アレク「等級も高いし品質も揃ってる……いいんですか? うちが買っても」商人「ああ、イサンドロがマスクドの船に売ってやってくれって」
不精ひげはフレデリクの海賊時代の手下、セレンギルに助け出されていた!
勇者噂話に助け出された格好だね!
ディアマンテでのマリーの冒険も、静かに、無事に終わろうとしていた。
高台に居るのは私とエステル、二人だけとなった。私は意を決して言った。
「あの……エステル! 今度こそ一緒に……フォルコン号に乗って下さい! 勿論バルレラさんの所の仕事が終わってからでいいよ、私達ここで待ってるから!」
フォルコン号の八人目はエステルで決まり! 最初は皆と上手くやれるかどうか何て考えたりもしたけれど、全然問題無いよ。エステルはいい子だし上手くやれるに決まっている。
船酔いも大丈夫だよ、私とほとんど体格一緒だし、お姫マリーでも銃士マリーでも着てもらおう。そのうちに、アイリさんに頼めばいい。
「……少しだけ、時間をくれないか、マリー・パスファインダー」
エステルは急に真剣な顔をしてそう言った。そっか、誰かと相談して決めたいのかも。エドムンドさんかな?
「わかった。じゃあいい返事を待ってるね!」
「ごめん、そういう意味じゃなく今だ、今、マリーの時間を少しだけ私にくれ」
エステルはそう言って右手を差し出しかけたけど、すぐ引っ込めて、代わりに左手を差し出して来る……握手ですか?
私も左手を差し出すと、エステルは私の手をしっかりと掴んだ。
「少しだけ、私を見てくれ」
「……うん?」
なんだろう。真剣な表情のエステルが……じっと私を見ている。私もちょっと照れくさい気もするけど、エステルを見る。
私の顔に何かついてるのかしら……?
あと……知ってたけど、エステルってキリッとした美人だよなあ。
切れ上がった大きな瞳は長くて綺麗な睫毛と相まって、とても印象的な魅力がある。小振りで瑞々しい唇はいつも引き締められているけれど、ふとした弾みに漏れる微笑みは、夜明けの光のように暖かく眩しい……
えっ?
涙……
エステルは一粒の、小さな涙を零した……
あの日サフィーラで見た泣き顔とは違う……あの時は眉を歪めぽろぽろ涙を零していたけれど。今はしっかりと目を見開いた、凛々しい表情で一粒の涙を……
エステルは、瞳を閉じた。
私は何となく自分の手を見る。エステルの左手が私の左手をしっかりと握っている。右手は……包帯を巻いているし、やっぱり痛いのかしら。
「ありがとう、マリー・パスファインダー」
エステルは再び瞳を開いた。
「先程君が飛び出して行った後で、私は女王に召し出され、マルガノ準男爵に封じられた。全て君のおかげだ……こんな栄誉は想像した事も無かった」
「ええーっ!?」
しまった。思わず大声を出してしまった。周りの人びっくりしてない!? 良かった、近くには誰も居ない。
「凄いじゃないですか!? 準男爵って世襲貴族ですよね!? それじゃあ、御家再興の本懐を成し遂げたんですね!?」
「御家再興の本懐って……ははは、小説か何かの読み過ぎだ、そんな立派な物じゃない。君に言われた通りの場所に居ただけでこうなったんだ」
エステルはようやく、真剣な表情を崩し、苦笑いを浮かべた。だけどまたすぐ元に戻る。
「本当に有難う。グラシアン家の使用人は高齢者と年少者が多くて、私が見習いのまま16歳になってしまったら、召し放ちになり大変苦しい生活をする事になっていただろう……君には感謝以外無い。そして……私はマルガノに行かないといけないし、サフィーラからマルガノまでの使用人達の旅の手配をしないといけない」
我が事のように嬉しいだなんて思う事って、世の中にそんなに多くはないけれど。私は我が事のように嬉しく、胸が弾み心が躍った。私はイマード首長やミゲル艦長のように、両手でエステルの左手を取って激しく上下に振り回す。
「私じゃないよエステルの力だよ! 認められたんだよエステルの実力が! やったよ! 世の中こうでなくちゃ、エステルはいつもすごく頑張ってたんだもの、報われて当然ですよ!」
私は滅茶苦茶にはしゃいでしまった。エステルは冷静な様子で、のぼせきった私に左手を振り回されながら苦笑いをしていた。私はまだ興奮していたが、それを見て何とか自分を落ち着かせる。
そうだよね、エステル自身はこれからが大変なんだ、準男爵になる、って大変だよきっと。部下をまとめて、領地の平和を守らなくちゃならないんだもの。
「……それじゃあ、フォルコン号に乗ってる場合じゃないか……あの! サフィーラからマルガノへの旅とか、何かうちの船に手伝える事無い?」
「ありがとう。だけどマルガノはゴルリオン領内の内陸の土地で、移動は陸路になる」
「そっか……そうだ! エステル! これを受け取って!」
私は剣帯からトゥーヴァーさんのレイピアを鞘ごと外し、エステルに差し出す。
「あの、待ってくれ、思い出の品を貰えるのはとても嬉しいけれど、いくら何でもこれは受け取れない、私も小聖堂での話は聞いていたし、その巨大なルビーから魔法のような光が零れるのも見ていた、こんな大層な代物は……」
エステルは驚きに目を見開き、困ったように眉を顰める。
「もし要らなかったら、次に会った時に返してくれたらいいから! アイビス人の習慣なんです、また会いたい友達には自分の日用品を預けるんですよ!」
私は尚も剣を押し付ける。エステルはそれでも少しの間躊躇していたけれど……やがて、包帯だらけの右手を、その鞘に伸ばした……
「っ……!」
「あっ!? ごめん、まだ痛いんだ!」
右手で鞘を掴んだエステルの表情が微かに歪んだ……私は慌ててエステルの左手を離す。エステルは苦笑を浮かべながら、レイピアを左手に持ち直す。
「解った。大切にするよ……ふふ。君の記憶の中に、自分の一番いい顔で残りたかったのに。君と話していると、結局色々な顔をしてしまう」
エステルはそう言って仕方なそうな苦笑いに溜息を添える。
私の心を、急な寂寥感が襲う。
「あの。また会えるよね? パスファインダー商会の本社はロングストーンにあるから、何かあったらいつでも呼んで下さいよ」
「そうだな。いや……うん……」
エステルは。何かを言い掛けてはやめる、という仕草を何度か繰り返してから。
「勿論だ、マリー・パスファインダー。君の方でも……万一、私で役に立てそうな事があったら言って欲しい」
そう言ってエステルは自分の剣帯にトゥーヴァーさんのレイピアを提げる。この剣も、私のようなヘナチョコの玩具でいるより、エステルのような立派な騎士の差料になる方が幸せだと思う。
「それじゃあ。おやすみ、マリー・パスファインダー。さようなら」
エステルは最後にもう一度微笑んで。それから綺麗に踵を返すと、振り向かずに去って行く。私はその背中をそのまま見つめていた。
手柄を立てて騎士になれるまで、一緒に冒険をしようと。エステルもそう言ってたし私もそうしたいと思っていた。
だけどエステルは大きな手柄を立てて騎士を飛び越え準男爵にまでなったのだ。もう目標は達成したのだ。そして次は準男爵の仕事に取り掛からないといけない。
エステルが出世した事はとても嬉しい。でもこんなに早くお別れになるとは思ってなかった。エステルとはまだしばらく一緒に居られると思ってたのに。
もう一晩くらいお喋りする訳には行かないの? 夢を叶えたエステルと……あっ、私がエステルを追い掛けてって、男爵令嬢の護衛についてって、その後なら話せるかしら?
いや……そんな風につきまとわれても、エステルだって困るかな?
……
待って! 私エステルにさよならもおやすみなさいも言ってないよ!
だけど私が考え事から頭を引き戻し、慌てて辺りを見回した時には、エステルの姿は見えなくなっていた。
「ちょっと! エステル! 待って、エステルー!?」
私は慌ててエステルを探し、その辺りを駆け回る。
けれども。もうエステルは見つからなかった。
エステルは波止場近くの路地裏の物陰に佇んでいた。
「ちょっと! エステル! 待って、エステルー!?」
エステルが潜む路地の表通りを、マリーの声が、自分の名を呼びながら通り過ぎて行く。エステルはまた苦笑いを漏らす。もう、マリーがやりそうな事は手に取るように解る。
マリーはもう一度追い掛けて来るという、エステルの予想は的中していた。
こういう事を無自覚に仕掛けて来るから、マリーはたちが悪いのだ。
エステルは限界だった。涙はとめどなく、後から後から湧き出し、鼻水にも混じり、顔は歪んでぼろぼろ、口も半開きで嗚咽が止まらない。
こんな顔でマリーの記憶に残りたくない。頑張って作った、自分の一番いい顔で。マリーの記憶の片隅に残りたい。
瞳を閉じるエステル。その瞼の裏に、たった今焼き付けたマリーの姿が鮮明に浮かぶ。
「マリー……」
エステルは崩れ落ちるように路地裏にしゃがみ込む。
これでいい。これ以上望んではいけない。
マリーの記憶の中の自分の姿は、遠からず色褪せ消え去って行くだろう。
だけど自分は忘れない。いつまでも。折々に瞳を閉じては、瞼の裏にマリーの姿を描き続けるだろう。