アイリ「マリーちゃんに戦場はまだ早かったかしら。仕方ないわね……さて、と……(索敵開始)」
ビコにとどめを刺した事を気に病むマリー。
闘牛用語では牛に止めを刺す事を「真実の時」と言うらしいよ。
なるべく牛が苦しまないように、一突きで綺麗に仕留めるのが最上とされるそうだ。
そして相変わらずマリーとフレデリクを別人として扱う人々。
午後三時。フォルコン号が係留する波止場の近くには、アイリが呼んだ日除け付きの二輪馬車が留まっていた。
「わざわざ馬車で行くんですか?」
「マリーちゃん、貴女もこれまで色々な冒険をして来たんだと思うけれど、舞踏会に出るのはこれが初めてよね? 今日はお姉さんの言う事を聞きなさい」
アイリさんは淑女としての完全武装をすっかり整えていた。正直そのメイクはやり過ぎなような気もするが、それは今言う事ではないだろう。
私はお姫マリーに着替えていた。このワンピースは膝下までの丈があるけど、舞踏会にはこれでは足りないという事で、足元まで隠すフリフリのオーバースカートをつけてもらった。勿論これもアイリさんの作品だ。花飾りのついた鍔の広い帽子も貸してもらった。
小柄な荷馬が引く馬車が動き出す。私とアイリさんは並んで座席に座っている。荷馬には引き綱がついているのだが、それを引いているのは徒歩のおじさんだ。
馬車は徒歩と変わらない速さで街を行く。
「何だか申し訳無い乗り物ですね。これ普通に歩いた方が早くないですか」
「マリーちゃん、違うの。淑女はね、歩いて来ちゃいけないのよ」
御者のおじさんは最初は無口だったが、私がニスル語で話し掛けると陽気に応じてくれた。おじさんはマジュドの出身だったらしい。
「なんと! イマード首長のお知り合いだか。こりゃあ偉ぇ人に乗っていただけて光栄だべ」
「首長は旅先でもババーン、って音楽を奏でさせながら現れるのですわ、さすがのマリーちゃんもビックリでしたのよ」
「あはははは、あの人は相変わらずだなや。あれでコルジアでも大層恐れられている英雄なんだべや」
やがて、ディアマンテの宮殿が近づいて来る。意外と地味なお城ですね。敷地は広そうだけど高い塔とかは無くて、装飾も質実剛健な感じですよ。
「ディアマンテは暫定的な首都なのよ。伝統的な首都は内陸にあって、そこには立派なお城があるんだけど、コルジアは今とにかく海洋王国としてノリノリだから、政治の中心もここにするしか無いのよね」
アイリさんが解説してくれる。よく解らないけど……宮廷舞踏会って、私が思っているほどキラキラヒラヒラした物ではないのかもしれない。
馬車が正門に近づくにつれ、人が多くなって来たような気はしていたけれど。
宮殿に続く正門通りに出てみたら……ぎゃああ!? 田舎者の私には見た事もない、いや想像した事も無い程の群衆が! 宮殿に向かって歩いてますよ!
これ全部宮殿に入れるの!? と思ったら……行列は途中で止まっている……これ皆入場待ちをしているんですか!?
着飾った老若男女が並んでいる。笑顔だったり呆れ顔だったり、皆気持ちは色々みたいだけれど、とにかく待っている。
「アイリさん! 私達もあの列の後ろに並ばないといけないんじゃ……」
「マリーちゃん。貴女の気持ちは人として正しいとは思うけれど、これが人の世の理なのよ。御覧なさい。馬車で来た人は、馬車用の入り口から入って行くでしょう?」
私の抗議に、アイリさんは遠い目で答える……これが人の世の理か……私は馬車の座席に深く腰を埋め、帽子の鍔を下げる。
馬車は専用のロータリーへと導かれる。そこには馬車で来た客用の門があり、衛兵さんが二人立っている。他の訪問客もそこを通って行く……行列に並ぶ事もなく。
さて、私達の番だ。
「ようこそお越し下さいました。御芳名をお伺い致します」
「マリー・パスファインダーとアイリ・フェヌグリークでございます」
「紹介状はお持ちでしょうか?」
私は瞬間的にアイリを見る。ちょっと! 盛大に話が違いませんか!?
だけどアイリさんはスッと、懐から三つ折りの紙を差し出す。
「失礼致しました、どうぞお通り下さい」
アイリさんは魔女だというのを忘れていた。一体……
「紹介状が必要なんて聞いてませんよ! どんな魔法を使ったんですか!?」
「魔法なんて使わないわよ、紹介状を見せただけよ」
「誰の紹介状なんですか?」
「アイビスの宮廷魔術師、トリスタン師よ。勿論、書いたのは私だけど」
ええええええええ!?
「ふふ、いいのよ、あんなゲート、衛兵さんが念の為聞いてるだけなんだから、いちいち本物かどうかなんて調べないし誰も気にしないわ」
そ……そうかなあ……
「あの人はアイビスの名士だったし、コルジアにも知り合いは居るでしょ。まあ……私はブルマリンで喧嘩別れした訳だけど。私、さんざんあの人の為に働いたんだから。こういう時くらい、名前借りちゃったっていいでしょ」
そうか。アイリさんは本当にハマームの騒動と、そこにトリスタンが関わった事を良く知らないんだ……もちろんその最後も……
実際トリスタンについては私もよく解らない。ハマームの人達も解らないんだと思う。何故あそこに居たのかも、その後どうなったのかも。
順路に沿って進むと、宮殿の中庭に出た。小さな飾り水路が縦横に走る庭園には、方々に薔薇の生垣がある。低い舞台の上では管楽器や弦楽器を持った楽士隊が音合わせをしている。
訪問客は既に大勢居る……今こんなに居るのに、この後あの門前で行列していた人達が入って来るの!? それでどうなっちゃうの?
「マリーちゃん。食事を提供する屋台もたくさんあるけれど、こんな所まで来て食いしん坊は駄目よ? 特に肉はやめなさい、パエリアも駄目よ、ニンニクが入ってる可能性がある物は食べない! 食べていいのは焼き菓子だけ、いいわね?」
「そんな……みんな美味しそうですよ、それにタダだって……ああっ! あの大きな海老、もうなくなりそうで」
「タダだからとか、勿体ないとか、そういう気持ちは今日は全部忘れて。ここは女の戦場なのよ」
「ええええ……私はまだ食いしん坊でいいんですよ……」
私がそう言った瞬間、アイリさんは私の頭を掴み顔を引き寄せる。しまった。これは失言だった。アイリさん、目が怖い……
「マリーちゃん、貴女も今はその若さが無限に続くと思ってるんでしょうけどね。女の二十代はあっという間よ? 蝶よ花よと言われる時期が永遠に続いたりはしないのよ? 女の人生は長いのよ? 私のこの言葉、今は解らないでしょうけれど、そのうち解る日が来るのよ? いいわ、好きになさい……私は狩猟に出掛けるから」
そう言って、アイリさんは舞踏会の雑踏の中に消えてしまった。
私はただ落ち込むしかなかった。私は18歳の頃のアイリさんの人生を台無しにしたのが、他ならぬ私の実父だという事を知っている。
そう。知っているけど話してない。私は孤独な悪魔である。
そういえば私は最近、誰かから悪魔って呼ばれたような。いつ誰に言われたんだっけ……
「マリー・パスファインダー!? 何故ここに居る、怪我をしたんじゃなかったのか」
私は背後から突然そう呼びかけられ、小さく跳び上がる。振り向いた所に居たのは、赤と黒のジュストコールできりりと男装した……いや、この子はいつもそうなんだけど……エステルだった。
「まあ、エステル! 貴女もドレスを着るのでは無かったのですの?」
あっ、お姫マリーっぽい感じで答えてしまった。エステルもちょっとびっくりした顔をしてから……溜息をついた。
「君は何を着ても似合うんだな、マリー・パスファインダー。私は似合いもしない騎士姿を頑張る以外に能は無いんだ。私は今日はエドムンド卿の娘達の護衛をしなくてはならないので、これで失礼する」
エステルはそう言って立ち去ろうとする。アイリさんに置いていかれた暇人の私は、エステルについて行く。
「前にテラスから顔を出していた子達ですよね。私達よりちょっと年下かしら」
「14歳と12歳、シルビア嬢とアリシア嬢だ。堅物の私とは違う垢ぬけた娘達だからな……私と居てもつまらないのだろう、すぐに置いて行かれてしまう」
エステルは薫りよくスパイシーに焼かれた大きな海老が二匹乗った皿を持っていた。男爵令嬢達の為に取りに行かされていたのだろうか。それなのに二人はその間に居なくなったのかしら。
「私もお手伝い致しますわ。お顔はこの前拝見しましたもの」
「どうでもいいが、君のその口調には違和感がある……」
「エステル! あちらではなくて?」
私はそれを指差す。
中庭の、見事な噴水を囲む広場に人だかりが出来ている……そこにも楽士達がいくらか居て弦楽で何か奏でていて、それに合わせていくらかの人々が、ペアになって踊っている……そこにあの娘さん達も居た。
「ああ本当だ、助かったぞマリー・パスファインダー。ではこれで失礼する」
余所余所しくフルネームで呼ばないでよ、と思いながら、私はなおもエステルについて行く。