ロワン「親切なアイマスク男から金貨と銀貨を貰ったよ! 変な奴だけどいい奴だよ!」
あっさり見つかってしまったエステル。
そしてレイヴンがフレデリクを探してると。それはいいの?
悪戯を見られた悪戯小僧のように、私が硬直していると。
「……待て!」
エステルは手を伸ばしながら駆け寄って来る。ああああどうなるのこれ! と思いきや……彼女は私の横を駆け抜けて行く。
「待ってくれ、君はホドリゴの事を教えてくれた男だろう!?」
「ヒッ、知らない、知らないよ、私は何も」
エステルは少し離れた所に居たかなり背の低い、汚れた道化師の服を着た男の袖を掴んでいた。男はエステルの手を振り払い逃げようとしている。
「ホドリゴは既に逮捕されて更生中だった!」
「そんなの私は知らないもん! 私は知らないもん!」
「君を責めるつもりは無いんだ、頼む、君は別の情報も持っていると言っていた、お願いだ、ホドリゴが駄目だったんだから、別の情報をくれ!」
「駄目だよ! 他の情報が欲しいならまた金貨4枚、いやいや違う、私は何も知らないんだった! 私は情報屋なんかじゃない! 失業中の道化だよ!」
男はエステルを振り解こうと腕を振り回す。男の腕と足は子供のように細く短く、まるで力が無いようだった。
それでもエステルは振り解かれたかのように、手を離した。
「お前なんて知らない! フン!」
男は引っ張られて伸びた服を調えるような仕草をしながら、歩み去って行く。
エステルは私を見てたんじゃなく、あの男を見ていたのか。そして相変わらず私ったらアイマスク一つしただけで、他人からは誰だか解らなくなってしまうのね……ここまで来るとマリーとは何なのだろうという疑問さえ浮かぶ。
エステルが溜息をついている。ホドリゴ船長のような大人の男にも食ってかかる、勇ましい女の子だけど……今の手の離し方には優しさを感じる。弱い者を力で抑えつけたくないんだな。
「金貨4枚とは大金だな。君はそれだけ払ったんじゃないのか?」
私は尋ね人の掲示を背中に隠すように立ち、声色を変えて話し掛ける。
「海賊の情報を……買ったつもりだった」
「代金を取り返さなくていいのか? 商品に問題があったんじゃないのか」
「あの様子では、もう金も持っていないようだ……誰かに取り上げられたんだと思う。あの男、金を持っている時はとても饒舌なんだ」
エステルは諦めたように呟くが、私は妙な疼きを覚えていた。これはフレデリクの知恵か、それとも悪いマリーの囁きだろうか。
「面白そうだな。ねえ? 僕はヨアキム。ちょっと運試しをしてみないか」
「……運試し?」
私はエステルにここで待つようにという仕草をして、道化を追い掛ける。
「君、ちょっと待って」
「何だ! お前も知らない! 私は知らない!」
男に追いついた私は、ポケットから金貨を4枚取り出して見せる。男はそれを取ろうと手を伸ばす。私は手を引っ込める。
「海賊の情報を知っているんじゃないのか?」
「知っているよ? 南大陸で暴れていた海賊が、今朝密かにサフィーラに入港したよ! そいつの名前や人相を知りたいか!」
その男、道化師のロワンは、ビセンテという船乗りについて話してくれた。南大陸の北西沿岸を荒す海賊で、賞金は懸かっていないが、逮捕すれば名を上げられるという。
私はロワンの事も聞いてみた。
「君は失業中の道化師だとも言っていたな。以前はどこかの屋敷に居たのかい?」
「ああそうだ! ロワンはそれは立派な道化師だったよ!」
エステルが言った通り、ポケットに金貨が入った途端ロワンはとても饒舌になり、自分はバルレラ男爵の家に居た事、主人から子供までロワンのジョークで笑わない者は居なかった事などを教えてくれた。
「それは愉快な話だ。今の話にチップとして銀貨をもう2枚あげるけど……これは靴下に隠しておくといいよ」
私はそう言って、銀貨を1枚ずつロワンの靴下に挟んでやってから、エステルの所に戻った。
エステルは私とロワンの様子を遠巻きに見ていた。
「あの男に……金を払ったのか? こんな事言いたくないけど、私があいつに騙されたとは思わないのか……」
「彼は僕が知りたい事を教えてくれると思うよ。今、彼はビセンテという名前の船乗りについて話してくれた……ちなみにホドリゴの姓名もビセンテだな」
「呆れた! 奴は貴公にもホドリゴの情報を売ったのか!?」
「僕が知りたかった情報はそれなので、構わないんだ。さあ、付き合えよ」
私はそう言って、去って行くロワンを指差し、歩き出した。
「ちょ、ちょっと待て! 貴公……君は一体何者なんだ!? 付き合えというのはどういう意味だ!? わ、私は……」
ああ。やっぱり私の男装は成功しているのね……エステルは本当は私をマリーだと解っているんじゃないかと少し期待したんだけど……本当に解らないのか……
私は振り向いて言う。
「冒険は嫌いかい? ホドリゴという男は確かに最近まで海賊だった。彼がサフィーラに来るのはかなり久しぶりのはずだし、予定されていた来訪でもなかったんだ。海賊ホドリゴが今朝サフィーラに来たという情報は、決して簡単に手に入る物ではないはずなんだよ。彼がそれをどこから仕入れたか知りたくないか?」
エステルはだいぶ迷ったらしく、すぐにはついて来なかったが、やがて決心がついたようで、ロワンを尾行する私の5mばかり後ろを歩き始めた。
「さ、さっきの話がまだ済んでいない、君は一体何者なんだ」
「ヨアキムだよ。最近ロングストーンから来たんで、ホドリゴが捕まった事も更生中な事も知っていた」
「そうじゃなくて……何故その、この件に首を突っ込もうとするんだ、あんなお金を払ってまで」
「あんまり大声で話したくないんだけど。話があるならもう少し近くへ来いよ」
幸いロワンの足は遅く、その姿は小さいがとても目立つので、尾行は難しくない。
私は足を止め、振り向いて待つ。
エステルは伏し目がちに私を見ていたが、やがて観念したか、近くまで来た。
「君はさっき、ロワンはもう君から受け取った金貨を誰かに巻き上げられただろうと言ったね」
「……確証は無いけれど」
「今から、同じ事がまた起こると思うか?」
私はまたロワンを指差す。
エステルはずっと困惑の表情を浮かべていたが、何かに気付いたかのように表情を引き締め、頷く。
「そうなるのだろうか」
ロワンは時々道行く人に話し掛けながら、倉庫街の方へ歩いて行く。上機嫌な様子で結構だが……あれで不逞の輩に目をつけられ、金を巻き上げられたりするのだろうか。
実際にそんな話だったらどうしよう。私とエステルで何とか出来るだろうか……この子はトライダーやジェラルドとは違うよなあ。
倉庫街はまだ日も高いという事もあり、荷車や人足の出入りも多く賑わってはいたが、こういう街には死角も多い。
「ボボネの旦那! ボボネの旦那!」
ロワンが誰かに手を振り、ドタドタと駆けて行く。
「何か見つけたようだな。僕らも近づいてみよう」
「う、うん」
私達も身を隠しつつ、ロワンが駆け寄って行く方へと走る。
「旦那! ロワンはまたやった! また情報を売って来た! ロワンは役に立つ男だよ! 本当だよ!」
「馬鹿、うるさい! お前また自分を情報屋だと言いふらして歩いたな!?」
「言ってない、ロワンは情報屋じゃないと言った!」
「それじゃ言ってるみてえなもんだ……それで? ホドリゴの情報がまた売れたと?」
「また売れた!金貨2枚で売れた!」
「ほう……じゃあちょっとそのポケットを調べてみようか」
「ま、待って! 本当に2枚!2枚だけ!」
「じゃあこれは何だ?1、2、3、4……4枚じゃねえかこの野郎!」
私達は倉庫街の塀の向こうから、そのやりとりを聞いていた。
何かを叩くような音がした……
「ヒッ……だ、だけど……ロワンはもう情報代を払った……」
「俺が流した情報を売ってんだから、この金は俺の物に決まってるだろうが! ほらよ、手間賃だ」
「ど……銅貨だ……これは銅貨! おかしい! ロワンはチップですら銀貨を2枚もらった!」
ああ……ロワンの馬鹿……
「何? その銀貨はどこだ?」
「し、知らない! 銀貨なんか知らない!」
「何で足首を押さえてるんだ? おい、その靴下を見せてみろ」
「知らない! 知らない!」
私はレイピアに手を掛けていた、エステルの手首を掴む。
「よせ」
「し、しかし」
「いいかロワン? これからはもっと正直に働けよ? そうしたらお前はあの屋敷に戻れる。俺が口を効いてやるからな。だが嘘をつけば? 俺は男爵にお前は嘘つきのままだと言う」
「やめて……ロワンはもう嘘をつかないよ!」
「それでいい。この銀貨2枚と引き換えに銅貨2枚をやるよ? 返事は?」
「あ、ありがとうございます、ボボネの旦那」
「そうだ」
私は溜息をつく。こんな話、人間の居る所ならどこにでもあるんだろうなあ。
あのボボネの旦那とかいう奴は何者だろう。遠目に見た感じでは港湾役人のようだった。
「港湾役人の不正だな。役目上知り得た情報を、あの失業中の道化を使って不正に売って上前をはねているんだ。君はどう思う?」
「……いつまで手首を握ってるんだ」
「ああ、ごめん……そういえば、まだ君の名前を聞いていなかったな」
いや、本当は知ってますけどね。
「エステル・エンリケタ・グラシアン。騎士見習いだ……貴公も正式に名乗ってはくれないか」
「……笑うなよ?」
「……何故? 名乗りで笑う訳が無い」
「僕は……フレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト」
エステルは一瞬、眉を顰めた。私はそれを咎めるように言う。
「ほら見ろ! 君も僕の名前を少女小説の脇役のようだと言うつもりだろう!」
「ち、違う! いや……すまない……確かに一瞬そう思った……本名なのだな?」
「だから名乗りたくないんだ、全く」
危ない危ない。やっぱりエステルちゃんも読んでたのね、あの小説。