エステル「余計失礼な事言っちゃった……もうどうしたらいいんだろう……」
マリーは思った。自分は助けてくれる優しい人達に囲まれて、父が示した道の上をただ歩いて来れたと。
でもエステルには何もない。そんなの不公平だと。
「ごめんね、なんか僕のせいで話がこじれたみたいで」
アレクは申し訳無さそうにそう言った。アレクが言いたかったのは、騎士は騎士見習いの為に推薦状を書く事が出来るという事だった。
まあこれは仮に正しく伝わっていたとしても、エステルがどう思ったかは解らない。私が推薦状を書いてあげるなんて言ってたら、それはそれで怒ったかも。何もしてないのに何を推薦するんだ、って。
「私の方は……もう良さそうですな。シチューもいただきましたし、帰りがてらです、ボート漕ぎを手伝いましょう」
「ホドリゴ船長……助かります」
荷物を積んだまま何度も行きつ帰りつした不精ひげのボートは、アレクとホドリゴ船長の手伝いを得て、荷揚げ場への長い旅に戻る。
さて、艦長室に戻った私は、キャプテンマリーの服に着替えだす。艦長室にはアイリさんもついて来た。
「マリーちゃん、もうやめておきなさいって」
「だって……あの子が言った事も本当なんですよ」
私は騎士道の事はほとんど何も知らない。普通は見習いをして騎士としての流儀を身に着けるものなのだろうな。
私は単に、自分が騎士だという自覚などある訳も無いし、騎士見習いという時だけ小声になるエステルちゃんに対して、ふーん私は騎士だけどー、などとは口が裂けても言えなかったから、言わなかったのだけど……
結果的に、彼女の気持ちを蔑ろにしてしまった。
「私があの子を泣かせたんです。それにちょっと様子を見て来るだけだから」
「それでまた謎の美少年ごっこ?」
「美少年じゃないけど、仕方無いじゃないですか、もうマリー船長は嫌われちゃったんだから。大丈夫ですよ、会って、頑張ってねって言って来るだけですよ」
「いきなり知らない男の子に励まされても、あの子だって困惑すると思うけど」
銃は……いらないか。壁の剣架けにはいつものサーベルと、幽霊船の女船長、トゥーヴァーさんからいただいた大きな紅水晶飾りのついたレイピアが。
そういえばこれ、いただいたっきりで鞘から抜いた事も無かったな。
私がいかになまくら剣士なのか解る。でもこれ、海に沈んでいた割には綺麗ですね……刀身も今手入れしたみたいにピッカピカですよ。
今日はこれにしよう、どうせ雰囲気作りの小道具だし。
私は最後に、帽子とアイマスクをつける。
艦長室を出ると、ウラドと、眠そうなカイヴァーンが予備の小さなボートを水面に吊り降ろそうとしている所だった。
「それじゃあ、行って来ます」
私は波除け板を飛び越えて、ボートの上にヒラリと降りる。
「待ってよ、今日は俺も行っていいでしょ」カイヴァーン。
「あんたさっき寝始めたばっかりでしょ! 寝てなさい」
エステルが居る間中寝ていたカイヴァーンは、フレデリク君について来ても大丈夫なんだけど……カイヴァーンとあの子の相性が心配なんだよな。
カイヴァーンは世襲でとはいえ大きな海賊団の頭領だった時期もあるし、聞かれたら平気でそれを口に出してしまう。
幸いにしてカイヴァーンには大変素直な部分もあって、私が寝ろと言えば、船員室へ行って寝てくれる。
ウラドが漕いでくれるボートで、私はさっきの桟橋に向かう。
「夕飯までには帰って来なさいよ!」アイリ。
「解んないです、エステルに会えなかったら遅くなるかも!」
「ちょっとウラド! 戻って来て! やっぱり送り出しちゃ駄目!」
「ウラド、このまま行って」
「駄目だって! またガイコツに囲まれて踊るわよその子! 戻ってウラド!」
「ウラドは私の味方よね?」
「私を板挟みにするのはやめて欲しい……」
桟橋に飛び乗った私は一度だけ振り向いて手を振る。ここは町の中だしブルマリンの時みたいな事件が起きてる訳でもない。ちょっとアイリさん大袈裟ですよ。たかだかアイマスク姿で散歩に行くだけじゃないですか。
サフィーラは大きな川の河口に出来た港だ。川と言っても対岸までは近い所でも2kmくらいある。そして外洋の波が入り込んで来ない良港だ。
市街地も広いし造船所も多い……だけどフォルコン号が停泊している場所は田園地帯の辺縁にあたるようだ。
河岸に沿って歩いて行くと、だんだん建物が多くなり……鍛冶屋の通りがあって、材木屋の通りがあって……
……
私、もしかしてヴィタリスで悪戯小僧を一人探すくらいのつもりで出て来たのかしら。これだから田舎者は困る。
ここは十万人もの人々が暮らす大都会。こんな場所で人一人、どうやって探し出すと言うのか。
アイリさんにはああ言ったけど、会えなかったら夕飯前に帰るとしよう。いつもの事だけど、私は何もせずに過ごすのが嫌なだけで、結果に期待している訳ではないのだ。
通りから通り、辻から辻へ……十月もそろそろ終わり、ようやくこの服で快適に過ごせる季節になったな。
広場には高札が掛かっていて……今ちょうどそれを一つ片付けているわね。
「これか? 奴隷商人のゲスピノッサだよ。ダルフィーンで逮捕された。来月にはサフィーラに護送されて来るんじゃないか」
私がそれ眺めていると、片付けをしていた衛兵さんが教えてくれた。
「捕まえた奴は賞金を受け取らなかったらしいぞ。金貨8,000枚だってのに、剛毅な話だね」
賞金かあ。出来ればハバリーナ号の乗組員の皆さんにあげたかった。
オランジュさん達はアイビスからの給料以外は受け取らないと言ったらしいし、父はゲスピノッサの財産の一部を勝手に拝借して逃亡した。
私は他の手配書やら何やらも見てみる……エステルもここを見に来ただろうか。
たくさんの航海者が集まる町だけに、手配書も色とりどりで賑やかだ。海賊、泥棒、詐欺師に殺人犯……世の中は平和には程遠いらしい。ヒーローはいくら居ても良さそうね。
だけどエステルにそれが出来るのかどうか……いや、危ないよそんなの。
あの子は私と違って、ちゃんと剣の稽古も積んでそうだけど、私と違って大変勇敢そうで、そこが心配だ。
「あの、この辺りで赤いジュストコールに黒いキュロットを着た、赤毛の……」
「女の子だろう? 今さっきゲスピノッサの逮捕についてあれこれ聞かれたよ」
私はあまり期待はせず、この話し好きそうな衛兵さんに聞いてみた。
驚く程あっさり、良い返事が返って来た。
「ありがとう、どちらに行ったかは御存知無いだろうか」
「港の詰所じゃないかな。あっちにはここに無い手配書もあるから」
いくら大都会でも、赤いジュストコールを着てレイピアを提げた小さな女の子は珍しいのね。他人の事は言えないけど。
「助かったよ。サフィーラは素敵な街だね」
そしてサフィーラに限らず、このアイマスク姿は何故不審者扱いされないんだろう。私はこんなのしてる人って怪しいと思うんですけど。
西の彼方の新世界の開拓が進むにつれ、サフィーラ港は大いに栄えて来た。
ここは新世界航路、南大陸航路、北洋航路、そして内海航路の十字路にある大都市だ。ヤシュムやロングストーンとの違いは、ここにはたくさんの裕福な消費者も居るという事だ。
正午を回ってだいぶ経つにも関わらず、港はまだ人でごった返している……港の詰所というのはあれか。この町では大変珍しい、壁までオレンジ色の煉瓦で作られた建物だ。
建物の壁面には掲示板があり、手配書だけでなく、尋ね人や失くし物についての掲示もある。
私はあっさり、エステルを見つけてしまった。エステルはそこで周りの暇人と一緒になって、むつかしい顔をして掲示板を見ていて、私には気づいていない。
エステルが見ているのは手配書の方だけのようだ。一方私は、エステルに見られたくない掲示物に目を留めていた。
『尋ね人:航海者フレデリク・グランクヴィスト ストーク人 身長170cm 金髪 アイマスクをつけている場合あり 居場所を特定出来た情報には金貨100枚進呈 レイヴン王国在サフィーラ大使館』
情報が微妙に間違っているのはわざとだろうか。それとも私と関係無い誰かの話なのか。似顔絵もないし外見の特徴も殆ど書いてないし、問題無いとは思うけど。
私は周りの視線が無い事を確かめ、懐から鉛筆を取り出して、そこに「ヒゲが濃い」と書き足しておく。
これでよし……レイヴンがフレデリク君に何か用があるとしたら、それはフレデリク君にとっては良くない事に決まっている。
鉛筆を懐に収めた私は辺りを見回す。誰にも見られなかったよね?
周りの暇人達は、私が何をしていたかには気づいていないようだった。
そしてエステルは。私が懐に鉛筆をしまう所を、じっと見ていた。