アイリ「……(あの男はこの芝居好きって言ってたわね……)」アレク「……(フォルコン船長はこの芝居好きだったな……)」
賑やかな夜のディアマンテ、つつがなく進む準備。
今回は順風満帆ですねえ。
翌朝。私はもう一度会食室に皆を集める。
「皆さん、今回は……今回も私の我侭で目的地をコロコロ変えて申し訳ありません。今回は商売抜きでディアマンテに来てしまった訳ですが、ちょうど町もお祭り騒ぎで楽しそうですし、ここで皆さんにも休暇を取っていただこうと思うのですが」
アイリと不精ひげが拍手をする。ロイ爺とアレクは顔を見合わせる程度か。ウラドとカイヴァーンは微妙な顔……その、ウラドが口を開く。
「ならば私は船で留守番をしよう。カイヴァーンもそうするか?」
「うん……ディアマンテはちょっと居辛いや。ウラドの兄貴と二人で待ってるよ」
ディアマンテはコルジア海軍の船も多く、水兵狩りの対象にされやすいウラドと、元ナームヴァル海賊のカイヴァーンには居心地が良くないのだろう。
「ごめんね。二人にはなるべくお土産とか買って来るから……とりあえず、明後日の午前9時までは休暇とします! ただ、今回は休暇明けがそのまま出港になるかどうかはちょっと解らないんです。うちの商売もあるからあんまりだらだら長居したくはないですけど、グラナダ侯爵の件は一区切りつくまでは協力しなきゃなって思って」
不精ひげは私の話が終わった数分後には船から姿を消していた。
ロイ爺は旅支度のような事をしているので聞いてみると、昔の仲間がディアマンテ近郊の村に住んでいるので訪ねてみようと思っていると。
アレクは渋るカイヴァーンを祭り見物に誘っている。アイリさんは士官室でメイク中かしら。
私には午前中の予定が無い。グラナダ卿とバルレラ卿の朝の会食については、儀礼上双方従士は一名ずつとなったようで、今頃エステルとロヴネルさんを同席してささやかに行われていると思う。
「やっぱりやめておくってさ」アレク。
「まだ小さいのに、色々抱え過ぎよね……あの子も」アイリ。
私達は三人で船を降りる。行き先は特に無い。
「太っちょもアイリも、ディアマンテって来た事無いよね? 私からはぐれないようにしてね。ここは大都会だから、あっという間に迷子になるよ!」
私は得意顔で、昨夜エステルが往復で案内してくれた道を歩く。
アレクは普段着ない綺麗な船員服を出して来た。アイリさんは……少し気合を入れ過ぎだと思う……メイクも御洒落も凄い。そして私はキャプテンマリーだ。いつフレデリクが呼ばれるか解らないし。
「そこ! 猿回しやってますよ!」アレク。
「あら、可愛いじゃない」アイリ。
人だかりの中心では、大道芸人が小柄な猿を使い、息のあった芸を見せていた。この芸人さんもどこから来たのだろう、この辺りのどんな人々とも雰囲気が違うような。そして猿の衣装が少し私の服に似ている。
「じゃあ船長さん、帆を揚げて来て下さい! マストに登って、そうそう……えっ何だって? 船酔いで気持ち悪い? 駄目でしょ貴方船長さんでしょー!!」
マストに見立てた棒を登ろうとした猿がわざと落ちて苦しげにうずくまり、芸人が突っ込みを入れると、周りからささやかな笑いが起きる。
私は真顔になるしかなかった。
猿回しの次は買い食いだ。サフィーラほどではないがこの町の人もお菓子は好きなようで、あちらこちらから甘い匂いで誘惑して来る。
「揚げたてのチュロスだよ! こんなに砂糖をつけるのは今日だけだよ! 早い者勝ちだよ本当に!」
きゃあああこれが噂のチュロスですよ! だけどこの、揚げ油の香りに混じった微かな、不思議な、人を誘惑してやまないこの香り、一体なんですかこれは?
「アレクの兄貴ィ、この不思議な香りは何だろう」
私はカイヴァーン風に尋ねる。
「シナモンだね、こんな露店で売るお菓子にまで使ってるなんて……これも中太洋の彼方の国まで行くか、ターミガンの人に頼むかしないと買えない香料だよ」
これが海洋王国の都という事ですか……
正直、我がアイビス王国は世界進出ではかなり遅れをとっているのよね。アイビスの首都の露店で、こんな魅惑の香りのお菓子が売られていて、私などのような庶民の口に入ったりするだろうか。
まあマリーはそんな事はどうでもいい。三つ下さい。砂糖とシナモンたっぷりのやつを!
「さっ、食べよ食べよ」「船長ごちそうさま!」「んー、いい香り」
それからもあっちでチョリソー、こっちでクロケッタと食べ歩きながら、私達は解放広場の劇場へやって来る。ここも昨日から気になっていたのだが……
「船長……これドロドロの不倫劇のやつよ」アイリ。
「これはキツいなあ……」アレク。
「ええっ!? だってこれ英雄物語だって」
「英雄だけど他人の奥さんばっかり好きになるのよコイツ、しかもその度に前の女捨てるの!」
「毎回すごい反省してくよくよ悩むくせに、またすぐ不倫するんだよね……」
「ええ……ただの腐れ外道じゃないですか……」
芝居を観る気をなくした私は、二人に付き合い立派な商店が並ぶ通りの方へ行く。
「アイリさん、宮廷舞踏会自体は行く気なんですね?」
「さすがに侯爵と一緒に行く度胸はないけどね。ちゃんとおめかしして行けば誰でも参加出来るのよ! 悪いけど私、素敵な王子様に見初められて船を降りる事になるかもしれないわ! いいえ、きっとそうなるから!」
お姉さんは拳を握って天に突きだす。本気かしら。本気かもしれない……
「僕は結局仕事かなあ。フォルコン号も海に出て三か月半、そろそろ備品の補充もしなきゃならないから」
ディアマンテの商店街は何でも揃う。アイリさんが欲しい化粧品やアクセサリーも、アレクが欲しい機械油や螺旋も、豊富な種類の在庫を持つ店がある。
本屋もあるわね。航海術の本も色々ありそうだけど……私はロングストーンの反省から本を買うのは自重する。
楽器を扱う店も見つけてしまった。ギターも売ってますよ! だけど最近の私は少しお金を使い過ぎだと思うので、やはり自重する。
アイリさんとアレクと、おしゃべりしながら歩く商店街……楽しいなあ。船乗りは海で暮らしているけど、やっぱり楽しい事は陸にあるんじゃないですかね。
海はあくまでお金を稼ぐ場所であって、稼いだ金を使って楽しむのは陸なのだ。
やがて、正午の鐘が鳴る。かなり遠くから聞こえる……この街自慢の高い塔で鳴っているのだとか……素敵な音だけど、私はそろそろ行かないといけない。
「ごめんなさい、そろそろグラナダ侯爵に会いに行かないと」
「付き合ってくれてありがとう、船長」アレク。
「宮廷舞踏会で会いましょう! まだまだマリーちゃんには負けないわよ!」アイリさん。マリーはこの際関係無いんじゃ……
私は二人と別れて解放広場の銀獅子亭の方に向かって歩き出す。方角はこっちで合っているはず。
合っているはず。
そして午後から始まる宮廷舞踏会に向け、盛り上がるディアマンテの街を行く私は、解放広場ではない別の広場に出ていた。
広場の中央には石造りの闘技場のような物があるが、かなり古い建造物であちこち壊れかかっているし、門には扉がついておらず、中の客席や中央の舞台も丸見えだ。
「よう、お兄さん観光客かい?」
アイマスクもつけたフレデリク姿の私がぼんやりそれを見ていると、近くに居た暇そうなおじいさんが声を掛けて来た。
「これはもう使われていないのか?」
「俺が子供の頃からこんなだったさ、どでかいベンチだよ。みんなここで昼飯を食ったり、仕事サボってごろごろするのに使うんだ」
そんな感じですね。客席には昼間から酔っ払って騒いでる男共も居るし、昼食を食べている家族、乳飲み子を抱えて日向ぼっこをしているお母さん達も居る。
「今時は闘技場も流行らないのかな」
「剣の試合なんてどこでも見れるからな、こんな所でやったって誰も金払って見たりしないさ。古代帝国の頃は賑やかだったんだろうなぁ」
その時ふと。広場に続く大路の方で騒ぎ声がする。
見れば……ずいぶん大きな牡牛が居る。
今日は人も多いし、この辺りは騒ぎ声も大きいから、牡牛が機嫌を悪くしたようだ。首を振る牡牛を周りの男達が何とかなだめようとしている。
「あれも祭りの見世物かな?」
「ハハハ、ありゃあただの肉屋に連れて行かれる牛さ。そういや、古代帝国時代には、男達が牛と戦う競技なんてのもあったらしい」
「へぇ……今はやらないのかな」
「誰が見るんだい、そんなの、牛なんて大人しい生き物なんだから、それを大勢で寄ってたかって弓だの槍だので殺すなんて、気持ちのいいもんじゃないだろう」
「うーん。それもそうだな」
牡牛もどうにか落ち着きを取り戻したようだ。それにしても大きな黒牛だ。角も立派だ。さすが大都会、牛も桁違いなのね。
そんな事を考えながら、ぼんやり見ていたら。牡牛は一際大きな鼻息を噴き、引綱を握る男達にその巨大な首を叩きつけるように振り回した。
「うわああっ!?」「綱が……!」「危ない!!」
全ての引綱を掴む手を振り切った牡牛は、鼻息荒く辺りを見回しながら広場の中へと歩いて来る。近くに居た人々が引き波のように引いて行く。