エステル「貴様が奴隷商人にして海賊の、ホドリゴだな!」ホドリゴ「……えっ?」
人には向き不向きがある。優秀な軍人なら何をやっても優秀って訳じゃないよね。
ロングストーンのパスファインダー商会にストーク軍人が来た、前の日の話。
「ぐぇ」
ロングストーンを出た翌々日。七分丈の紺のズボンに薄黒い生地のシャツ、頭にはバンダナの見習い水夫マリーの私は、よろよろとマストの方に向かう。
「見張り、交代しますよ……」
私はよろよろとシュラウドを登る……外洋は今日も波が高い……眩暈がする。気持ち悪い。
「マリーちゃん! 船酔い知らずじゃない服でマスト登るのやめなさいって!」
見張り台にはアイリさんが居た。アイリさんは最近いかにも厨房係っぽい白いチュニックと黒のズボンを愛用している……素敵だけど折角の美人が勿体なくもある。
「大丈夫っス……私もう入門者から初級者にレベルアップしたんスよ……」
「したんスよじゃないわよどこが初級者よ、危ない! 落ちる!」
よろけた私はどうにかアイリに捕まえてもらい、見張り台に登る。
私はマストに下がっている道具袋から望遠鏡を取り出して覗く……気持ち悪くて眩暈がして手が震えて何も見えない。
「サフィーラはまだですかね……アイリさん、あと私がやりますから、昼食を作ってやって下さい、私は水だけでいいんで」
「いいから貴女も降りなさいもう……解ったわよ、その服にも船酔い知らずの魔法掛けてあげるから」
「いいえ……結構です……私が船酔い克服した方が早いっス……」
コルジアの大都市はすぐ近くに二つある。一つは今から我々が行くサフィーラで、もう一つはロングストーンとサフィーラの間にあるディアマンテだ。
そしてサフィーラとその周辺地域は本来はコルジアの一部ではなく、独立国だった。それが何でコルジアの一部になっているのかは、私には良く解っていない。
サフィーラに寄港出来たのは正午前だった。
ここは広い広い、河口に出来た大きな港町だ。オレンジ色の屋根と白い壁の建物が、丘の上の方まで延々連なっている。
ロングストーンからここまで来る間も、たくさんの船を見たけれど……こういう事か。船、船、船……サフィーラ港の船の数は半端無い。本当に何百隻と居るようだ。大型船だけでも20隻は居る。
「凄いね……ロングストーンやパルキア以上の、海運の町だね……」
真面目の商会長服に着替えて艦首に居た私はそう呟いた。湾内には外洋の波が届かないので、船酔いもだいぶマシになった。
そこへ。不精ひげが来て言う。
「船長、この港に寄港するのはやめて、近くのロポルトという港に行かないか? 食べ物の美味い、いい港なんだが」
「何言ってるんですか! ここへは、ここがサフィーラだから来たんですよ!」
不精ひげが何を考えていたかはすぐに解った。これだけ船の多い港である。港湾設備が不足していて投錨する場所も奪い合い、うちのような中小企業の一見さんは波止場からかなり遠い所に誘導されてしまうのだ。
うちのボート係でもある不精ひげは、人や物を運ぶのにかなりの距離を漕がなければならなくなるわけだ。
「これ……貨物埠頭まで1kmあるんじゃないのか……」
不精ひげはげんなりという顔でボートを漕いでいた。今日の上陸メンバーは私とロイ爺とアレクとアイリだ。
ボートにはさらに商品の一部も乗せていて結構満載な上に、周囲の交通量が多いので、のんびり漕いでるとすぐ警笛をいただいてしまう。
「そこのボート! 道を空けろー!」
「はい! はい! ただ今!」
背も高い方だし背中の筋肉はでかいし、黙っていれば一端の豪傑に見えなくもないのに、口を開けば卑屈な怠け者の不精ひげ。
だけどこの男、どうも元軍人っぽい。航海術も確かだし船の事は一通り出来る。戦闘になっても、派手さは無いが危なげなく強い。
不精ひげは、何故うちの船に乗り続けてくれるんだろう。
こんな素人の小娘に顎で使われていて、本当にいいのだろうか。
私は舷側に固定されていた短いパドルを取る。
「ああ……今日は手伝おうかの」
「僕がやるよ、ロイ爺」
私とアレクは短いパドルで、ボートを漕ぐのを手伝う。
「普段から手伝ってくれると嬉しいんだが……」不精ひげ。
「今日は特別だよ!」私。
上陸した私達は二手に別れる……ロイ爺とアレクは商品取引所へ。
私はドレスアップしたアイリさんと一緒にお買い物。さて、高価な古着を扱う店がありますよ。
「また男物の服を増やすの?」
「私、どこかに御呼ばれした時に着て行く服が無いんですよ。そういう時に普段着てる服で行く訳に行かないじゃないですか?」
私はキュロットやジュストコールを探す……私が着れるようなサイズの服は、男物としては少年用で、短い期間しか着ないのだろう。古着でもいい物が多い。
「いつもの美少年ごっこの服じゃ駄目なのね」
「あれはあくまで、私が船長で居る為の服なんですよ……物真似用の衣装というか」
あの服を見て、特に不精ひげが爆笑したのってそういう事だよな多分。小娘が軍人の格好を真似してるのだ。元軍人なら可笑しいに違いない。
「これどう? 状態もいいしマリーちゃんらしいかも。ちょっと地味だからあとで飾りをつけてあげるわ」
上下オレンジは地味じゃない気も……でもこのくらいの方がいいか。オーガンさんも真っ赤なジャケット着てたな。商人ならばまずは相手の印象に残るべきという事か。
まあ本当は。突然こんな服が欲しくなったのは、先日父がこういう服を着こなしているのを見たせいなんだけど。腹が立つけどよく似合ってたわ。
「いい買い物をしましたね」
「船長って、意外とお金使う時の思い切りがいいのね」
「意外じゃないでしょ? 私がお姉さんの身柄を買うのにいくら使ったと」
「ああああごめんなさい! ごめんなさい!」
私の買い物は済んだので、今度はお姉さんの買い物に付き合おうと、商店街をふらふらしていると……ここから見えない少し離れた所で、何かの騒ぎが起きている。
「アイリさん、行ってみよう!」
私は騒ぎの方へ走って行こうとしたが、途端にアイリに抱きつかれて止められた。
「だから! そういうのをやめてって言ってるの! ……どうせ酔っ払いでも暴れてるのよ……ほら、衛兵が走って行くじゃない」
騒ぎは次の次の四辻を曲がった辺りで起きているらしい……そちらに小走りで走って行く野次馬。大急ぎで走って行く衛兵さん……
アイリに腕を抱えられている私は、ゆっくり歩いて行くしかない。
四辻を曲がった先に、人だかりが出来ていた。既に衛兵さんも二人ほど居る……何が起きているんだろう。
「マリーちゃん、意味もなく首突っ込むんじゃないわよ?」
「解ってますよ、私むしろ万事事無かれ主義なんですから」
そうはいかなかった。
「あっ……」
私を見たホドリゴ船長は一声上げたが、すぐに口をつぐみ、目を逸らした。
パスファインダー商会のホドリゴ船長はうつ伏せに地面に引き倒され、顔だけ前に向けて……苦笑いしていた。
その背中を、抜き身のレイピアを持った赤毛の女の子が押さえつけている……癖のあるショートヘアで、そばかすも可愛らしい、私より少し背の低い女の子が。歳も同じくらいですかね。
「一体何事ですか! 待って下さいよ!」
私は野次馬を掻き分けて前に出る。アイリも手を離してついて来た。
その野次馬の中で誰かが言った。
「また女の子が来たぞ」
「ここで何があったんですか!? 誰か教えて下さい! この組み敷かれてる人は私の身内です!」
私は野次馬に問い掛けるが、誰も答えてくれない。
そしてホドリゴ船長を睨みつけていた女の子が、私の方を見た。
「この男の身内だと……本気で言っているのか? いや。君はきっと、この男を誰かと間違えているのだろう。この男は! 奴隷商人の仲間だぞ!」
その子は、男の子のような声色で、私にそう言った。
何だろう。矢が二つ三つ飛んで来て胸に刺さったような心地がする。
普段自分がやって来ている事の、ツケが回って来たような心地が……