タコ「タコですが何か」不精ひげ「勘弁してくれ……」
「あの色っぽい姉さんがマリー船長だったのか」
「小さい女の子の方じゃないの?」
「そんな訳無いだろー」
どうにか接舷したら、すぐ人数を掛けて驚かせる。その時点で支払いを申し出て来る相手も居て、そういう時は一番楽だ。
そうでない時は自分から支払いを求める。要求はだいたい金貨数十枚とか、積荷の一、二割だと。
相手が交渉して来る時は早目に折れて、要求の半分でも四分の一でもいいから取る。経験上、交渉は長くなる程利益が減る。
そしてここが肝心、相手が本気で抵抗して来たら、それがどんなに少数でも引き下がる、逃げる。
海賊と言えばある物は全部奪う、逆らえば殺す、そんな者ばかりだとは思わないで欲しいと。身内に怪我人を出すと次から船員が集まらなくなるし、討伐隊が来るような暴れ方をするのは、余程の豪傑か馬鹿だけだと。
船員が集まらなくなるのが一番困る。怪我人を出さず、毎回少しずつでも実入りがあれば、志願者は向こうからやって来る。
細く長く、格好悪く飯を食う。それがホドリゴ船長の海賊哲学だったそうである。
「何せもう海賊は忘れて下さいよ。海賊と呼ばれる筋合いも無いし。正式に懲罰を受けてるんですから」
「お優しいお言葉痛み入ります。ですが一度海賊をした者には、一生元海賊という評判がついて回るのですよ……今回の事も、自業自得でした」
私とホドリゴ船長は、フォルコン号の甲板の折り畳みテーブルの前に居た。
ホドリゴ船長はコルジアの人なので、対面で話す時はニスル語で話す必要がない。
「反撃……しなかったんですね」
ホドリゴさんは食事をしようと商店街を歩いていた所、あの女の子に絡まれたという。
「色んな意味で、勝てる気がしませんでしたので。親分が来て下さらなかったら、あのまま絞首刑台まで連れて行かれたかもしれませんなあ」
ふと船の外を見ると、不精ひげがゲンナリ顔で、詰めるだけの商品をボートに積んで貨物埠頭へと漕ぎ出して行くのが見えた。
何往復する事になるのかしら。運搬船を呼んで運んで貰えばいいのに。
しばらくすると、アイリさんが昼食を持って来てくれた。魚介のシチューですね、オリーブオイルや茄子、ネギと煮込んだ煮魚やエビや貝……おや、タコの姿も。
「不精ひげがタコだめだって知らなかったわ」
アイリさんが、私とホドリゴさんの前に皿を並べながらそう言った。あのゲンナリ顔はタコにやられたせいでもあるのか。
「そりゃお気の毒ですな、こんなに美味しいのに」
ホドリゴ船長は平気らしい。勿論私も平気である。ぷりぷりの食感、噛み締める程に溢れだす味わい、何故これが食べられないというのか。
フォルコン号が係留されている場所は、貨物埠頭からかなり離れてはいるものの、河岸からは20m程しか離れていない。緩やかな土手の上には道もあり、行き交う人の顔も見える。
そんな行き交う人々の中に一人、こちらを見ている子が居る……さっきのエステルという子じゃありませんか。きりりと眉を引き締めて。赤いジュストコールに黒のキュロット、剣帯にレイピアを下げて……
うちに用ですよねェ。用があるんだろうなあ。どうしよう。今ちょうど不精ひげが出てった所ですよ……
ああっ!? エステルが不精ひげのボートを追い掛けて走って行く……逃げて不精ひげ……ああ……話を聞いてしまっている……
不精ひげは近くのボート用桟橋に満載のボートを向け、エステルを乗せて、フォルコン号の方に戻って来た。
「船長の友達か?」
不精ひげがさらにゲンナリした顔で言った。
「まあ……はい……」
私はそう言うしかなかった。
「先程は申し訳ない事をした。きちんとした謝罪をさせていただきたい」
こうしてエステル・エンリケタ・グラシアンさんは、フォルコン号の甲板に現れた。
気持ちは解らないでもないが、わざわざ船にまで来てくれなくて良かったのに。ホドリゴさんもう気にしてないみたいだし。
「お嬢さん、どうかお構いなく、もう済んだ事ですぞ」
ホドリゴさんはそう笑って手を振る。
私もホドリゴ船長も席を立って、舷門の前まで出迎えに出ていた。申し訳ないけれど、早く終わりにして魚介のシチューに戻りたい。
「手柄を焦るあまり、そっちの更生中の船乗りはともかく、貴公のような立派な船長にまで暴言を吐いてしまった。誠に申し訳ない」
目が、怖い。謝罪はしているんだけど本当に納得しているんだろうか。何か言いたげな目でじっと、私を真っ直ぐに見ている……
私何かいけない事しましたか……可愛い女の子なのに怖い。困った。
「ああ、いえ、私も説明不足でしたので……」
「少しも説明不足などでは無かった!!」
ヒエッ!? 急に大きな声出さないで下さい、私、小心者なんですよ!
「貴公の説明は明確な正義に基づくものだった! だから聴衆も静まったのだ! 私の説明に納得した者など居なかったのに! 行き過ぎた謙遜は傲慢に勝るのだ、そういうのはやめていただきたい!」
ひえええ……そう、私が怯んで二歩下がると、ホドリゴさんが……
「まあまあ、美しいお嬢さん、済んだ事ですぞ、良いではありませんか」
ホドリゴさん、それは虎の尾のような気がします。あっ、ほら……エステルの顔色がますます赤らんだ……
「私はうつ、美しいお嬢さんなどという名前ではない! 私はグラシアン家当主……騎士見習い……エステル・エンリケタ・グラシアンだ! 小娘扱いするな!」
ホドリゴさんもたじろぎ、二歩下がる。
「しかしそれは、仕方あるまい」
誰が喋ったの?
ああ……新しい服をきちんと着たウラドが、下層甲板から上がって来た。
「謝罪に来たと言いながら、相手の言葉尻を捉えて激昂するのは大人の、増してや立派な騎士のする事ではない。それでは子供扱いされても文句は言えない」
ウラドは、深みのある声ではっきりとそう言い切った。
「家名を名乗るなら尚の事、父母の名誉を傷つけぬよう気を配るものだ。さあ。我々には仕事があり、あのボートはグラシアン殿を河岸に送り届けてからでないと貨物桟橋に行く事が出来ない。すぐにボートに乗り、河岸に戻ってくれないか」
グラシアン殿……は顔を赤らめ……そしてすぐ少し青ざめた。
「だ、だが私はまだ用を済ませていない」
「駄目だ。よく修行をして、人としての成長を果たしてから来るのだな。その時には我等が船長も、喜んで貴殿に会うだろう」
「待ってくれ! この通りだ!」
エステルは膝をつき、両手を甲板に突いた。
「どうか! 私を海賊退治に連れて行って欲しい! 雑用でも下働きでも何でもする! 頼む!!」
ええええ?
ウラドは何て答えるの……答えずに私の方を見ている。これに答えるのは、私の仕事ですか。そうですね。
ああ。シチューは冷めるけど仕方ない。
「……訳を伺っても、宜しいですか」
そもそも何故エステルはホドリゴを狙ったのか。それは港の情報屋にそそのかされたかららしい。
南大陸で活動していた海賊ホドリゴが、密かにサフィーラ港に入ったと。その不完全で古い情報でも、エステルは結構な金額を払って買ってしまった。
サフィーラに居ながらにして海賊を倒すチャンスなど滅多にない。自分は名誉欲に目が眩んだと、エステルは言う。
ホドリゴはつい最近まで海賊だったし、密かにではないがサフィーラ港に入ったのは確かだった。相手に悪意があったとしても、情報屋を責めるのは難しい。
「そちらの紳士の言う通りだ。私には経験も力も無い。解ってはいるのだが……私には時間すら無いのだ、だから気持ちの余裕も無い……」
先代まで六代続けて騎士を輩出したグラシアン家も男子に恵まれず、残る血筋はエステルのみとなった。
エステルの父は国の公務で亡くなった。それで幼主、つまりエステルが16歳になるまでは父の代の恩給が保証されるが、それもあと二ヶ月少々で終わる。
そうなれば封地も返納しなくてはならず、代々仕えてくれている使用人、小作人を召し放ちにしなくてはならない。
それを防ぐ方法は二つ。一つは、エステルが誰か身分のある者にすがり、結婚してもらう事。そうすれば封地を夫の家に併合し、残す事が出来る。使用人の何割かも、新居に連れて行けるかもしれない。
もう一つが、自らが騎士に叙任される事である。
「どうか頼む……私を男にしてくれとは言わない、武勲を立てる機会を賜りたい、私は正規軍には……従軍させて貰えないし、このまま平和なサフィーラに居ても……うぅ……」
私が「うちはただの商船です」と言い出す前に、エステルは懐から瓦版のような物を取り出し、甲板に広げる。
そこにはアイビスの私掠船フォルコン号が、五隻からなる奴隷商人と密輸業者の艦隊を粉砕し300人近い奴隷を解放、150人を越える悪党を成敗したという記事が載っていた。
「ごめんなさい、これは誤報なんです、フォルコン号は奴隷商人に捕まっていた人の一部を保護して洋上待機していただけなんです、実際に海賊と戦ったのは別の人達で……それと」
そしてもう一つ問題が……どうやらエステルは極度の船酔い体質らしい。先程からどんどん顔色が悪くなって行くのが、はっきり解る。
ここは港内で、殆ど揺れてないのに……って、ピクリとも揺れてねーぞって、私も昔不精ひげに言われた事あるなあ。あの時は大層腹が立った。
私も逞しくなったとは思うけど、それで他人の痛みを忘れる事は無いようにしたい。
「エステルさん、船酔いされてますね? 話はちゃんと承りますから、そこの河岸に上がりましょう。不精ひげごめん、もう一度お願い」
「へーい」
私は膝をついたままのエステルを立たせてやる。
「すまない……うぅ……なんと情けない」
エステルの瞳から一粒の涙がこぼれる。
私はエステルに肩を貸して舷門の方へ連れて行く。
他人の事言えないけど、小さな女の子だなあ。こんな小さな女の子が、一人で状況と戦っているのか。
私は色んな人に助けられて何とか船長って事にさせて貰えてるけど、この子には味方は居ないんだろうか。
ボートはフォルコン号から、河岸にあった近くの小さなボート用桟橋についた。
私は先に桟橋に飛び降りて、ボートの綱を駐留用の柱に掛ける。船酔い知らず無しでも、もうこのくらいは出来るのだ。
そうしてエステルに手を貸そうと振り向いた所で。やっと、ボートの船首側で荷物の隙間に入り、居眠りをしていたらしいアレクに気付いた。
え? ずっと居たの?
アレクは欠伸と伸びをしながら言った。
「ちょっとだけ聞いてたんだけど……船長って、騎士に叙任してもらってたよね」
アレク君。それは虎の尾のような気がする。何故今それを踏む。
今まさに、私の手を取って桟橋に飛び移ったエステルの、顔色が変わった……
「貴公は……騎士……」
エステルはもぎ取るように私から手を離した。
「いや、違うんです、マジュドの首長がですね、他に与える物が無いからと言って、いきなり人に大兜を被せて上から棒か何かでカーンって」
「自ら騎士団を率いて戦場を駆け回る、あの獅子王イマード手づからの叙任を受けたのか!?」
「いやその、何が何だか解らないままで」
「さ……さぞや滑稽だっただろう! 満足に騎士見習いにすらなれぬ小娘の戯言は! 情報屋に騙され人前で騒ぎを起こし無実の者に手を掛け、謝罪ひとつ満足に出来ない愚か者だと、心の中では笑っていたのだな!?」
「何でそうなるんですか!」
「では何故自分は騎士だと黙っていた! 私にはその名を聞かせる価値は無いと思ったのだろう! 普通、騎士同士は出会えば名乗りを上げるものだ……貴公は! 私を騎士とは思わないから名乗らなかったのだ!」
待ってよ! その涙は私のせいだと!? 泣かせてないよ、私泣かせてないよ!
「とにかく……もう頼まぬ!! 騒がせた事は詫びる!!」
そして泣きながら走り去る……エステル……
ぽろぽろと飛び散る涙が、見えるような気がした。