衛兵「ええい、キリキリ歩け!」不精ひげ「お待ち下さい、これには訳が……」刑吏「舞踏会の日に大胆な奴め」囚人「ハハハ間抜けそうな奴がきやがった」
エステルを救うべく、天窓から聖堂に突入したフレデリク。しかし状況はフレデリクの想像を超えていた。
一方そんなフレデリクが連れて来た者は、悪霊魔術師も含めた誰の想像も超えていた……
「あんたのその剣、アタシがマリーにやったやつだね」
半透明の赤毛の美女は、傍らのフレデリクに気づいて言った。
「トゥーヴァーさん!?」
フレデリクがまるで少女のような甲高い声を上げる。しかし声が裏返ったのはそこだけだった。
「ちょっと今立て込んでるんだ、下がっていてくれ!」
一方この異変を無視する事に決めたように、トリスタンは指を振りかざし、剣やオレンジを次々とフレデリクに差し向ける。
フレデリクはその剣を弾き、避ける。王子を庇いながらのエステルと違い、その刃はフレデリクを掠める事もなかった。
「エステル!」
「ああ!」
その隙を突き、エステルはトリスタンに短剣を向けたまま、王子を抱え後退する。
「殿下!」「もう大丈夫ですぞ殿下!」
近衛兵の一部がようやくシモン王子の周りに辿り着いたように見えた、その時。
――ビュオオオ!!
幾つもの剣の束が、シモン王子目掛けて飛来する。
「させるか!」「この!」
フレデリクが、エステルが、宙を飛んで来る剣を武器で叩き落とす。しかし叩き落とされた武器はまたトリスタンの元へと戻って行く。
「ぐわああ!」
打ち漏らされた剣の一つが、王子を庇おうと体を張っていた近衛兵の一人の脇腹を捉える。
「どうすりゃいいんだ! きりがないぞ!」「陛下、外へ脱出して下さい!」
「駄目だ! 何とかして倒すんだ!」「武器が通じないんだぞ……どうやって」
近衛兵達の動揺は続いていた。
フレデリクはレイピアをしっかりと構え直し、叫ぶ。
「トリスタン! 何故こんな事をするんだ! 誰の為にやっている!? こんな事をしてお前自身に何の得があると言うんだ!」
そんなフレデリクに、この場でただ一人緊張感の無い半透明の美女が近づいて耳打ちする。
「念の為聞くけど、アンタってあれかい? 幽霊船を復活させたり男に変身したり出来る、凄腕の魔術師だったのかい?」
「良く見て下さいよ、魔法なんか使ってませんよ、ただし名前はフレデリクです」
フレデリクは半透明の美女に囁き返す。
「それで何だい、あの本格的なやつは。あいつのせいで、誰もアタシが幽霊だって気づいてなくない?」
「オゴセ……キサム……ネクス……ゾオン……」
二人が囁きあっている間に、トリスタンがまた何かを唱える。するとトリスタンのおぼろげな外套の内側から、黒い煙のようなものが溢れ出し、周囲に渦巻き始める。
「気をつけろ! また何か始まる!」「今度は一体何だ……!」
周囲に動揺が広がる。
トリスタンの見た目も変化していた。現れた時は、ひび割れた石膏のようではありながらまだ人の形をしているように見えた顔が、半ば実態を持たない禍々しい粒子の大群であるかのように変わりつつある。
そして。トリスタンの体からしみ出した渦巻く煙に引きずり込まれるように……周囲にあった燭台や旗のついた槍、小さな椅子、様々な雑貨が、ゆらゆらと空中に浮かび上がって行く。
「無理だ、こんな……」
近衛兵の一人が呟く。
フレデリクはちらりと後方を確認する。エステルは王子を連れての撤退に成功していた。王子はまだ聖堂内にあり危機が完全に去った訳ではなかったが、今は大きな柱の陰で、周囲を重装鎧を着た近衛兵に囲まれている。
トリスタンは聖堂の唯一の出入り口である正面玄関近くの、2m上空に浮かんでいる。高い吹き抜けにはいくつかの燭台のついたシャンデリアとそれを支えるロープが張り巡らされている。
フレデリクはレイピアを何故か左手に持ち替え、トリスタン目掛けて走り出す。
「おい、無茶すんな!」
そう叫んだのはトゥーヴァーだった。
トリスタンが指を振るとたちまち、一振りの剣がフレデリク目掛け飛来する。
しかしフレデリクはトリスタンの指の動きをしっかりと見て反応していた。軽いステップで飛来する剣を躱したフレデリクは、別の、宙に浮かんでいた剣の柄を右手で掴む。
「ガロス……」
「なっ……」
トリスタンは幽鬼のような顔をさらに歪め、そちらに指をかざす。フレデリクは剣を掴んだまま宙吊りになってしまう。近衛兵達はこの現象を既に見ていたが、フレデリクは知らなかった。
そのフレデリクが。突然、剣を掴んだまま床に落ちた。
「ああっ……」
修道女の一人が、目の前で起きた事に目を見張る。
天窓から降って来た男が、魔法か何かで呼び出した、半透明の美女が……勇躍、フレデリクに続いて突撃し、軽やかに跳躍して空中で半回転し、悪霊の脇腹の辺りに、回し蹴りを見舞ったのだ。
その一撃は空を切る事も、吸い込まれる事もなく、ごく当然のように悪霊を折り曲げ、弾き飛ばしたのである。
「おおっ……!」「効いたぞ!!」
近衛兵達も色めき立つ。まるで対抗手段が無いようかに見えたこの悪霊に、立ち向かえる人物が居たのだ。
トリスタンは少し後退してすぐに態勢を立て直してしまったが、触れる事も出来なかった先程までと比べれば、状況には雲泥の差がある。
「マ……フレデリクだっけ? いくらあんたでもこいつは手に負えないよ! はあ……だからアタシを呼び出したのかい……だけどアンタも悪趣味が過ぎるよ、よりによってこんな所に呼び出すなんて」
トゥーヴァーは辺りを見回すと、怯えたように自分の身を抱える。
フレデリクは内心酷く困惑していた。天窓から下を覗くまではまさかこんな騒ぎになっているとは思ってもみなかった。そして傷ついたエステルを見て慌てて乱入した。
その直後トゥーヴァーが現れた事については、何一つ承知しておらず、心当たりも無かった。
そしてトゥーヴァーの様子は少しおかしい。トゥーヴァーは目の前の悪霊めいた魔術師は平気だが、この場にある何かに怯えているようなのだ。
近衛兵の一人がトゥーヴァーに向かって叫ぶ。
「だ……誰だか知らないが協力に感謝する! その悪霊を何とかしてくれ!」
それを聞いたトゥーヴァーは、両手を腰に当て胸を張ってその近衛兵の方に向き直る。
「アンタね、誰に物を言ってるか解ってんのかい! アタシは海賊、キャプテン・トゥーヴァー! 百何十年前にコルジア海軍にとっ捕まって間違いなくこの場所で形ばっかの裁判を受けさせられて処刑された、本物のね、あの、本物だよ? 本物の悪霊だよ! 現世に恨みだってあるんだよー? ちょっとは怖がれ」
トゥーヴァーはそう言っていたずらっぽく笑い、手首をぶらぶらと振って舌を出し、それから後ろを振り返って、トリスタンを指差す。
「こんなね、見た目ばっかりかっこつけた悪霊もどきと一緒にされちゃ迷惑だね。だいたいコイツまだ死んですらいないじゃん」
フレデリクが掴んでいた剣はトリスタンの支配を逃れたらしい。フレデリクはそれを近くの衛兵の足元に転がしてやりながら、周囲に叫ぶ。
「大丈夫、味方だ! この人は本物のキャプテン・トゥーヴァーだし色々あったのは事実だけど、今は味方だから!」
そのフレデリクにトゥーヴァーは近づいて、また囁く。
「それで? 今みたいに一本一本、剣を回収して近衛兵に返すのかい? それで解決すんのこれ?」
「何とか出来ませんか? 私達あいつに対する攻撃手段が無いんです」
「アタシもパンチとキックしか無いよ……言いたくないんだけど、アイツさっき見た目が少し変わったろ? あの時、あいつは自分の命の一部を捨てた。そして捨てる代わりに、何かを獲得したみたいだ」
「……どういう事でしょう?」
「さあ。アイツはそういうタイプの化け物だね。どんどん亡霊に近づいて行く代わりに、新しい力が増える……どうすんの? こんなやつ」
エステルは修道女達に右手の止血をしてもらいながらその様子を見て、溜息をつく。彼女は一体どこまで自分の想像を超えて行くのだろうと。
作中の日付は前回のトゥーヴァー登場が10月9日、今日は11月8日。
今日は、満月です。