ハコブ「今の、昨日闘技場跡で暴れる猛牛を一人で突き殺した奴じゃないか!?」
トリスタンを止められるのか。エステルの協力を得て対策を進める? マリー。
私とエステルが馬車口の方へ戻って来ると、ちょうどグラナダ侯爵が到着した所に出会う。
「おお……お嬢さん方。今日も御会い出来るとは光栄ですな」
この人も、広い領地を持つ立派な領主で、王族とも繋がりの深い良家の貴人だというのに。何とも気さくで穏やかな方である。
「エドムンド卿はもうこちらに?」
「いえ、この後ご家族で参られます。私は別の用事で参りましたが、今から一度屋敷に戻るつもりです」
「なんと。いや、まさに今エドムンド卿と連絡を取りたいという話をしておりました。エステル殿、手紙を届けてはいただけませんかな」
「それは……勿論、お任せ下さい!」
侯爵はエステルに親書を託すようだ……馬車の中で書いた走り書きのような物に見えるけど、何が書いてあるんだろう。
そのエステルが、立ち去る前に私の方に戻って来る。
「君もまだ暫くここに居るんだな? マリー・パスファインダー。また後で会えるんだな?」
その呼び方についてはもう諦める事にして、私は頷く。
「今日は少し遅くまで居ると思います」
いつまで居る事になるのかは、まだ全く解らない。
エステルは二度振り返りつつ、駆け去って行く。
侯爵も私と一緒にその様子を見ていた。自ら御者を務めていたロヴネルさんも、馬車を停車場に移動させてから戻って来た。
「貴女に聞いて良いものか解らないが……フレデリク卿と連絡を取れないだろうか……少々話し合いたい事があるのだが」
わりと想定内の質問だったとは思うんだけど、私は少々動揺する。
そうだよフレデリク君、侯爵に言わなきゃならない事、聞いておきたい事があったんじゃないの?
「そう言えば、先程中庭の方で見掛けましたわ、噴水の辺りでしたかしら……」
「なんと。それでは案内を御願い出来ないだろうか」
「ごめんなさい、私も少々用事が、失礼させていただきます」
私はお辞儀も程々に急いでその場を離れ、下男……いや、家人達の為の待合所となっている弓術場の方へ向かう。
「きっと厠へ行くのです、閣下」「レンナルト、声が高い」
後ろでライオンとオールバックの声が聞こえた。あの二人も居たわね……あれが標準的なストークの男というものか。
「不精……ニック!」
「変な言い方をされるくらいなら不精ひげでいいし、みっともないからそんな恰好で走るなよ船長」
不精ひげは他のどこかの御者や奉公人達と、カードゲームを囲んでいた。いいわねおじさま達って。世界中どこへ行ってもすぐ友達が出来て。
「急いでるの! 手伝って、あの包み出して!」
「風呂敷包みならここだけど……」
私は辺りを見回す。この場所には城壁の外を射撃する為の狭間窓がいくつもある。その入り口は鉤型になっていて、中に入ればこの辺りの人々からは見えないだろう。
「ちょっと来て、それからそこに立ってて」
「待て船長、それは有り得ない、更衣室くらいどこかにあるだろ」
「急ぐのよ! いいからこれちょっと持ってて」
「知らないぞ、俺は向こうを向いてるからな」
「お前の所じゃ、お姫様の事を船長って言うのかー?」
向こうで一緒にカードをしていたおじさん達がゲラゲラ笑ってる。ごめんね不精ひげ。さて、剣はどうする……さすがにやめておくか、グラナダ侯爵だってロヴネル提督だって帯剣してなかった。
「つき合わせてすまない。それを畳んでおいて貰えると尚助かる」
「勘弁してくれよ……」
低めのフレデリク声で言いながら、私は不精ひげの背中を押して狭間窓から出る。
さっきまで笑っていた連中がポカンと口を開けている。何だよ、僕が誰だか解らないとでも言うのか。キャプテン服に着替えて帽子とマスクをつけただけなのに。
「まだここに居てくれよ、今日は何があるか解らない」
私は呆れ顔の不精ひげを置き去りにして、急ぎ足で立ち去る。
この姿でどうやって宮廷舞踏会に入り直すか? これは正攻法でいい。馬車口からではなく徒歩の者用のゲートに普通に並ぼう。今日は行列もしてないし。
マスクを取れと言われたら? 取ればいいじゃん……ああ、私の番だな。
「いらっしゃいませ。御芳名をいただけますか」
「フレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト」
「もし、紹介状などをお持ちでしたら……」
「ここに」
「はい……承りました、どうぞこれを……では、王の舞踏会をお楽しみ下さい」
渡されたのは小さな羽根にピンのついた飾りだ。馬車で来た客はつけてないのだから、これは下々の者を見分ける為の記かしら。ポケットにしまっておこう。
そしてやっぱりマスクを取れって言われなかったよ。あの紹介状もいいのかしら? 紹介者はどこかの素人船長マリー・パスファインダーである。
中庭では今日もダンスが行われている。
昨日は振る舞いの屋台なども多く出ていて、お祭りとしての空気が強かった。今日の様子の方が、私が想像していた宮廷舞踏会に近いかもしれない。
一日に何度も同じ曲を演奏する楽士さん達は大変ね……そんな事を考えながら辺りを見回していると。ああ……グラナダ侯爵とロヴネル提督が。向こうも私に気付いたようだ。
「ここで出会えて良かった。フレデリク卿。話したい事や聞きたい事がいくつもありますが、まずは。牡牛と格闘したと聞いて驚きましたぞ」
「私は若く愚かなのです、閣下。ご心配を掛けて申し訳ない」
「ははは、貴方が冒険者でなかったら、私はここに居るはずが無かった」
侯爵はにこやかに話しながらも、中庭の片隅のあまり人が居ない、そして盗み聞きされる恐れの少なそうな、見通しのよい角地の方へと歩いて行く。私も勿論ついて行く。ロヴネルさんも。だけどライオンとオールバックが居ないわね。
「さて……私がここに居る事が気に入らないという方々がね、思ったよりも多いんだよ。予想はしていたけれどねぇ……コホン。昨日の所は上手く切り抜けたと思います。君の友人、マリー嬢とエステル嬢のおかげでね」
少し、嫌な予感がして来ましたよ。
「私を警戒する方々は、私が何をしに来たのか知りたくてたまらない。私としては、ただ宮廷舞踏会を楽しみに来たと申し上げておきたいのだが。慌てて出て来たもので本当にしくじりました。女性の連れもなしに、宮廷舞踏会を楽しんでいるふりをするのは難しい」
「ええ……昨日、マリーから少し話を聞きました」
「彼女には本当に助けられました。先程も近くでお会い出来たのですが、今日はお急ぎの御様子でしたな」
そういう事なら……後でもう一度着替えて戻って来ようかしら。今はマリーの方が必要なのね。
本当はアイリさんが居てくれたらなあ。大変な美人ですし、アイリさんも侯爵様の伝手で文字通りの独身貴族との面識を得られたかもしれないのに……
この侯爵様がカリーヌ夫人のお父さんのグラナダ侯爵でさえなければ。もしくはアイリさんがヴァレリアンさんの浮気相手でさえなければ。
まあそれ以前に、今はトリスタンを恐れて船牢に籠ってしまったんですけれど。
「閣下。もう一つ気がかりが。トリスタンの事なのです」
私はロヴネルを見る。
「うん。私からも御説明し、閣下からも御話を伺った。私の理解が間違っていないか確認する為にも、私からフレデリク卿にお話しさせていただいて宜しいですか」
ロヴネルは頷き、一度侯爵の顔を見て、また私に向き直る。
「トリスタンは元はアイビスの宮廷魔術師だったが、ロマンシア公爵によるクーデター未遂事件に連座してその任を解かれた。ロマンシア公はアイビスの陸軍閥を掌握し、アイビス南部諸州にグラナダ侯爵領やフェザント領の一部を加えた地域の独立を目論んでいたとされる」
フレデリクのこのマスク、本当に便利よね……話してる相手に目を見られないで済むのだ……私はこういう話を覚えたり考えたりするのが本当に苦手なんだけど、傍からは聞いているように見えるはず。
「しかし計画は侯爵閣下ら有志の手で暴かれた。王の叔父であるロマンシア公は謹慎のみで済まされたが、トリスタンは信用力に致命的なダメージを負い、経営していた商会が破綻した。また、トリスタンの他にも更迭された者が居る」
「アルベルト男爵……」
私は、いやフレデリク君は自然にその名を口にしていた。名前を憶えていたというより、トライダーの声を覚えていたんだと思う。侯爵は頷き、ロヴネルの言葉の後を引き取って続けた。
「アルベルト卿はロマンシア公失脚の折に、王都での職を失い領地に戻っていたが。その後は貴方の方が詳しいのではないかな。奴は私の娘夫婦を、トリスタンを使って陥れようとして……貴方に阻止され、引導を渡された。貴方の友人……」
グラナダ侯の言葉が途切れる。どうしたのだろう。単に思い出せないだけならいいんだけど。
「貴方の友人……むむ……誠に申し訳ない、年のせいか……人の名前が思い出せなくなってしまったよ、何たる事だ、私を救ってくれた恩人の名だというのに」
「ヨハン・トライダー」
「そうだ! ヨハン・トライダー、彼だよ! 何とお恥ずかしい! いやはや、年は取りたくないものだ」
侯爵はそう言って背中を丸めていたが、私はかつてのトライダーの姿を思い出していた。風紀ある市井ー、風紀ある市井ー、などと叫びながらヴィタリスのお針子見習いの小娘を追い回す、あんなのがヒーローだと言われてもなあ。
「アルベルト男爵はアイビスで裁判に敗れると、コルジアに亡命した。彼はディアマンテに居るのだろうか……トリスタンが現れたというのなら、そうなのかもしれない。彼がコルジアで対アイビス強硬派と結びついて活動をしていたとしたら、厄介だろうね……」
侯爵は溜息をつく。
なろうの仕様変更で、各話ごとに感想を書けるようになりましたね!!!
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