シルビア「貴女二日も何も食べてないわ」アリシア「川は揺れないから大丈夫ですわよ」
不精ひげとウラドの過去の事をちょっと知ったマリー。
ディアマンテを目指し川を上るフォルコン号。
サフィーラ港は河口の中にある港だったけど、ディアマンテは川を100km上った所にあるという。
両岸は田園地帯だ。時々物々しい砦があって、大砲が睨みを利かせていたりもするが、概ね平和でのどかな光景が続く。
風はほぼ3時方向……ということは川を下る船にとっては9時方向、川を上る船にとっても下る船にとっても程よい風という事だ。
この分なら今日の夜には着くんじゃないかしら。
私は普段着で操帆をしていた。川は波が無いからあまり揺れない。その代わり内陸は洋上と違い、地形や森林などの影響で時々風が乱れるので、こまめな帆の調整が必要になる。
こういう時は水夫マリーが良かったな。着替えミスだよ。
だけどこの、ヴィタリスから出て来た時の服……船の事なんか何一つ解らない、穏やかな港の湾内でも船酔いしちゃう、そんな頃の服を着たまま操船が出来るというのは……ちょっと気持ちがいい。
風が変わって来て、帆の向きを変えなきゃってなったら、まず舵を固定して。
索をぐっと引っ張って留めて、帆がいい角度で風を捉えると……船が、ぐぐっと加速する……
この加速する時の、ぐぐっ、っていうのが、船酔い知らずの服を着てたら味わえないんですよ。それから操舵輪に戻って、ぱんぱんに風を受けた帆を眺めながら、舵を微調整する。
楽しいなあ。そして凄いなフォルコン号。キャプテンマリーですらない、ヴィタリスのお針子マリーでもある程度操船出来るんだって。
上手い人がやればもっとキビキビ動くんだけど、前の船に追いつかない程度にのんびり川を上るなら、私一人でも出来そうだ。
ていうか、皆どんだけ飲んだんですかね。
夜半に帰って来た酔っ払い共が騒いでいたのを聞く所によると、ペルラで立ち寄った船乗り向けの酒場で、フォルコン号の船員達は大変な歓待を受けたとか。どうも例のゲスピノッサのニュースが伝わっていたらしい。
「きゃあああ!? 船長が一人で動かしてるわよ! 男共! 何やってるの!」
9時過ぎになって起きて来たアイリが驚いて船員室に飛んで行く。あまり手荒な事をしないよう御願いしますよ。
「ウラドまで! 何で寝てるの!」
「す、すまない……夜直が終わったのだから寝ろと船長に言われて……」
ディアマンテが見えて来る頃には夜になっていたが、上弦の月の明かりもあり、船路に不便は無かった。
両岸の田園風景が途切れ、大河は街中へと続く……その辺りで、港湾役人はボートでやって来た。
ここの港湾役人さんは紺のジュストコールをビシッと着た、身なりのいい人だった。私はここで、サフィーラで買ったオレンジ色のジュストコールを着ていた。
「アイビス商船フォルコン号、船長のマリーです」
「ほほう、貴女が噂の。明日の宮廷舞踏会の為に来られたのですかな?」
「いえ、招待をいただいた訳ではないので……町の雰囲気だけでも味わわせていただこうかと」
「なるほど。良い逗留になる事を祈ります」
もしかしてペルラのように大歓迎してくれるのかと思ったら、それだけである。フォルコン号は港の片隅のあまり明かりの無い所に誘導され、投錨した。
私は皆に甲板に集まってもらった。
「えー皆さん、お話ししてある通り、私は宮廷舞踏会をちょっとだけ見学させていただきたいと思っています。舞踏会は明日の夜だそうですので、その間皆様には交代でお休みいただき、上陸を楽しんでいただければ」
「大丈夫か? 舞踏会は大抵何日か続くぞ」不精ひげ。
「えっ? そうなの?」
「昔、舞踏会を一ヶ月続けようとした王様も居たらしいわね」アイリ。
「いやいや、私はちょっと見てみたいだけですから、明日の夜か明後日の朝にはお暇しますよ」
それから私は艦長室でキャプテンマリーの服に着替える。レイピアは……持って行こうか。帽子とマスクもつけないと。
この町に用があるのはフレデリクだ。良く解らないけど、グラナダ侯爵のお供をして宮廷舞踏会に少々お邪魔して、頃合いを見て帰ればいいのかしら。
さて。今夜のうちに侯爵やロヴネルさんと落ち合う場所に行かないと。そこで明日の相談をすれば今夜は終わりだろう。
ところで……今日は結局誰も降りないのね。昨夜の酒で懲りてるのかしら。
日が落ちているのにも関わらず、波止場は賑わっていた。サフィーラ以上の景気の良さだ。ランプは方々で贅沢に焚かれ、あちこちから歓声やら罵声やらが聞こえて来る。
正直、女一人でこんな所を歩くのは少々怖い。いや今の私はフレデリク君なんだけど……
ん?
波止場の岸壁に屈みこんでいる人が居る。暗くてよく見えないが、私より少し小柄なくらいの、あれは女の子じゃないだろうか。その周りに男が三人、だけど仲間という感じにも見えない。男の方は港の暇人で女の子はどこかの貴族の従者のような……
「だからお嬢ちゃん、向こうにいい薬があるから! 船酔いなんかすぐに治っちまうからな、俺と一緒に来なって」
「放っておいてくれっ……もう大分良くなったっ……」
「まだ気持ち悪いんだろう? なっ、いい部屋があるからよ。女の子がこんな所に一人で居ちゃいけないぜ!」
うちの水夫達はなんだかんだ言って紳士揃いだけど、本来の海の男とか港の男ってこんなもんかもなあ。
「放っておいてくれと言ってるじゃないか。だいたい三人がかりで囲むのはみっともないぞ」
フレデリクの時の私は、こういう事が平気で言える。
「何だぁ? お前ぇは」「他所者だろ! 引っ込んでろ!」
「随分酔っ払ってるな。それじゃあ息が臭くても仕方ない。酒を覚まして顔を洗ってから来たらどうだ」
「何だとごらぁ!」
足元のおぼつかない男の一人が、短剣を抜いて振り上げる……間合いはまだ全然遠い……なのに男はその間合いから突進して来る。
出足は丸見えだし、これは私のごときへなちょこでも普通に避けられる。
私はその攻撃を交わしながらレイピアを抜き、その剣の腹を後ろから男の肩にポンと乗せてやる。
「むやみに刃物を抜くもんじゃない」
「ヒッ……わ、解った」
男は短剣をしまい、そそくさと立ち去って行く。他の二人はその取り巻きだったのか、こちらの顔すら見ずに、やはり去って行った。
私の頭の中ではたくさんの天使達がファンファーレを吹奏していた。かっこいい。フレデリクほんとかっこいい。ていうか、私もフレデリクみたいな友達が欲しい。
「あの男達の言い分にも一理ある。女の子がこんな場所に一人で居るもんじゃない。僕はストークのフレデリク。君は気分が悪いのか?」
女の子が震えだす……えっ? 私怖いのかしら? 私も波止場のならず者の類だと思われているのだろうか。立ち去った方がいいのかな……
「君はまだ……そんな事を言っているのか! マリー・パスファインダー!!」
振り向いた女の子の顔は、怒りに燃えていた……ぎゃぎゃ!? エステル!?
拳を握って立ち上がったエステルは青ざめた顔に涙を浮かべていて……
「ひっ……あっ……び△■××ゃぁあ! ○●ぐ×□えぇぇえ~」
ああ……ギリギリの所で持ち堪えていたのね……ごめんね……でも親近感が湧くよねこういうの。私、やっぱりエステルと仲良くなりたいなあ。