覆面を被り鞭を手にした囚人歓迎係の半裸のおじさん「国王陛下の舞踏会で狼藉を働くとは命知らずよ。さっそくだが、行儀というものを教えてやらねばな」不精ひげ「……船長……たすけて船長……」
トリスタンは戦いの中でどんどん亡霊へと進化? しているという。
それを教えてくれたのは、自称悪霊のキャプテン・トゥーヴァーだった。
「グルグ……オウル……ゾォン……」
トリスタンが呟くと、聖堂の木製のベンチが一つ、ゆっくりと浮かび上がる。ベンチは高く浮かんだかと思うと、フレデリク目掛け叩き付けられるように飛来する。
フレデリクは余裕を持ってそれを避ける。しかし。床の石煉瓦の段差目掛けて叩きつけられた木製のベンチは二つに折れて砕け、複数の木片へと変わった。
今度はそれらが、宙に浮かび上がるのだ。
「皆! 少しでも物陰に入れ!」
フレデリクが叫ぶ。
木片は暴風のように聖堂内を飛び回りだした。他にも、先程トリスタンが巻き込み宙に浮かせた武器や家具や様々な物が、瓦礫の嵐となって聖堂内を渦巻き、駆け巡る。
「ぐあっ!?」「きゃああ!!」
司祭が、修道女が悲鳴を上げる。木片が飛び交う様は、さながら砲撃を受けた帆船の甲板のようだ。
「ああもう! フレデリクの為じゃ仕方無いね!」
トゥーヴァーはトリスタン目掛け突進する。彼女には木片も剣も当たらない。しかし今度はトリスタンの方も十分、トゥーヴァーの動きを見ていた。
「グエス……デロス……」
斜め後ろ上空へと下がり、周りながらトリスタンは巧みにトゥーヴァーとの間合いを維持し、邪悪な笑みに鬼面を歪める。
「馬鹿にするんじゃないよ青二才!」
トゥーヴァーには空を飛ぶ能力は無いようだったが、生きている人間には出来ないような跳躍力は持っていた。強く床を蹴って飛んだトゥーヴァーは、吹き抜けの二階部分の壁を蹴りつけ、三角飛びの要領でトリスタンを強襲する。
「アロイ……!」
トゥーヴァーの蹴撃はトリスタンの大腿の辺りを捉えた。一瞬瓦礫の嵐が止み、剣や木片がガラガラと床に落ちる。
しかしトリスタンはやはり体制を立て直し、さらに上空に離れてしまった。
「ウル……ゾォン!」
トリスタンが禍々しく叫ぶと、再び木片や燭台が舞い上がる。
「駄目だ……きりがない」
他にもベンチが一つ……二つと浮かび上がる。これが破壊されればまた木片が増える……だがその前に。
「危ない!」
エステルが叫んだ。そして治療をしてくれていた修道女を振り払い、シモン王子を囲んでいる近衛兵達の間に飛び込む。
トリスタンはベンチや木片や剣を一束にまとめ、三階程の高さから一気にシモン王子の頭上めがけて叩き付けようとしていたのだ。
――ド ガシャアアア ン!!
一塊になったベンチが、剣が、燭台が、砕け、弾け飛び、火花を散らし、散乱する。
しかしエステルは間一髪シモン王子をその場から遠ざけ、床に伏せさせていた。
「ぐあっ……」「ぬおおッ!!」
先程までシモン王子を囲んで守護していた重装鎧の近衛兵達の中には、ベンチや剣の直撃を受け転倒した者も居たが、命までは取られなかったようだ。
「王子! お怪我は!?」
エステルは床に組み伏せた幼い王子に、祈るような気持ちで叫ぶ。
「あ…あなたがけがを……」
王子には怪我はなかった。だけど振り向いた王子は、傷だらけのエステルの右腕を見て涙を浮かべていた。
エステルの怪我は先程のもので今負傷した訳ではなかったのだが、王子はここまで、エステルが負傷した所を見て居らず、怪我をしていたとは知らなかったのだ。
フレデリクは素早くその場に駆け寄り、二人を助け起こす。
木片や剣は再び宙に浮かんで行く。
「陛下と殿下を早く外に……皆何をしてるんだ」エステルが呟く。
「エステル、聖堂の門の鍵が熱で焼き付いて開かなくなっているんだ、外からも開けられなかった」
「何だって……それで君は上から来たのか」
上空ではトゥーヴァーがシャンデリアを支えるロープを足場にして跳躍し、トリスタンを追っていた。スピードはトゥーヴァーの方が早かったが、限られた足場しか使えないハンデは大きく、なかなかトリスタンを捉えられない。
「何とか今のうちに安全を」
辺りを見回していたエステルはふと、目の前の異変に気付く。
「フレデリク、君のその剣」
ふと見ると。フレデリクのレイピアの鍔についていた赤い水晶からまた、蛍火のようなものが微かに舞い、ひらひらとどこかへ飛んで行く。
フレデリクもエステルもそちらを見る。それは正面玄関横の八角形の部屋、アグスティン提督の記念堂の方だった。
「そうだ! そこなら天井が低い、エステル、王子を連れてそこへ!」
「解った、君は?」
「トリスタンを食い止めるよ」
エステルは頷き、背後に再集結していた重装の近衛兵達の方を向く。王子の周りを固めていた近衛兵達の間には、何となくエステルを中心に結束する空気が出来ていた。
「アグスティン提督の記念堂に下がって王子を守ろう、フレデリク達が牽制してるうちに!」
「おう! 今度はあんな事はさせない!」
「何が飛んで来ても、体で受け止めるぞ!」
トリスタンは再び木片や剣や燭台を浮上させ王子を狙おうとしていたが、フレデリクが再び立ち向かって来ると、そちらに向き直り……空中に浮かんでいた剣の一つの柄を握る。
フレデリクはそこへ、ベンチの背もたれ、講壇、そして畏れ多くも街の誰かの聖人像の頭を踏んで……突き掛かって行く。
「よせ! 剣を奪われる!」
誰かが叫んだ。しかしそれより前に。トリスタンはそのおぼろげな右腕に握った剣を、目の前に飛び出して来たフレデリク目掛け振り下ろす。
フレデリクは。シャンデリアを支えるロープの上という、この上なく頼りない足場に立ちながら、その悪霊の剣の一撃を……堂々と、自分の剣で受け止めた。
「おお……」
見た事も無い、華麗な剣の空中戦に、周囲から思わず嘆息が漏れる。
アグスティン記念堂に下がったエステルの元に、先程の修道女も駆けつけて来る。
「無茶をしないで下さい小さな騎士様、怪我の治療中でしたのに!」
「シッ、殿下に聞かれます」
「あっ……」
記念堂の入り口は近衛兵達が人間の盾で固めている。しかしシモン王子は外の様子よりエステルの方を気に掛けていた。
「はやくこの人を治してあげてください! おねがいします!」
「も、申し訳ありません殿下、大丈夫です、このくらいの怪我なら」
修道女が慌てて答えるのを見て、エステルは思わず軽く吹き出し、それから自分のそんな変化に驚く。最近の自分は、少し性格が変わった気がする……
「ん……?」
そんな事を考えていたエステルの目の前を、またあの蛍火のような物が一つ、通過して行く……それは、アグスティン提督像の後ろの、少し小さな石扉のような所の隙間へと消える。
次の瞬間。石扉の向こうで誰かが叫んだ。
「そこに誰か居るのか? 何が起きている!」
「ヒッ……!?」
修道女は非常に驚いて飛び上がった。エステルには彼女が何にそんなに驚いたのか解らなかった。溌剌とした若い男性の声だった。正面玄関が使えないから、別の所から援軍に来たのだろうか。
「襲撃を受けている、女王陛下とシモン殿下が中に居る、そこから脱出出来ますか?」
エステルは石扉の所に駆け付け、その取っ手に手を掛ける。別に鍵などはかかっていないようだ。横へずらせば開くだろう。
「ここを開けてくれないか? こちらからでは開かない」
「今開けます!」
扉の向こうからの声にエステルは答え、扉を横に開く。
「お、お待ち下さい、その扉は……!」
修道女は何かを言い掛けるが、エステルが石扉を開く方が先になった。
扉の中は真っ暗だったが、先程の蛍火が微かに光り、石壁を照らしていた。
その低い出入り口から身を屈めるようにして出て来たのは、コルジア海軍の軍服に将官用の外套をつけ、軍刀を携えた、若く堂々とした……金髪の美男子だった。
「聞きたい事は山ほどあるのだが、それどころではなさそうだな。何が起きているのだ? 他国に攻め込まれているとでもいうのか」
エステルはまずは普通に、この男は何を言っているのだろうと思った。いや、恐らく冗談なんだろう。女王と王子が城の聖堂の中で襲撃されているだなど、戦争でもなければ普通は有り得ない。
「邪悪な魔術師の奇襲です、兵士達の武器が全く通用しません。とにかく女王と王子だけでも避難させたいのですが」
「いや。コルジアの王族というのはそんなに簡単に兵を置いて逃げられるものではないのだ。私も含めてね」
海軍将官の青年が進みだして来る。エステルはようやく、その外套に王族を示す紋章がついている事にも気づいた。
「あなたは……」
シモン王子が青年を見上げて呟く。
「君がシモンか? よく頑張ったな。その年でたいした度胸だよ」
エステルはようやく、目の前で何が起きているのかに気付いた。
颯爽と礼拝堂への方へと大股に進み出て行く、半透明の青年……その後ろ姿は、アグスティン提督記念堂にある彫像の後ろ姿と、完全に一致していた。
赤い蛍火がまだひとつ……青年を追い掛けるように飛んで行く。
エステルの脳裏に、謎の微笑みを浮かべて振り返るフレデリクの姿が再生された。