刑吏「さあ、そろそろ鞭打ち刑を始めないと」不精ひげ「待ってくれ頼む、もっと面白い話もあるから……」覆面鞭おじさん「もう十分だ、いい加減にしろ!」勇者噂話「その男の鞭打ち待った!」一同「だ、誰だ!?」
キャプテン・トゥーヴァーはアグスティン提督を知っていた。
だけど仲良しという訳ではないみたい。
トゥーヴァーとアグスティンの視線が交錯する。
次の瞬間、アグスティンは剣帯に下がっていた短剣を宙に放ち、トリスタンに向けて跳んだ。
トゥーヴァーはその短剣の柄を空中でしっかりと掴むと、トリスタンめがけて降下する。
フレデリクはさすがに焦りの色を浮かべ、トリスタンの瓦礫の嵐を後方へ回り込みながら避けようとしていたが、今度は先程までとは嵐の密度が違った。
シャンデリアやそれを支えるロープが、次々と破壊、切断されされて行き、足場を失ったフレデリクは礼拝堂の隅に追い詰められる。
嵐が迫り、フレデリクがたちまちに切り刻まれようかとしたまさにその瞬間、アグスティンは追いついた。
「グロアァァァ!」
半透明の、鈍く光るアグスティンの剣に煙となった胴体を両断され、トリスタンは苦悶の呻き声を上げた。煙は再び集合しトリスタンを形作るものに戻ったが、この攻撃は十分に効いていた。
木片が、剣が、その他諸々のトリスタンが操っていた物が、突如力を失って床に降り注ぐ。
「うわああ!?」「危ない!」
広範囲に降り注ぐ瓦礫に、司祭や修道女は逃げ惑うが、近衛兵達は身を張って彼等を庇った。
「ギィィィア!!」
上空では降下したトゥーヴァーがやはりその湾曲した短剣で、トリスタンの右腕を両断していた。煙はやはりトリスタンの元へと集まるが、効いている。
「オグス! ドロン! ゾォン!」
トリスタンは左腕を振りかざす。その左手から青い光が溢れ、その手が通った空間に光が残る……と思われた瞬間、光が爆発し、青い衝撃波となって礼拝堂の空間を襲った。
「ぎゃあああ!?」「何だ!?」
近衛兵達もこの避けようのない魔法に怯えるが……この衝撃波は彼等には何の影響も与えなかった。
「これは一体……」
「あ……あの方々が!」
司祭にも影響はない。しかしそれを見た修道女は悲鳴を上げて指差した。アグスティンとトゥーヴァーが、床に転倒しているのだ。無敵かと思われていた彼等を攻撃する手段を、トリスタンは持っていたのだ。
しかし、その瞬間を逃さなかった者が居た。トリスタンが何らかの力を使い、変化した瞬間を。
「フレデリク……! おのれ……またしても……」
意外な程、はっきりした声で。トリスタンは呪詛の呟きを漏らした。
トリスタンが魔法でアグスティンとトゥーヴァーを攻撃した瞬間に、フレデリクがその体を一杯に伸ばして放った空中での刺突の一撃は……トリスタンの眉間の一点を捉えているかのように見えた。
トリスタンの体は、その一点から加わる力に吹き飛ばされたかのように、激しく、礼拝堂の吹き抜けの高い壁に叩きつけられたかと思うと……煙から、泥のような物へと変化し……べったりと、こびりついてしまった。ただの、真っ黒な泥のように。
フレデリクは落下していた。シャンデリアの残骸を足場に跳んだはいいが、その先に足場はなかった。不測の状況での千載一遇の機会に賭けたフレデリクは、今度は華麗な着地までは計算していなかった。
「ぶぎゃっ!?」
田舎のお針子がつまずいて転んで鼻を打った時のような、無様な悲鳴を上げて、フレデリクは床に転がる。
数秒間の間、誰も動けなかった。
最初に動き出したのはアグスティンだった。立ち上がった彼はトゥーヴァーに歩み寄り、彼女を助け起こそうとする。
しかしトゥーヴァーは跳ね飛ぶように起き上がり、さらに後ろに三回も飛び退く。
「こ、この短剣は今は返せないよ! つーかアタシは海賊で泥棒だからね!」
トゥーヴァーはアグスティンに向けて短剣を構えたまま、辺りを見回す。
「あの悪霊ごっこの化け物は? マ……フレデリク、あんたが倒したのかい?」
「きゃあああ!」
真後ろから上がった黄色い悲鳴に、トゥーヴァーは驚いて小さく飛び上がる。トゥーヴァーが振り向くのと、その悲鳴を上げてトゥーヴァーを追い越した修道女が飛び出すのが同時だったので、その修道女はトゥーヴァーの目に入らなかった。
「フレデリク様!? ご無事ですか!?」
修道女はフレデリクに駆け寄ろうとするが、フレデリクは、先に左手を上げて、大丈夫、という風に手を振る。
「さすがに少し痛かったけど、平気だ……」
トゥーヴァーは怒りに燃えた瞳をアグスティンに向ける。
「じゃあ今度はこっちの用事だ。もういいだろフレデリク、こんな所からは早くおさらばさせておくれよ!」
「待ってくれ、トゥーヴァー殿!」
「あ、あんたにトゥーヴァーなんて呼ばれる筋合いはないよ! この海賊めって言えばいいじゃないか!」
アグスティンは剣を収め、まだ床に転がっているフレデリクに真っ直ぐ向き直る。
「フレデリクと仰る方……貴兄が私にこの機会をくれたのか。それはアシュラフの光だな? 南大陸のソヘイラ砂漠の彼方、古代王国ルマーニの秘宝……歴代のルマーニの王はその力を用い、古の賢者達と会話し、民を治めていたそうだ」
フレデリクがようやく顔を上げる。アグスティンが言っているのは、元はトゥーヴァーの物であった剣の鍔についた飾りの事らしい。
「この水晶が……何か?」
「それは水晶ではなく、純粋なルビーだそうだ」
「こんな大きいのに!? トゥーヴァーさ……こんな大きなルビーをこんな所につけたら駄目ですよ!」
フレデリクは小声で急きかける。
トゥーヴァーも思わずフレデリクに駆け寄っていた。
「うっそこれルビーだったの!? 商船から奪ったんだけど何か綺麗だからどこかに飾ろうと思って、それで剣の鍔に台座を作って取り付けて……」
「商船ではあるまい。貴女はよく御存知のはず。この秘宝をコルジア商人が持っていたとすれば、それはその者達がルマーニ王朝の末裔の、自然と調和して静かに暮らしていた人々を襲撃し奪い取ったからだ」
アグスティンは無念の表情を浮かべ、瞳を閉じる。
「その話はもう聞きたくないよ。とにかく海賊トゥーヴァーとその一味はコルジア海軍に成敗され、アタシはこの場所で形ばかりの裁判を受けた。アタシもさっさと殺せしか言わなかったし、あんたらもアタシの話を聞く気は無かった。それはいいよ別に。だけど!」
トゥーヴァーは堂々とアグスティンを指差す。
「アンタは王子様らしいけど、船乗りでもあったんだろ! どうしてアタシを乗艦や仲間と一緒に死なせてくれなかったんだい!? アンタには船乗り同士の仁義って物も無かったのかい! アタシは船や仲間と一緒に沈んだんだよ、なのにこの男、海に潜って私だけ地上に引き摺り出しやがったんだよ!」
周囲がざわめく。
今の今まで、恐ろしい悪霊がこの空間を恐怖と暴力で支配していた。
一時は大国の王子が殺害される所だった。それを防いだのは騎士見習いの少女や、天窓から降って来た貴公子だった。
次に彼等に呼応するかのように現れた、古の海賊トゥーヴァーを名乗る若い女と、今日まさに顕彰を行っていた古の英雄アグスティンによく似た若い男が……誰にも倒せないように見えた悪霊に深手を与えた。
そして最後にあの貴公子が悪霊を打ち破ったかと思ったら。海賊と英雄の喧嘩が始まったのである。
「静まってくれ。彼女の話を、皆にも聞いて欲しい」
アグスティンが周囲を見渡して言った。
「な……なんだよ調子が狂うな! 昔やったみたいに皆で石でも投げつけりゃいいんだ、もう当たんないよ、へへんだ」
トゥーヴァーは舌を出して手首を振ってから、続ける。
「アタシがコルジアの商船をさんざん襲ったのは事実さ。それをそこの王子様が成敗したのもね。それだけだよそれだけ、ただアンタも同じ船乗りなら、船長が最後は乗艦と一緒に沈みたいと願っているのを何で引き摺りだしたんだって事を、ちょっと言っておきたかったんだよ。いくら敵だ海賊だって言ってもさ、船乗り仁義ってもんがあるだろ、船乗り仁義ってもんが……ああ、もういいよ、フレデリク、アタシ帰りたいんだけど? これどうやったら帰れるの?」
「貴女は商船など襲っていない!!」
アグスティンが突然、語気荒く叫んだ。
「キャプテン・トゥーヴァーが襲ったのは、当時の我が国の法でも違法とされていた、南大陸の沿岸から奥地まで踏み込み、襲撃や略奪、誘拐を繰り返し、財宝を奪い人々を売り飛ばす不逞の輩共だけだった!」
トゥーヴァーは目を丸くして、二、三歩踏み出す。
「ちょ……待ってよ、アタシ本人だってそこまで綺麗事言いやしないよ、アタシ普通の商船も襲ったよ? 普通に」
「貴女は略奪者や密輸商人で無いと解った者は、襲撃した後に見逃している!」
「そ、それはその……たまには気が乗らない時だって……」
アグスティンは酷く項垂れる。
「解っていたのに、出来なかったのだ……海軍に入り我武者羅に力を追い求める日々……貴女を追い始めたのは最初は功名心からだった。しかしすぐに気づいたのだ。貴女の戦いの意味に!」
アグスティンは少しずつトゥーヴァーに歩み寄る。トゥーヴァーは二歩後ずさる。
「私は勿論訴えた。上官に、司令部に……父にも。しかし誰も取り合ってはくれなかった。たかが第四王子の若造に、人を動かす力など無かったのだ。私にはただ、他の海賊同様に、貴女を追い掛けて捕まえる事しか出来なかった」
アグスティンはトゥーヴァーのすぐ近くまで来て止まった。トゥーヴァーは視線を逸らす。
「わかった、わかったよ……もういいよ……アンタも辛かったってんなら、それで……アタシを海に潜って引き摺り出してまでディアマンテに連れてったのは、そうするように命令されてたからなんだろ」
「断じて違う!」
アグスティンはその場に跪き、自分の胸に手を当てる。
「貴女が船と共に沈んで行くのを、見ている事が出来なかった。ここで死なれてしまえばそれまで、二度と貴女には会えず、真実も闇のままになってしまう。貴女に裁判を受けさせるのは、最後の賭けだった」
「ちょ、待て……何の話を」
「私は貴女を深く愛していた」
「え……ええ!?」
「貴女に生きていて欲しいと願っていた! どんな場所であっても、例え私の物にならなくても、どこかで貴女に幸せな人生を送らせたい、私にそれ以外の願いは無かった! ディアマンテで裁判になり、それでも死刑判決が下るのなら、私は海軍も王子も辞めて貴女を連れて逃げるつもりだった……私の意図は父に見抜かれ、貴女がディアマンテに居る間、私は地下牢に押し込められていた……城の家臣達も海軍の部下達も、誰も私に賛同してくれなかった……私が牢から出されたのは、貴女が処刑され火葬された後だった……」
「ま……待ってよ! アンタその、王子様だろ、だめだよそんな事言っちゃ!」
「何も悪い事などは無い! これは偽らざる私の本心、私の真実だ!」
「だめだったら、異教徒で海賊の女をそんな、あ、アンタんとこの司教や司祭だって聞いてんだよ!? あいつら卒倒するよ!?」
「その後の人生は私の抜け殻が海を這い回っていたに過ぎないが、私はこの国から受けた程度の恩は十分返したと思っている。ターミガンにはいい迷惑だったろうが、彼等は私に死に場所をくれた! 何が英雄だ……アグスティンというのは愛する女一人救えなかった弱く愚かな男の名前だ……!」
アグスティンは一粒の涙を浮かべる。
「だが……今、やっと……真実を……真実を貴女に告げる事が出来た……我が命は絶えて久しく、当時を知る者も誰も居ない。今私が真実を口にした所で、誰に迷惑が掛かろうか……トゥーヴァー殿……私は貴女を、心の底から愛している!」
トゥーヴァーは顔を赤らめて、慌しく辺りを見回す。
「ちょっとマ……フレデリク!? 何とか言えよフレデリク! 何がどうなってんのさこれ!? アンタ知ってるんだろ!? アンタは何でも知ってるんじゃないのかフレデリク!」
フレデリクはレイピアの鞘を剣帯から抜き取り、それを杖のようにしてよろよろと起き上がる。
「ふ……ふふ……ふ、ふ、ふ……」
「な、何とか言えよ……」
トゥーヴァーの声が途切れる。その手に、跪くアグスティンの手が触れていた。トゥーヴァーはその手を振り払う事も握り返す事もなく、ただ顔を真っ赤にして見つめていた。
「エステル……君も無事か!」
フレデリクは記念堂の方に向かって叫ぶ。
「勿論だ! こっちは無事だ!」
不意に呼ばれたエステルは、涙声で答えた。古の英雄と海賊の会話を聞いて、感極まっていたらしい。
「正門はまだ開かないか? 誰かが暴れたせいでずいぶん埃が立っているし、このベンチの残骸は片付けないと」