衛兵「(今の女の子は何だろう。誰かの知り合いかな)」衛兵「(誰かの身内なんだよな?)」衛兵「(不審者じゃないよな……堂々としてるし)」
何かを嗅ぎつけて飛び出したマリー。
なかなか終わらない一日。
今日の舞踏会はもう終わりだ。だけど中庭の隅ではまだ、数人の居残りの楽士が弦楽を奏で、少々お酒を召されたような機嫌の良い男女が何人か、輪を作って踊っている。こういうのは都会も田舎も変わらないようだ。
アイリがそういう人達の中に居るのならばそれでいい。私はそう思っていたけれど……そこにアイリは居ない。
本会場の方は既に門が閉ざされている……さすがに向こう側には入れないか。いや、閉ざされているのは正面の大きな門だけで、脇の通用口の方は開いている。
だけどアイリが城の中に居るだろうか? アイリは白銀魔法商会の会長だし、ヴァレリアンさんの他にも、貴族の知り合いくらい居てもおかしくない。たまたまそういう人の一人と、舞踏会で会ったとか。
そんな私の取り越し苦労だったというだけの話ならいいんだけど。
ディアマンテの城は奥に宮殿があり、手前に舞踏会の本会場となった大ホールがある。その他に聖堂など色々な施設があり、渡り廊下やバルコニーなどで繋がれている。その間、間には庭や広場があるが、宮廷舞踏会に解放されているのはその一部だ。
そんな渡り廊下を一つ挟んだ向こうの庭に、小さな人だかりが出来ている……誰か具合を悪くしたのだろうか、御婦人がベンチで蹲っていて、それを数人の紳士淑女が心配そうに囲んでいる。
何の騒ぎだろう。アイリさんとは関係なさそうだけど……
「ジョゼフィーヌ、もう大丈夫だよ、とにかくここを去ろう」
「勿論、私もここを去りたいのよ……だけど、足がすくんで……」
あれはアイビスの人で服飾の流行の権威、ジョゼフィーヌ夫人!
たちまち私の鼓動が……いや、昼間程には高まらなかった。何でだろう。今は自分がこんな恰好だからだろうか。
ジョゼフィーヌ夫人の傍らにいらっしゃるのは旦那さんかしら。他にも二組程の夫婦が居るが……皆顔を見合わせ、心配そうに眉間に皺を寄せているばかりだ。
私は声を掛けてみる。
「あの、何かお手伝い出来ますか?」
「君は……城の衛士かね? 妻が幽霊を見たと言って、すっかり怯えてしまって……一歩も歩けないというのだ、何か思案は無いものか」
幽霊? そういえば正門の近くでもそんな事を言っている人が居たわね。幽霊なんてそんなもの、居るわけが無いじゃない。
さて、歩けないのなら肩でも貸せばいいと思うんですけど……この旦那様は少しお年を召されている上、今日の舞踏会で疲れていらっしゃるようだ。連れ添いの皆様も遠慮されているのか。
幸い、ジョゼフィーヌ夫人の体格は私とあまり変わらない。
「宜しければ私が馬車口まで御送りしますよ。どうぞ、御肩を」
ジョゼフィーヌ夫人は私と、私の腰の剣を見上げた。
「その剣で守って下さるのね? 御願い……早くここから立ち去りたいわ……」
夫人は私に、すがるような視線を向ける。
私はジョゼフィーヌ夫人に肩を貸して、中庭を歩いて行く……その間にアイリの姿も探してみるが、やはり見つからない。
旦那様と御友人らしい二組の夫婦もついて来る。
「親切な方が居て良かった」「若いのに感心ですわね」
途中、衛兵さんなどともすれ違うが……特に何も言って来ない。私は剣を提げた不審者から、お節介な衛士に格上げされたのだろうか。
「貴女のその胴着素敵ね、縫製もいいわ。前面に皮革を使っているのね、お洒落と実用性を兼ね備えたいい服よ」
途中、ジョゼフィーヌ夫人がそう言ってくれた……良かったですねアイリさん。
「貴女……お名前は何とおっしゃるの」
「名乗る程の者ではございません。どうか良い夜を」
結局私は馬車口までジョゼフィーヌ夫人に肩を貸して連れて来て、御夫婦が馬車で去るのを見送った。
最後には名前を訊ねて貰えたんだけど、不思議なもので、あんなに名乗りたかった名前を今は名乗りたくなくなっていた。
夫人は本気で幽霊に怯えておられたのだ。何を見てそうなったのかは解らないが、気の毒な事だと思う。こんな夜の事は早く忘れてしまった方がいい。
私が馬車を見送る姿は、近くの衛兵さんにも見られていた。これで摘み出されるかしら……私がそう思っていると、その衛兵さんが普通に声を掛けて来る。
「何だって言うんだろうな。これで四人目だ、幽霊を見たと言う者は」
「さっき、ここでも幽霊を見たって騒いでた方が居ましたね」
「あの人もここで見たんじゃなく、見たのを思い出して怯えてたと言うんだよ……実際に見たのは北西塔の辺りだと」
「北西塔……ジョゼフィーヌ夫人が蹲っていたベンチも、北西塔の近くです」
「道化か何かが悪ふざけでもしてるのかな……すまんが、今の御婦人……ジョゼフィーヌ夫人というのか? 彼女が騒いでいた場所へ案内して貰えないか?」
行き掛り上、私はその鎧兜姿の衛兵さんと再び北西塔の方へ向かう事になった。
私、アイリさんを捜したいんですけどね……でもこっちも何も手掛かりはないし、不法侵入が無かった事にして貰えるならこれでいいか……
「夫人はこのベンチで蹲っていました」
「この辺りは舞踏会には使っていないが、今日は想像以上に来客が多かったからな、座る所がなくてこの辺りまで来てしまったのか」
この辺りにはあまり明かりは無いが、満月に近い月のおかげで周囲は見渡し易い……ああそうか、舞踏会自体が満月に合わせて開催されているのね。完全な満月になるのは多分明後日くらいだろう。
「幽霊が居た痕跡なんか無さそうだな。あっても俺には解らんだろうが」
「道化師が居るような場所でも無いですね……皆、何を見て幽霊だと思ったんでしょう」
「とにかく、上に報告しておこう。案内をありがとう」
衛兵さんはそれだけ言って、馬車口の方へと帰って行く……剣を提げた小娘の不審者はいいのだろうか。
周囲はますます寂しくなった。もう居残りの楽士も帰り、音楽も聞こえなくなった。幽霊が居るというのなら、そろそろ現れても良いのでは。
奥の宮殿の方も、ほとんど明かりが点いていない……王様は普段は郊外の別荘に住んでるんだっけ。立派な建物が勿体無いわね……
ん? 今、階段の辺りに誰か……石畳の庭から階段を上がり、渡り廊下の上へ続く道で、ヒラリと何かが翻るのが見えたような。
私は手摺りの陰に身を隠しながら階段を登る……果たして。私と同じように階段に身を隠しながら、渡り廊下の上のバルコニーを覗き込んでいるドレス姿の女性は、アイリさんじゃありませんか。
私はうっかり、普通に声を掛けてしまった。
「アイリさん!」
「きゃああぁああああ!?」
驚かせてしまったのか。アイリさんは小さく飛び上がる。
アイリさんも覗いていたバルコニーの上には、別の人影があった。
それは灰色の外套を着て、灰色のフードを被った、肌も髪も灰色の、幽霊のような男……!
振り向いたその幽霊のような男は、私……いや、アイリを見て……唇を歪めた。
私は自分が大変な失敗をした事に気づいた。アイリは用心して身を隠していたのに!
灰色の男は地面を歩いていなかった。男は地面から少し浮かんだまま……外套をなびかせ、真っ直ぐこっちに……飛んで来る!
私は男とアイリの間に飛び出す。寸での所で、私は止めようとしたアイリの腕を逃れる。
男は懐から捻じ曲がった短剣を抜く……その虚空のような目は、私ではなくアイリに向けられている……!
「マリー……!」
アイリさんが震える声で叫ぶ。
私は大股に踏み込んで手を伸ばし、その灰色の男の手を、いや、捻じ曲がった短剣の柄を握り締めていた。
灰色の男の手は煙のように変化し、掴む事は出来ない。だけど短剣は実体を持っているらしく、掴める。
うそ……出来た……自分でもこんな事が出来るとは思わなかった。
私はもぎ取るように短剣の柄を引っ張る。ほとんど抵抗を感じる事もなく、それは灰色の男の手から、私の手に移った……!
次の瞬間。
「きゃあああ!」
「わあああ!?」
突然虚空から無数のコウモリが湧き出す!? 違う、この男だ! この男の体がそう変化したのだ! このっ……! 私は奪った短剣を振りかざす……!
あっという間の出来事だった。
気がつけば私もアイリも、バルコニーの石畳にへたり込んでいた。
コウモリの群れはもう飛び去った後だ。飛んで行く方向を見る事は出来なかった。
トリスタンが……何故ここに……