アイリ「行きたかったなあ……舞踏会……コルジアの王子様ってどんな方なのかしら……」
不精ひげの不意討ちでマカリオを退け、船に戻ったマリー。その最中で出て来た、不精ひげの本名っぽい名前。
そこにはあまり触れないマリー。
他所の船が鳴らす鐘の音で、私は仮眠から目覚める……正午のようだ。
立派な船は港にあっても、時を知らせる鐘を打つものなのだろう。我がフォルコン号では鐘を打つ係も決めておらず、洋上でも滅多に鳴らさない。
たまに私がアイリさんに食事を催促する為に鳴らすくらいだ……船鐘は粗末に扱ってはいけないらしいんだけど。
さて。もう一度宮廷舞踏会に行かなきゃ。昨日はアイリさんが準備を手伝ってくれたけど、今度は全部自分でやらないと。
「ごめんね。何も出来なくて」
船牢の様子も何度か見に行った。アイリさんは大人しく本など読んでいたけれど、やはりいつもの元気は無い。
本当はそれだけ恐ろしい相手っていう事よね、トリスタンって。
さて。艦長室を出た私を見て、早速不精ひげが吹き出しかける。
「待て船長、その格好はおかしい」
私はお姫マリーに舞踏会用のオーバースカートをつけ、キャプテンマリーの服と剣を包んだ風呂敷を背負っていた。
「今日は向こうで着替える必要がありそうなのよ。仕方ないじゃん」
「だからって風呂敷は無いだろ、背負い鞄くらい持ってたじゃないか」
「ボロボロの革鞄よりは、綺麗な風呂敷の方が、まだ淑女らしくない?」
「だけど、お付きの者が持つならともかく……」
不精ひげはそう呟いておいてから、青い顔をする。
「そうね! お付きの者が持ってくれたらいいのよ!」
「いや、それは、その……」
「何で辺りを見回してるの、貴方しか居ないわニック。業務命令ですのよ!」
私は墓穴を掘ってゲンナリ顔の不精ひげに風呂敷とトゥーヴァーさんの剣を持たせ、ボートで河岸に降りる。すると道の向こうから小さな二輪馬車がやって来る……あの御者は昨日の人ですよ。そして、エステルも馬車の隣を歩いて来る。
「馬車を呼んでおいた。城に行くのだろう、マリー・パスファインダー」
「あ……ありがとうエステル……あの、エステルも乗って下さいよ」
「私は騎士見習いなので徒歩で従事する。馭者殿、ついて来てくれ」
昨日アイリさんと一緒に乗った馬車に一人で乗る。その前を本物の貴公子のような姿のエステルが行き、後ろからは大柄な不精ひげの男が風呂敷包みを手に背中を丸めてついて来る。なんか昨日以上に人目が集まるわね。悪い意味で。
そして城に来て見ると。昨日ほどの人は居ない。入場待ちの行列も短いわね……これ、馬車じゃなくても良かったんじゃ。
「今日は陛下が来られるので、貴族達は昨日より多く来る。その為に市井の者は夕方には退出させられるんだ」
市井の者……つまり私も夕方には出て行かないといけないのね。トリスタンが現れそうな時間にはここに居られないのか。
「それと、そちらの紳士は……」エステル。
「ちゃんと紹介してなかったわね、フォルコン号の掌帆長のニックよ。今日は手伝ってもらう事がありそうだから、解る所に居て欲しいんだけど」
「掌帆長は初耳だぞ、ただのボート係じゃないか……そこの弓技場が下男用の待機所みたいだな。一応そこに居るよ」不精ひげ。
自分で下男まで言わなくても……なんか不精ひげって妙に卑屈な所あるよね……私も人の事言えないけど。
「ありがとう。その包みと剣、後で要るかもしれないから」
私とエステルは昨日貰った記章をつけていた。これがあれば今日も城のホールに入れるらしい。
「エステルはシルビアちゃん達の護衛に行くんですよね?」
「男爵令嬢達は夜会に合わせて午後三時頃に出発する。その時には屋敷に一度戻らないといけないが、まだ時間はある」
エステルはそう言うと、一歩、前に進み出て来て……私の手を取る。
「エステル?」
「君が何を為そうとしているのかは聞かない。だが私にも何か出来る事があるはずだ。それをやらせて欲しい、マリー・パスファインダー。君の力になりたい」
これは……仲間の誓い!? 今度は謎の貴公子ごっこじゃないし、私は今本当に助けを必要としている。
「ありがとうエステル! あの、私やりたい事を隠してるんじゃないんです、いつも何をしていいか解らなくて、それで」
私がエステルの手を取り返すと、エステルがさらに私の手を取る。
……
ちょっと盛り上がり過ぎのような気もするんだけど……私の目を真っ直ぐに見る、エステルの視線が真剣過ぎて、なかなかそんな事は言い出せない。
「昨日、その魔術師のトリスタンが現れたのは北西塔の近くだったんです。調べて見ようかと思うんです。何とか足取りを掴みたくて」
中庭には昨日のような振る舞いの屋台は出ておらず、食べ物は少々の焼き菓子だけだった。その代わり、夜には昨日以上の御馳走が出るとか。
噴水の周りには楽士隊が居て、今まさにガヴォット舞曲を奏でている。そして昨日のように、着飾った男女が列を成して優雅に踊っている……またこの列に混ざりたい……だけど今は我慢、我慢。私達は北西塔の方へ急ぐ。
昨日の衛兵さんは、北西塔の方では催し物は行われていないと言っていたが、今日は様子が違っていた。
近衛兵と思われる着飾った衛兵さん達が各所に行儀良く並び、殺風景だった石畳には花の鉢や籠が飾られている。
北西塔そのものにも、何かの紋章を描いたタペストリが提げられている。
「ここにその不審者が現れたのか? あのタペストリはゴルリオン王の紋章だぞ」
「ゴルリオン王? コルジアの王様は確かクリストバルさんじゃ」
「近所の叔父さんみたいな言い方をしないでくれ……コルジアも厳密にはいくつかの国の連合王国なのだ。ゴルリオンはラヴェル半島北中部に四百年の歴史を持つ古い国で……」
エステルの言葉が私の頭の中を素通りして行く。ごめんなさい……
「……とにかく今のゴルリオン王はクリストバル陛下の長男、シモン殿下だ。殿下は今郊外の宮殿におられるが、後でこちらを御座所とされるのだろう」
王様の長男……王子様か。凄いな、王子様出て来ちゃったよ。これはますます絵本の中の世界みたい……ってよく考えたら私ファルク王子やマフムード王にも会ってたしイマード首長とは屋台で並んでクスクスを食べた仲だった。
「どうする、マリー・パスファインダー。近衛兵に本当の事を話してみるのか?」
「あの、とりあえず私の事は単にマリーって呼んで下さいよ」
「ここは王子の御座所、黙ってうろうろしていたら咎められるぞ」
私達がそんな話をしていると、早速、近衛兵さんの一人が声を掛けて来た。
「君達、ここは舞踏会の会場じゃないぞ。ん? 君は確か、昨日……」
ぎゃっ!? この近衛兵さん、昨日の夜私にここを案内させた人じゃないですか、制服が違うから解らなかったよ。
「はい、私達はエルムンド・バルレラ男爵の令嬢達の護衛なんです」
私は咄嗟にそう言ってしまった。それはエステルに関しては本当だけど私に関してはウソである。
「そうか、昨夜もどこかで見たなと思っていたよ、中庭のダンスで記章を受け取っていたのも君達だったな」
「あの、殿下がお越しになる前に、少しこの辺りを見て回っても宜しいですか?」
「ああ、構わないとも」
どうもこの記章の威力らしいのだけど、私達は北西塔の周りをうろうろする事を許されたようである。まあ、王子様はまだ来てないんでしょうね。
私は昨日のバルコニー廊下に向かう。外の階段を上がって、アイリさんが居た辺りを過ぎ、トリスタンの手から短剣をもぎとった辺り……そこに。
「僅かだが、これは血痕だろうか」
エステルが屈みこんで指差す先には、ごく小さな、黒い染みが数滴こびりついていた。これが血痕だとしたら、昨日私があの短剣を闇雲に振り回した時の物かしら。