アンペール「グラナダ侯が密かにブルマリンを発った!? 誰が連れ出した! 何……解らないだと!?」
マリーの話の誤魔化し方がフォルコンに似て来た。懐かしい気持ちに涙するロイ爺。
そしてロヴネルの誤解を解く……と言いながら何一つ明かす事なく、謎の貴公子ごっこの深みにはまり行くマリー。
その日の午前中にはフォルコン号はディアマンテに向け出航していた。グラナダ侯爵を乗せたキャラックもじき出航するだろう。
ロングストーンから沿岸に沿って北西へ進む。時折コルジア海軍の哨戒艦に呼び止められる他は、風も味方して問題なく進む。
「なんでうちばっかり呼び止めるのかしら、コルジア海軍は」アイリ。
「この船、見た目が商船っぽくないからですよ。今は積荷も無いから変に喫水が浅いし」
「そういう事なのね……凄いわねマリーちゃん、普通の船長みたい」
「普通の船長ですよ私」
船酔いはするけど。
キャプテンマリーを温存したい私は旅立ちの普段着で、舷側の手摺りにぶら下がりひたすら耐える。こんな日に限って波が少し荒くなって来た。
「うえぇぇ」
「侯爵やストークの提督さんには見せられない姿ね……」
出発から半日程経った午後9時頃にはディアマンテへの入り口、ペルラ港が見えて来た。実際のディアマンテはここからさらに100km以上内陸に行った所にある。そこへはペルラで降りて陸路で向かってもいいし、船で大河を上ってもいい。
「パスファインダー商会、マリー・パスファインダー船長……どこかで聞いたような名前だが、女の子が船長とは」
ペルラ港の港湾役人さんは、夜遅く着いたフォルコン号と顔色の悪い小娘船長を見て、胡散臭そうだという顔で呟く。
「あの、船でディアマンテに向かわせていただきたいのですが」
「この先は公海ではないからな? 完全なコルジアの領土だ。河を上れるのは許可を得た船舶だけ、そもそも空荷の外国船が一体どういう用で……」
役人さんは台詞を途中で止め、目を見開いた。
「ゲスピノッサ一味を捕まえてダルフィーンに突き出したパスファインダー商会か! おまけにサフィーラの連中がドジ踏んだ所を、もう一度捕まえて突き出したと聞いたぞ! そんな凄い船長なら、きっと髭に導火線でも編み込んだ怒りっぽい大男に違いないと思ったのにな、本当に女の子が船長だったのか」
「あの、それでディアマンテに行く許可をいただくにはどうすれば……」
「ハハハ、別に、そのまま通ってくれていいんだ……今夜はこの港に泊まる事をお勧めするけどな。夜に川を上るのは大変だ……もしかして宮廷舞踏会に行くのか? 始まるのは明後日だから、急ぐ事は無いだろう」
宮廷舞踏会なんて貴族とそのお付きの者しか入れないと思いきや。舞踏会に相応しい服を用意出来る者なら結構誰でも参加出来るものらしい。
それは善良で少しお金のある国民への、国王からのプレゼントでもあるのだそうだ。
フォルコン号は港湾役人さんに勧められた通り、ペルラで錨を降ろして休む事にした。私の下船許可を得た水夫達はウラドと私を残して皆降りて行った。
ペルラはディアマンテへの玄関口だけど、この港自体は武骨な田舎の軍港のような風情だ。楽しめるのは飲み食いくらいじゃないですかね。
まあ皆さんはそれを当て込んで、集団で降りて行ったみたいだ。私も誘われたけど、船酔いを理由に断った。
私は私同様、留守番で残ったウラドに近づく。ウラドは甲板で釣り具の手入れをしていた。
「皆と行かなくて良かったの? 皆と一緒なら水夫狩りには遭わないでしょ」
「うむ……しかし船には見張りが必要だ。船長一人では、いざと言う時に困る」
「私一人じゃ、見張りにならないから?」
「船長には、急に用事が出来る事もあるだろう。その時にボートを出すのも私の役目だ」
なるほど、深謀遠慮とはこの事か。ウラドは船を守るのと同時に私を見張る為に残ったのだ。ぶち君ですら出掛けてしまったのに。
だけど今日の私はそんなウラドに聞きたい事があった。
「ねえ、ウラドはいつリトルマリー号に乗り込んだの?」
この何気ない質問に、ウラドは作業の手を止め、少しの間考え込んでいたが。
「……フォルコンがリトルマリー号を手に入れて航海を始めた時、リトルマリー号には元からの水夫が四人居た。彼等は皆経験豊富で……その中で一番若いのはロイだった」
「経験豊富って言うか……それじゃ若い人も乗せなきゃってなるわね」
「うむ。私はそれで乗り組む事になった。アレクも同時期に少年水夫として志願した」
なるほど。ウラドは明かしても差し支えない所だけ明かしてくれたようだ。
「不精ひげは?」
「不精……ニックの事は……ニックに聞いてもらいたい」
「アレクの事は今話してくれたのに?」
「それは……」
「ウラドは昔、海軍に捕まってた事があるって言ってたよね? それってレイヴン海軍?」
ウラドの顔に焦りの色が浮かぶ……この人も不精ひげ同様無表情なんだけど、何故かこっちの無表情はとても感情が解りやすい。
「私が言ったという事は内密に……」
「もちろん、もちろん」
「船長の言う通り、ニックはレイヴン海軍に居た。そしてそれをやめる時に、私を連れ出してくれたのだ。商船乗りは海軍勤務よりはましだと」
では何故不精ひげは海軍をやめたのか? 円満にやめたのか? 聞いてみたい部分もあったけど……
そこまでウラドから聞き出してしまうのは、さすがに不精ひげに悪いと思った。
「不精ひげがレイヴン海軍をやめた事について、私が知っておいた方がいい事ってあるかしら?」
「リトルマリー号はレイヴンの軍艦に近づいたりしなかったから、私も忘れていた。今でもニックは、レイヴン海軍に居るかつての知り合いと顔を合わせたくないのかもしれない」
私もフォルコン号も、出来ればどんな国の軍艦にも近づきたくないんだけど。なんか軍艦の方がフォルコン号に寄って来るのよね。
夜中には酔っ払い共も無事帰って来た。
そして翌朝早く、グラナダ侯爵とロヴネルの船も問題なく入港した……と同時に早速使いらしき人が船でこっちにやって来る……あの人はロングストーンで見たライオンだ。私は大急ぎでフレデリクに変身する。
「お初にお目に掛かる! 先日もロングストーンで貴公を探していたつもりだったのだが、私の見間違えで違う船を追い掛けてしまった!」
「レンナルト。そんな話はフレデリク卿には関わりの無い事ではないか。同僚の無礼をお詫びする。私はイェルド・オーケシュトレーム」
金色のワイルドな髪に金色の長い顎鬚のライオンのような人、もう一人は黒髪をオールバックにした人……どちらも身長190cmくらいで肩幅も広く、声も大きい、そしてストーク語だから何言ってるのかぜんぜんわかんない……
そんな二人の訪問者の前で、私はただ呆然としていた。
「イェルド! ストーク語は使うなと言われてなかったか!?」
「そうだ! 我々がストーク軍人である事は隠さなくてはならないと!」
二人は何か言い合ってから……
「申し訳ありません、コルジア言葉を忘れていました」黒髪のほう。
「我々、ロヴネル船長の、使いです」ライオンのほう。
不慣れそうなコルジア語で、そう話し始めた。
「この船は小回りも利くし、このままディアマンテに向かおうと思うけど、侯爵はどうなさるおつもりかな」
「や、まさにその話です。格式から言えば侯爵はここで馬車に乗り換えるべきかと、ロヴネル提督……船長も侯爵が船を降りるなら陸路で同行すると」
「解った。ディアマンテで落ち合おう」
「ロヴネルが言っておりました。恐らくフレデリク卿は準備の為に先に行かれるのだろうと。如何ですか、その準備、私、イェルドもお連れいただけませんか」
「図々しいぞイェルド、この男より私、レンナルトをお役立て下さい! どんな仕事にも全力で当たります」
「いや、君達はロヴネルと一緒に居て欲しい……」
二人を送り返すと、私はすぐ普段着に着替える。
フォルコン号はディアマンテに向けて川を上り始める。川幅は200mはあるし、周りでも結構な大型船が普通に上り下りしている。
「抜錨ー!!」
今日の「抜錨」は非番の不精ひげの代わりに、私が景気よく言ってやった。