グラナダ「老い先短い今になってこんなに面白い人物に出会えるなんてね」
王子様に見初められちゃった!……でもお子様というオチ。
これからどうなるの?
お調子者で能天気な私にも、自分が何か手柄を立てた訳ではない事は解っていた。
たまたま、後にコルジアの王となるけれど今は4、5歳の王子様は、着飾った美しい大人の御姉様より、見た目の攻撃力がゼロであまり手足の長くないお姉ちゃんの方が好みだったのだろう。
そしてこれは王子に課せられた試練の一つだったのかもしれない。母である女王に報告する殿下の姿は得意げであった。
「お母様! 私、ダンスのあいてをえらび、いっしょにおどりました! それから、ごはんにさそいました!」
「それでこそコルジアの男ですわ、シモン王子。大変よく出来ましたね」
ディアマンテ女王……イザベル陛下は見た目だけでなく、声も何か、世の常の人々とは全く違っていた。
息子であるシモン殿下に向けられた言葉は優しく慈愛に満ちているような気はするのだが、その声には同時に何か……常に冷静な審判を下しているような、厳かさと冷たさを含んでいる。
その女王が、私の後ろに居るグラナダ侯爵に向き直る。
「エドワール叔父上……御会い出来て光栄ですわ」
私はアイリさんに聞いていた話を必死に思い出す。ええと、グラナダ侯爵とアイビス王の母、コルジア王の母が共に従姉弟同士なんですよね。侯爵様から見たら、アイビス国王、コルジア国王、両方とも従姉の息子だと。
そしてディアマンテ女王は従姉の息子の嫁、だから本当はイザベル様から見たグラナダ侯は叔父ではないけれど、まあ親類には違いない。
「長年連絡もせず申し訳無い。いや……むしろ今さら現れた事をお詫びすべきか」
「そのような事はございませんわ。夫もどんなに喜ぶ事か」
シモン殿下は御機嫌が宜しく私の手を引いてくれているし、優しいグラナダ侯爵はコルジア王室の親戚だという。私は決して一人ではない。
それに私はただダンスの後で食事を御相伴させていただける事になっただけのゲストだ。別に緊張するような事は無いはずなんだけど。
なんだろう。妙な胸騒ぎがする。
廷臣の皆さんも、はしゃぐ王子の姿を微笑ましく見守ってらっしゃるように見えるのだけれど。皆どこかに、緊張の糸を張り巡らしているような気がするのだ。
私は殿下に手を引かれ、女王陛下や廷臣の皆さんより先に三階に辿り着いた。
やはりあの向日葵門よりこちら側は王族の為の区画だったらしく、他の招待客は居ないし、調度品や敷物の一つ一つが、信じられないくらい贅沢に出来ている……これでもこの城は実用的で質素な方ですと。
「ここからホールが見えるのです! 私はここからマリーちゃんを見つけたのです!」
三階には大ホールを見下ろしながら寛げる重厚華麗なリビングがあった。そして大変大きなダイニングテーブルも……テーブル自体がフォルコン号の艦長室の三倍くらいの大きさですよ。
ちょっと待って。今から私ここで食事をするんですか!? 女王陛下や侯爵閣下と!? うわあ……テーブルマナーとかどうしよう……本の虫の私は、田舎の貧民にしては詳しい方だと思いますけど……
6人程いらっしゃる廷臣の皆さんは、食事の席にはつかなかった。
その他に執事や給仕さんが沢山居て、配膳やら何やらを進めて下さる。近衛兵さんも方々に居る。完全武装の上、直立不動で立たれている方も居る。
「マリーちゃん……マリー殿は私のとなりにすわってください! あのね、僕、私は今日は何度もお母様、女王陛下に褒められたのです!」
そして大理石のように硬直しそうな私をずっと救い続けてくれるのは、シモン殿下だった。それはもう向日葵のような真っ直ぐな優しい笑顔で私をずっと見て、ずっと声を掛けて下さるのだ。
「殿下はコルジア語もアイビス語もとても御上手ですわ。いつもどんな本を読まれるのですか?」
「うんとね、今はフェザント語のアイソーポスの寓話を読むの」
私は殿下との会話を普通に楽しんでいた。
王子様と比べるのは不敬の極みかもしれないけれど……ヴィタリスの男の子達も、このくらいの年齢の時は私を分け隔てなく友達として扱ってくれたし、一緒に居て楽しかった。だから私はこのくらいの歳の男の子は好きだ。
グラナダ候は女王陛下とお話をされていた。どちらも物腰は大変柔らかく。注意して聞いていなければ、それが国家の大計にまつわる話だとは気付かなかっただろう。
「叔父上はアイビス王に忠誠を誓う身……その叔父上が侯爵領全てをコルジアに差し出すだなど……皆、にわかには信じられない御伽噺と思うでしょうね」
「有り得ない話ではないんだよ。アイビスは遅れている新世界進出に弾みをつけたい。アンドリニアは誇りを取り戻し東回り航路を復興したい」
「アイビスはアロンドラを手放す代わりに、コルジアより新世界での一部を譲り受ける……それだけではいけませんの」
「アイビスの反対派を説得するのに、アンドリニアの再独立承認は大変都合がいいんだよ。我々が協力出来なければ、泰西洋も新世界も、いずれレイヴンの物になる……そうではないのかね」
侯爵は恐らく、何ら隠す事なくディアマンテ女王に手札を見せている……いいのかしら? この場にクリストバル国王は居ないけれど……
「アンドリニア独立派にとって都合が良過ぎますわ……それではコルジアの反対派が黙っておりません」
「勿論そうだろう。彼らには声を上げる権利もある……だけどその壁を乗り越える事によって得られる利益については、彼らも」
グラナダ侯爵がどんな大計を抱えていたか? それは出来れば知りたいとは思っていたが、いざ聞いてみると私にはよく解らない事だらけだった。
政治も外交も人間の為にあるものだ。
それは人と人がなるべく棍棒で殴り合わずに済むように、知恵を出し合うものではないだろうか。
だから出来れば知恵の少ない者にも解るよう、簡潔で解りやすいものであって欲しいものだが。政治の何が難しいかって、なるべく多くの人が理解出来るように説明するのが難しいのよね。
気が付けば、食事は終わっていた。私は戦慄に震える。この食いしん坊の私ともあろう者が、今食べた物の事をまるで覚えていないのだ。コルジア王室のランチですよ?? 一品一品が芸術作品であるかのような、でもちょっと量の少ない御馳走だった事だけは覚えている。
食事の後。女王陛下が別室に行かれ、シモン殿下もついて行かれた隙に、私は素早くグラナダ侯爵に近づいた。
「あまり食事が進まない御様子でしたが」
「ふふ、そんな所を見られたかね。年甲斐もなく頑張ってしまったよ。いや……長年安穏と暮らして来た暢気な田舎貴族の私には、策略家の真似事は難しかったようだね」
「そのような事はありませんわ。女王陛下は驚いておられるのだと思います。今回の閣下の訪問の意図を予想しておられなかったのでしょう。今は陛下の方が戸惑われておられるのかと」
あれ……私、何言ってるんだろう? そう思った時には。侯爵様は驚いたように目を見開いて、私を見ていた。
「君は……!」
老侯爵の瞳に映る、私自身が見えたような気がした。
「閣下、これはその」
私は……言い訳をしていた。たちまち冷や汗が額を伝っているような気がする。目の前でいたずらがバレてしまった、いたずら小僧のように……
「いや……驚いたよ。驚いたけれど……今驚いてはいけないんだろうね。ふふ、ふ……今一番思うのは、残念という事だよ。人生は解らないものだな」
ラヴェル半島東岸のアロンドラと呼ばれる地域を治めるアイビスの領主、エトワール・エタン・グラナダ侯爵。この方の娘さんがカリーヌさん。その夫がブルマリン男爵の三男ヴァレリアン……その人と不倫をしていたのがアイリ。昔そのアイリとの婚約を破棄して逃走したのがラーク船長。その腐れ外道ラークの娘が私、マリー・パスファインダー。
人生とは解らないものだ。
グラナダ侯爵は、私が自分で種明かしした人以外では初めて……フレデリクとマリーは同じ人間だと、気づいてしまったらしい。




