エステル「今度こそ、今度こそ君の言いなりにはならないからなっ」
マリーは懲り懲りなエステル。
やっぱり巻き込みたいマリー。
エステルは。先日のロワンの事が縁になり知己を得たエドムンド男爵に、娘さん達の衛士役として、ここディアマンテの宮廷舞踏会に連れて来て貰ったそうである。
とはいえ船にはとことん弱いエステルは、サフィーラからの海路を殆ど船尾の柵にぶら下がったまま過ごして来たらしい。
それでもペルラから先は波もなく、もう大丈夫と思って夕方に久しぶりに船内食とワインをいただいたのだそうだ。
三日ぶりのまともな食事は、食べている時は幸せだったと。
「あの。私も少し前まで船酔いすごかったんですよ、港の中に係留してる船の上でもげろげろ言うくらいで、仕方ないですよ、おかしいのは船乗り共の方ですよ」
エステルも一度戻してしまったおかげで、だいぶ楽になったようだった……しかし、元気になったらなったで……私のアイマスクを、何かの感情が凄く詰まった目線で見つめて来る……
「さっきの話が済んでいない。マリー・パスファインダー、君はまだ私のような犠牲者を増やす事を望んでいるのか」
「そ、それは」
「わ、私はすっかり、君がフレデリクだと信じて……!」
そこまで言って耳の端まで真っ赤になるエステル……ごめんなさい、生まれて来てごめんなさい、悪いのは私の父です……
「ごめんなさい。だけど私は本当にエステルの力になりたかったんです。でもマリーはもう嫌われちゃったと思ったから、別人に化けて近づこうと思って。そうしたら、その過程で関わったロワンの事件が思った以上に大事で……それで逆にエステルに力になってもらう事になっちゃって」
エステルは項垂れる。
「何を言ってるのか良く解らないし、地声で話されると違和感があるな……」
「ああ、フレデリクの声の方がいいかな」
「だからといってその声はやめろ! やっぱり馬鹿にしてるだろう、私の事を! とにかく、気に掛けてくれた事には感謝する、でもこれ以上の気遣いは無用だっ! これで失礼させて貰う!」
エステルは背中を向け、立ち去って行く……ああ、やっぱりだめか……
そう思っていたら、エステルは三歩歩いた所で立ち止まり振り返った。
「今の件の御礼を言ってなかった。助けてくれてありがとう。必死で吐き気を堪えてたせいで、男共に言い返せなくて困っていた……結局吐いたけど」
何と答えようか迷っているうちに、エステルは再び背中を向けて歩き去る。
私は溜息をつくより無かった。エステルはいい子だし、性格が合わない訳でもないし、私も友達になりたいと思っているのに、どうも上手く行かないなあ。
私はただ波止場に佇んでいた。エステルはどんどん歩いて行くが……二十歩程離れた所でまた振り返り、こちらに戻って来た。
「それで、君はここで何をしてるんだ」
「ええと、古い友人と待ち合わせをしていて……そうだ、何とかって広場の近くにある『銀獅子亭』っていう宿を探してるんですけど」
「……場所は知っているんだな?」
「いえ……今から探そうかと」
「広場の名前は? 私には言えないけれど知っているんだな? じゃあ私に構わず行けばいい」
「それが、広場としか覚えてなくて、とりあえず広場っぽい所に行ってみて探そうかと」
「本気で言ってるのか? この町に広場がいくつあると思ってるんだ、十万人以上が住む町だぞ」
あああ……これだから田舎者は……私はまたしても、ヴィタリスやレッドポーチの尺度で物事を捉えていた……ここは新世界と北大陸の間で最大の貿易港、ディアマンテである……
「あ、あの……エステルはエドムンド男爵の護衛で来ているそうですが」
「男爵の娘達の護衛だ。だが男爵とその家族には役立たずの私を置いて先に行っていただいた! 私は明日の朝までに男爵家が宿泊する宿に行けばいい」
「そうしたらですね、もしかしたらその、銀獅子亭を探すのを手伝っていただけたりはしないでしょうか……私、ディアマンテに来たのは初めてなんですけど……」
エステルはがっくりと、さっきより大きく項垂れる。
「私はこの町に十回は来ている……とにかく、その銀獅子亭とやらを見つけてしまおう……待ち合わせに使うような広場なら凱旋広場か解放広場のどちらかだろう……ついて来ていいけれど、そのアイマスクは外して普通の声で喋れ!」
「ごめんなさい、待ち合わせの相手が待ってるのはフレデリクなんです、これで行かないと不具合が起きる可能性が」
「ならせめて離れてついて来てくれ! 君のその仮装にはトラウマがあるんだ!」
サフィーラもそうだったけど、ディアマンテも宵っ張りな町だ。わざわざ明かりをつけて、いつまで起きてるの。ランプオイルが勿体ないから早く寝なさい。
「それにしても賑やかな町だね、サフィーラでもそう思ったけどここはまた少し雰囲気が違うよ。あ、見て、道化師が居る!」私。
「ジャグリングか……ロワンの手並みを見た後だと平凡に見えるな。そうだ、ロワンも来てるよ。宮廷舞踏会に連れて行くんだそうだ」エステル。
「それは良かった! ロワンの腕なら目の肥えた貴族たちも納得するんじゃないか。僕らも頑張った甲斐があったな」
「ふふ。ロワンが宮廷で喝采を受けたら痛快かもしれないな」
街は浮足立っていた。さすがに一年中こんな様子では無いんだとは思う。明日が宮廷舞踏会が始まる日だから、皆そわそわしてるんだろうな。
舞踏会に合わせてやって来たんだと思われる人々も多い。舞踏会に行く為に来ている人も居れば、舞踏会には行かないけれど一商売したいというような、行商人や道化師、芸人、労働者、それから……
「スリだあぁ! スリが居るぞ! 今財布を引っ張られた!」
露店商を囲む人ごみの中で誰かが叫び、騒ぎが広がる……泥棒も集まってるのかしら。用心、用心。
エステルの案内で私はディアマンテの大路から路地、路地から大路へと迷わず歩いて行き、やがて解放広場という場所に辿り着いた。
広場の周りには高そうな宿屋や仕立て屋、酒場、劇場などが軒を連ねている。
「あった! 銀獅子亭だ、はは、何だ簡単に見つかるじゃないか」
「君、都会をなめてるだろう……普通はこんな風には見つからないからな。とにかく、これで終わりだ。私は失礼する」
「待ってくれ、何かお礼を……船酔いも治ったんじゃないのか、その辺りで食事でも奢らせてくれないか」
「その声をやめてくれと言うのが解らないのか……これ以上君と関わると頭がおかしくなりそうだ! とにかくこれで失礼する!」
エステルが私にそう言った時だった。背後の雑踏の中から呼び声が聞こえた。
「フレデリク卿! そちらも無事着いたようですな」
振り向くと。その辺りの高そうな酒場の戸口から、グラナダ侯爵とロヴネル提督が現れる。夕飯を終えたという所だろうか。
「思った以上の騒がしさだ。もう少し若い時に来たかったよ。ははは」
「御早い御着きですね、グラナダ侯爵様。こちらはサフィーラのエドムンド・バルレラ男爵の従者で騎士見習い、エステル・エンリケタ・グラシアンです」
ごめんね。エステルは突然現れた侯爵に自分を紹介されてしまい、目を白黒させてる。
「君の動きの早さこそ驚きだよ……エドムンド卿もディアマンテに?」
「御家族を連れて逗留されているそうです。閣下。如何致しましょう。会見の予定を組んで宜しいでしょうか」
「なるべく早く、内密にと行きたいね。ああ、明日の朝食を御一緒するというのはどうだろう。堅苦しい話は抜きで、挨拶としてね」
「妙案ですね……さて、エステル」
私はエステルに向き直る。エステルは明らかに状況を把握出来ず困惑していた。
「君と僕がアイビスとアンドリニアを繋ぐ架け橋だ。この流れはコルジアにとっても決して悪い事ではないと信じている。協力して欲しい」
私はエステルの返事を待たず、侯爵の後ろで微笑んでいるロヴネルさんの方に向き直る。
「こちらはマクシミリアン・ロヴネル、ストークの海軍提督だけど……その事は今は内密にしてくれ。ああ勿論バルレラ男爵にはお伝えして欲しい。ストーク王国は今回の話には関わって来ないし、利害関係も無い。そういった立場で、あくまで善意から協力してくれているんだ」
「共にこの冒険を成し遂げよう。宜しく、エステル殿」
「よ……宜しく、マクシミリアン殿」
ロヴネルが差し出した手を、エステルは掴んでしまう。黒いマリーは密かに思う。ふふふ。これで貴女も関係者になりましたよ。