ニスゲイル「何故だッ!? そんな馬鹿なッ……おのれ……謀ったなアルベルト……!!」
宮廷舞踏会の冒険もようやく大詰め。
ここから三人称で御願い致します。
エステルは小聖堂の近くに居た。彼女はここへはバルレラ男爵の二人の娘の護衛として来ていたのだが、今はフレデリクとの約束の為、一人でここに来ていた。
小聖堂では間もなく女王陛下とシモン殿下が参列しての礼拝が行われる。その為、辺りの警戒も厳重になっている。エステルも実際、近衛兵に咎められた。
「コルジア勲爵士クラウディオ・グラシアンの娘、エステル・グラシアンと申します、どうか私も女王陛下とシモン殿下の警護の列の末席に加えてはいただけないでしょうか」
エステルはここで待つ事を許して貰う為、近衛兵にそう志願した。エステルのその名乗りには偽りはない。騎士見習いの若者が王族に奉仕を申し出る事もよくある事だった。
「今日の礼拝は宮廷舞踏会と重なっているしな……君のような女騎士が警備に花を添えるのもいいかもしれない。だが聖堂にはあまり近づかないように」
「はい! 感謝致します」
少し前のエステルであれば、この近衛兵の言葉に気を悪くしたかもしれない。
エステルは長年、自分が女の身である事で苦労をして来た。勿論女の身で騎士になどなろうとしなければそんな苦労はしなくて済むのだが、彼女にも騎士にならなければならない理由があった。
エステルは警備の列に加わり、辺りを見回す。警備は人数という意味では十分厳重だが、もしマリーが言うような怪物めいた魔術師が本当に現れた時、近衛兵達に何が出来るだろうか。そして、自分にも。
城からこの小聖堂へ向かう道が人払いされた。
そして……大国コルジアの国王の妃と長男にして、それぞれがディアマンテ女王、ゴルリオン王という王位も持つ、しかし傍目にはごく普通の仲の良い親子連れに見える、質素な礼拝用衣装のイザベル妃とシモン王子が、石畳の道をゆっくりと歩いて来る。
「あれが……シモン殿下」
エステルは密かにつぶやき、少しの間目を閉じる。
自分はいんちき情報屋に身を窶していたロワンに騙され、マリーの部下となっていた元海賊のホドリゴを襲撃した。彼女に出会ったのはその時だ。
年齢も背格好も自分と変わらない、マリー・パスファインダー。しかしマリーは出会った瞬間から、何もかも自分より優れているように見えた。
物腰は穏やかで自分を大きく見せようとしたりしない。だけど主張ははっきりとして自信に満ち、既に多くの冒険を成し遂げたくさんの味方を得ている。
エステルは自分をその反対だと思った。何一つ成し遂げた事の無い自分に自信がなく主張が弱く、それを隠すために居丈高に振る舞っていた。
その為に自分は失言を重ね、せっかくマリーが差し向けようとしていた救いの手を、自ら離してしまった。
マリーの事はこれで終わり、自分が騎士になる望みも潰えたと観念し掛けた時に……現れたのはフレデリクだった。深く透き通るような美しい声をしたアイマスク姿の少年。
エステルは騎士になるまでは、いや騎士として命を落とすその日までは女である事を捨てる覚悟で生きて来た。それなのにフレデリクはそんなエステルの覚悟の上を軽々と越えて来た。
知恵と勇気に溢れ、義侠心厚く、逞しく、時に愛くるしいフレデリク……
エステルは瞳を開く。
コルジアの女王陛下と皇太子殿下が、目の前を通り過ぎて行く。
マリーについて来た結果、自分はこんな所まで来てしまった。サフィーラの騎士見習いである自分が、目の前の女王陛下と皇太子殿下を見ているのだ。
太陽が沈もうとしている。エステルはそっと周囲を見回す。フレデリクはまだ来ていないのか、どこかに隠れているのか。
そして、多数のコウモリに変身して空を飛び、集まってまた人の形に戻るという邪悪な魔術師……そんなものが本当に世の中に存在し、ここに現れるというのか。
「女王陛下ー! シモン殿下ー!」
その時。城の方とも中庭の方とも違う、北の城壁の方から……紫色のローブを着た、白髪交じりのずんぐりとした男が……慌てた様子で駆けて来る。
その男は不審者ではないようだったが、決してこの場に歓迎されている訳ではないらしい。手を振って駆けて来る男に対し、近衛兵は槍を横に掲げて遮る。
「ニスゲイル殿! 遠くから大声で呼ばわるとは不遜であろう!」
「緊急事態なのです! 邪悪な……アイビス人の邪悪な魔術師が、恐れ多くも我等が女王陛下の暗殺を企み、ここに潜んでいるかもしれないのです!」
エステルはその男について殆ど知らなかった。見た様子では、それこそ魔術師と呼ばれる種類の者かもしれない。
「何と!? 正気で言っておられるのか!」
「冗談でこのような事が言えると思うか! アイビス人の魔術師だぞ! 陛下、お下がり下さい、奴の魔術は、このニスゲイルが打ち破って御覧に入れます!」
さすがに辺りも色めき立つ。近衛兵達が辺りを見回し、列を崩す。
シモン王子はその様子を不安そうに見つめ、母の方に駆け寄ろうとするが。
「シモン! いけません、堂々となさい。貴方はコルジアの王子なのです」
イザベル妃は落ち着いた様子でそう言い放つ。シモン王子はまだ少し辺りを見回していたが、母に言われた通り、その場で胸を張って立ち尽くす。
エステルはその様子を見て感心する。王子はまだ6歳にもなっていないはず。立派なものだ。同じ年頃の自分だったら、泣きながらうずくまっていたかもしれない。
近衛兵達が、ニスゲイルが、辺りを見回す。女王の廷臣達も、礼拝の準備をしていた聖職者達も。侍女や修道女も。
「その、アイビスの魔術師とやらはどこだ」
近衛兵の隊長が言った。
「どこに居るというのだ」「魔術師が居るんだろう?」
「ニスゲイル殿! 答えろ」「そいつはどこから現れるんだ!?」
他の近衛兵達も、次第に色めき立つ。
一体これは何だというのか。辺りの様子は何も変わらなかった。
ニスゲイルの顔色はみるみる青ざめて行く。焦りと怒りの入り混じった表情で、ニスゲイルは必死で辺りを見回し続ける。
「わ……私は! 魔術の力で視たのだ! 間違いない、奴は近くに潜んでいる!」
女王が口を開いた。
「ニスゲイル。貴方の話は後ほど、然るべき者に尋ねさせます。今は騒ぎを起こすのをやめ、立ち去りなさい」
「お、お待ち下さい女王陛下! き、危険なのです! 邪悪な魔術師が間違いなくこの辺りに潜んで……」
「見苦しいぞニスゲイル!」
近衛兵達がニスゲイルの周りに集まり、一人がその首根っこを捕まえる。青ざめたニスゲイルは、近衛兵達に小突かれながら、元来た方へと押し返されて行く。
エステルは溜息をつく。どういう事だろう。あのニスゲイルという男は奇しくもマリーと同じ事を言っている訳だが……何となく、マリーの味方ではない気がする。今の男は、アイビスへの敵愾心を煽ろうとしているように見えた。
「……処分が決まったら教えて」
「はっ……申し訳ありませぬ」
女王が廷臣に短くそう告げ、廷臣が頷く。その場はそれで終わったように見えた。
しかし……エステルは目を見開いた。
小聖堂の外壁の際に置かれたプランター。あれはマリーの指示で、エステル自身が近衛兵や修道女達の目を盗んであの場所に、地下聖堂からの通風孔が塞がるように置き直した物だ。
――コッ……コツッ……コツコツッ……コッ……
このいたずらをしたエステル以外の者では気づかなかっただろう。プランターから小さな音がする。何かが盛んにプランターの裏からぶつかって、プランターをわずかに揺らしているようなのだ。
ひょっとすると、そこにプランターがあるせいで地下聖堂から出られなくなった、コウモリか何かが……
エステルは再び辺りを見回す。女王陛下とシモン殿下、それに聖職者達は、何事も無かったかのように、聖堂に入って行く。
orz 更新が遅くなり申し訳ありません……続きは、続きは必ず近いうちに……