ロワン「お手玉が言う事を聞かないよ! 勝手にぐるぐる飛び回る、ロワンもぐるぐる、目が回るー!」
あっさりと巻き込まれたエステル。
密かにほくそ笑むマリー。
夜のディアマンテは賑やかで、あちらこちらから炊事の煙が上がっている。私は腹が減っていたけれど、今はお使いが先だ。
私はエステルの案内で、エドムンド・バルレラ男爵が逗留する屋敷に向かっていた。こちらはディアマンテにも家をお持ちだそうである。
「どうしてこうなるんだ……結局巻き込まれた」
エステルは船酔いで蹲っていた時以上に萎れていた。
賑やかな夜の都会。私はエステルから離れないように歩く。
「あまり近づかないでくれないか」
「そんな事言わず頼むよ、こんな所で迷子になったら船にも帰れなくなりそうだ」
「案内はちゃんとするから! 少し離れてついて来てくれと言ってるんだ!」
そんなエステルに、きつい化粧をした女の人達が、路地の影から声を掛ける。
「お嬢ちゃん! その男要らないならこっちに置いてっとくれよ!」
「そうそう、あたしらが朝まで面倒見てやるよ!」
私がそっちを見てぼんやりしていると、耳まで真っ赤になったエステルが慌てて飛んで来て、私の肘を掴んで引っ張りだす。
「さっさと来いッ! 田舎者!」
田舎者。自覚はあったけど面と向かって言われるとほんのりと胸が痛みますね。
後ろで女達が大笑いしている。何だと言うのだろう。
夜だというのに露店も明かりをつけて営業している。子供でも酒場のテーブルを囲んで食事をしている。街頭で詩人が詩を披露し、人々が吟味している。
楽器の音も方々から聞こえる……街角で演奏している人も。
「エステル! あそこでリュートを弾いてる、少しだけ聴いて行きたい!」
「大声で言うなッ、恥ずかしいから……あれはギターというんだ、リュートじゃない……大事な使いの途中だろう」
「頼むよエステル、ほんの少しだけ」
「その声をやめろ! 肘を掴むな! 私は君の肘を掴んだけど君は私を掴むな!」
正直、私はリュートの音色もあまり聞いた事がない。ヴィタリスで楽器と言えば衛兵さん達のラッパと山羊追いの角笛くらいだった。
これがギターか。何と心躍る音色だろう。私もあんなのが出来たらいいのに。船の皆の前で弾けたら気持ちいいだろうな。ヴィタリスにも連れて帰りたい。ギターか……欲しいなあ。こういう物はどこに行けば手に入るのだろう。
結局私はその曲が終わるまで、エステルの肘を掴んだままその場に立ちすくんでいた。
「気は済んだか……行くぞ」
「ちょっと待って、銅貨を少しだけ……あの人に」
私はギター奏者の所に行き、裏返しで置いてある帽子の中に、銅貨を数枚入れる。
どこの街でもそうだが、富貴な者は富貴な者同士、集まって住んでいるようで。ディアマンテのバルレラ家の屋敷もやはりそんな屋敷町に佇んでいた。さすがにサフィーラの屋敷と比べたら小さいが、石造りの重厚な三階建ての建物だ。
門の前には衛士も居る。アプローチの篝火に薪を足している使用人の姿も。バルコニーテラスからは女の子の声が聞こえる……
「お父様! エステルが戻りましたわ!」
「見て! 誰か紳士を連れてますわ! 恋人かしら!?」
そのうち、私やエステルより少し年下と思われる女の子が二人、手摺りから顔を出す……あれがバルレラ男爵の娘さん達だろうか。
「こんなに早く再会出来るとは思ってもいなかった。娘達が粗相をしたようで申し訳ない」
バルレラ男爵、エドムンドさんは少し疲れた顔で手を差し出す……握手……その疲れは長旅のせいじゃなさそうですね……聞いてみようか。
「顔色が冴えませんが……旅の疲れでしょうか」
「いや……うむ……マカリオの事だ。近年は口論が多くなっていたのだが、完全に喧嘩になってしまった。ああ、卿のせいではない。私はもっと早くにマカリオとたくさん話すべきだった。それだけだ。後は……年頃の娘達の事で少々頭が痛い程度かな。小さい頃は二人とも素直だったのだが。ははは」
少し話が切り出し辛くなったなあ。私はそう思って傍らのエステルの顔を見る。すると……何か悟ったようにエステルは頷き、エドムンドさんに向かって言った。
「男爵様、朗報がございます! グラナダ侯爵は今、ここディアマンテに居られるのです、この……フレデリクが手引きを……グラナダ卿は明日の朝食で御挨拶したいと仰せられております!」
私は疲れてる所にそんな話をして大丈夫かと思ったが、エドムンドさんの疲れはエステルのこの言葉で吹き飛んだらしい。
「何と!? 私はまた夢を見ているのではないだろうな!? グラナダ卿が……フレデリク卿の手引きで来られたと! アイビスはどの程度絡んでいるのだろうか」
アイビスは絡んでますね、お針子ですけど……いや、全く関係ない……
「グラナダ卿はストーク海軍のロヴネル提督の個人的な手引きで来られました。今回の彼の行動にはアイビスやコルジアのどんな派閥も関わっておりません。それ故に、私もどんな話になるのかはまるで想像出来ませんが」
そして私はいつも通り、知っている事をいかにも重要な事のように、そして知らない事は知らないと話す。
「そうか……うむ、いや、私も気が急いてしまった。朝食を御一緒にというのはちょうどいい。まずは挨拶だな、うむ、まずは落ち着こう、うむ……」
エドムンド・バルレラ男爵はそんな事を言いながら、やたらとその辺りを歩き回ったり、上着の襟やスカーフを直したり、髪を撫でつけたりしている。偉い人でもこういうのあるのね。面白い。
「何から始めよう、そうだ、使いを出そう、いや私自ら出向くべきか?」
「男爵様、明日御会いになるのですから、使いで十分でしょう、私が参りますから」
エステルも微笑みを浮かべてそう言った。
「しかし、君も今戻ったばかりではないか、誰か代わりの者でも……」
「フレデリク卿、も御案内しなくてはいけませんので。彼はディアマンテは不慣れなのです。大丈夫です、私にお任せ下さい」
「ありがとう、エステル君。本当に、娘達も君のようなしっかり者になってくれたら良いのだが」
私達が屋敷を出る時も、テラスの上から二人の男爵令嬢が見ていた。
「えーっ、また出掛けるのエステル、貴女も明日はドレスを着るんでしょう?」
「エステルお姉様、その方は恋人ですの?」
「やめないかお前達、御客様の前で」
見送りに出て来てくれたエドムンドさんがたしなめると、娘さん達は笑い声を上げて姿を消す。それを見てエドムンド父さんはまた溜息をつく。
「あれでもエミリオが亡くなってから、二人ともずっと塞ぎ込みがちだったのだ……卿がロワンを連れ戻して来てくれて良かった。ロワン自身は、エミリオが死んだ事に酷く責任を感じていて、それは気の毒な程伝わって来るのだが……娘達の前ではひたすらに己の悲しみを隠し、他者の悲しみを癒そうとしている」
すごいな、ロワン。人間って凄いな。誰にどんな力があるかなんて、解らないもんだな。
それから私達は銀獅子亭に戻り、侯爵への使いを済ませる。
色んな人と会い、その人達の表情を見る事で、アホのマリーちゃんにも少しは今回の件が飲み込めて来た。
エドムンドさんはグラナダ侯爵に会える事になって喜んでいる。グラナダさんは旅が出来た事だけで十分楽しそうだけど、こちらも男爵に会うのを待ち望んでいる。
ロヴネルさんはよく解らないけど、これで何かランベロウの件を帳消しに出来る算段がつくのだろうか。
「ここから港へは一人で帰れるよ。エステルだってあまり遅くなっても困るだろう」
「君は強いけど心配な所もある。最後まで送る」
「それだと船に着いた後、また僕が君を男爵の屋敷まで送るぞ」
「……きりがないな。解った。知らない人間にはついて行くなよ? 人気の無い所には近づくんじゃないぞ?」
「ありがとう。じゃあまた明日」
そして今度こそ、私とエステルは普通に手を振って別れた。