東回り航路は停滞気味だったが、再独立となればこれも活気づくだろう」
ロヴネルの言葉にクロムヴァルは頷きつつ訝しむ。
手紙に書かれていたのは、半分はそうなるようにと願っていた事で、残りの半分は願ってもいなかったような事だった。
「我が国に味方でいてもらえるよう、気を遣わなくてはならなくなるのはレイヴンのほう、という訳ですな」
「……うん」
「……大戦果ではありませんか?」
格式高い銀獅子亭の特等室ではあるが、従者用の部屋は二段ベッドが二つと簡素な椅子とテーブルがあるだけの、普通の商人宿ような部屋だった。
ロヴネルは椅子から立ち上がり、窓辺に歩み寄る。銀獅子亭の窓には透明度の高いガラスが贅沢に使われている。
「だがその大戦果を祝おうにも、フレデリク卿はもうディアマンテを立ち去ってしまった。私の働きが足りなかった」
背中を向けたままのロヴネルを見て、クロムヴァルは溜息をつく。
「トリスタンという魔術師の狙いは、コルジア王室の人間だったと……これはかなり取扱いに気をつけねばならない情報と思います。コルジアも極秘事項として扱うつもりだと。フレデリク卿が閣下にこの事を明かすのは、信頼の証であるとは考えられませんか」
ロヴネルは先程まで自分が座っていた椅子を窓辺に引き寄せると、浅く腰掛け、背もたれに大きく体を預ける。
「それとも、単に拗ねておられるのですか? 提督閣下」
クロムヴァルが無遠慮な言葉をぶつける。
「私も彼と共に魔術師と戦ってみたかった。だがその栄誉に浴したのは私ではなくグラシアン殿だ」
「子供ではないのです、提督閣下。みっともない真似はおやめください」
「だからここで密かに済ませているんじゃないか……いい日差しだ……ストークの陰気な太陽とは違う」
「……手に負えませんな」
クロムヴァルは再び溜息をつき、私物の短い銀の煙管を口にくわえる。
◇◇◇
その日の夕刻。グラナダ侯爵はロヴネルと共に再びディアマンテ城を訪れていた。
今日と明日はある程度のドレスコードを守れる市民であれば、簡単な身分証明、犯罪歴が無い事を示すだけで入れる、宮廷舞踏会の一般公開日であった。
「貴賓が通るのだ、道を開けてくれ!」
中庭の混雑は大変なものだった。衛兵が先導してくれるのでどうにか通れるが、そうでなければ前に進む事も出来そうにない。
そのような状況なので本来は舞踏会の会場ではない小聖堂の周りにも三々五々、市民の集団が居て、その辺りに腰掛けていたり、立ち話をしたりしている。
皆人混みに疲れて脱出して来たのだろう。衛兵達も敢えて彼等を追い払おうとはしなかった。
「まあ、ロヴネル様よ」「ロヴネル提督ですわ」
グラナダ侯爵一行を見つけたのはエドムンド・バルレラ男爵の娘達、シルビアとアリシアだった。男爵令嬢はすぐに目当ての銀髪の貴公子の元に駆け寄る。
「やめないかお前達……今晩はグラナダ卿」
「貴方も呼ばれておりましたか、バルレラ卿」
娘達の後ろからやって来たバルレラ男爵も加わり、一行は小聖堂の入り口へと向かう。小聖堂の扉は閉まっていたが、一行が近づくと扉の両側に控えていた鎧兜を着た近衛兵が、すぐにそれを開けてくれた。
小聖堂の中は閑散としていた。入り口には近衛兵が二人、広い礼拝室に居るのは五人程の男女だった。
しかし、そのうちの一人は礼拝用の控え目な衣装を着ているが、間違いなくコルジア連合王国国王クリストバルの正室にしてディアマンテ女王のイザベル妃であった。
グラナダ侯爵もバルレラ男爵も、アロンドラ地方の平和的帰属案について意見交換をしたいという、ディアマンテ大司教からの呼び掛けに応じてここにやって来た。
それ故にバルレラ男爵は娘達も連れて来てしまった。まさか女王陛下その人が待っているとは思いもしなかったのだ。
礼拝室に居るのは女王の他、ディアマンテの大司教。それに、グラナダ侯爵の提案の最も強固な反対者と目されるベルガミン侯爵も居た。
グラナダ侯爵は一瞬、自分も年貢の納め時なのかと考えた。この呼び出しは自分達を始末する為の罠かと。しかし。
「お待ちしていた。グラナダ卿、バルレラ卿。折角の舞踏会の日に御呼び立てしてすまない」
最初に声を掛けて来たのは、残る二人のうち一人、やや古風なコルジア海軍軍服を着こなした、金髪の貴公子だった。
グラナダ卿もバルレラ卿も、二人の男爵令嬢でさえも、この男の顔はどこかで見た、という気がした。それもごく最近、もしかしたら数秒前、小聖堂の入り口横にある記念堂で。
礼拝堂にはもう一人女性が居た。しかしこの女性については誰の記憶にも無く、そして何故ここに居るのか誰にも解らなかった。褐色の肌をした健康的な美女だが、その衣装は異国の異教徒風だし、厳かな小聖堂に佇むにはその服は露出が多過ぎではなかろうか。
グラナダ侯爵とバルレラ男爵は礼拝室の中央に進み出る。ロヴネルと男爵令嬢達は礼拝室の後方で待つ事にする。
皆が集まると、まず、イザベル女王が口を開いた。
「私から申し上げます……こちらにいらっしゃる方は、かつてラヴェル半島連合海軍を率いて一大決戦に挑み、1100隻を越えるターミガンの大艦隊を打ち破り、今日のコルジアの繁栄の礎を築いた、アグリアス王の第四王子にしてコルジア海軍元帥、アグスティン閣下ご本人に相違無い事を……ディアマンテ女王として保証致します」
グラナダ侯爵の額に冷や汗がわく。あまりの事と思い彼はベルガミン侯爵の方に視線を送る。
――本気?
ベルガミン侯爵は、酷い胃痛を堪えるような表情で、グラナダ侯爵の視線に応える。
――本気。
アグスティン提督。百数十年前の英雄は亡くなった時のまま若々しく、その姿は微かに半透明で向こう側が透けて見える。良く見れば、時折彼が視線を向け互いに微笑み合っている異国の若い美女も半透明だ。
イザベル女王は続ける。
「アグスティン閣下。こちらはグラナダ侯爵でございます」
「オーレリアンの子孫だな。イザベル殿、君は先程ラヴェル半島連合海軍と言ったが、あの戦いにはアイビスも60隻の援軍を送ってくれたのだ、若いオーレリアンが中心となって陸に海によく支援してくれた。ああ、確かに彼の面影があるな。懐かしいよ」
アグスティンは微笑む。グラナダ卿は見た目は自分よりずっと若いその男の覇気に気圧され、会釈する。
「こちらが旧アンドリニアの……バルレラ男爵でございます」
「バルレラ家は侯爵ではなかったのか?」
アグスティンの問いに、バルレラ男爵は応える。
「アンドリニア王家はコルジア王家と統合されましたので……その際にバルレラ家は侯爵位を返上したのです」
「そうか……君もカリスト提督に似ている。彼は私より十五歳くらい年上だった。あんな部下思いの軍人は他に居なかったな……私はよく彼に怒られてね、水夫達の気持ちを考えろと」
「……恐縮です」
急にそんな祖先の話をされてもどう応えていいのか解らないバルレラ男爵は、曖昧な会釈を返す。
「本題に移ろうか。私はフレデリク卿に呼び出されここにやって来た。彼が私をここに呼んだ理由が何であれ……私はフレデリク卿に人生最大の感謝を捧げている」
アグスティンはそう言って、傍らの異教徒風の美女……トゥーヴァーの方を見る。トゥーヴァーは頬を赤らめ、少し視線を逸らしていたが、やがて真っ直ぐにアグスティンの方を見る。
「そんな彼の希望が、グラナダ侯爵の支援……アロンドラ地方のアイビスからコルジアへの割譲だと言うじゃないか。私は俄には信じられなかった。しかし新世界の存在という物が関わって来るとなると、状況はまるで違うだろう。この件についてイザベル女王陛下の保証の下、良い意見交換が出来ればと思う」
グラナダ侯爵は、フレデリクの言葉を思い出していた。
――相手を選び、ダンスを愉しむしかないですね。私も伝手を当たってみましょう
伝手を当たる。それ自体はよくある言葉なのだが。一体フレデリクはどんな伝手を当たったと言うのか。彼女は既に女王陛下を交渉のテーブルに引き出してしまっていたというのに。
バルレラ男爵も思い出していた。
――慌てる事は無いでしょう。なるようになると思いますよ。
なるようになると言っても、このようになるなど誰がどう予想出来るのか。フレデリク卿が話す言葉の強さに戦慄する他は無い。
その様子を遠巻きに見ていた、ロヴネル提督の額にも一筋の冷や汗が伝う。
フレデリクは一体どこを冒険して来たというのか。今朝は自分もその冒険について行ってみたいとは思ったが、現実にそんな事は可能なのだろうか。
そして。狼狽し、恐縮するアロンドラ侯爵エトワール・エタン・グラナダを、密かに冷徹な瞳で見つめていたのは、ディアマンテ女王、イザベル妃だった。