猫「広い世界を、見た事の無い文化をその目で見たかったのだな。その気持ちはよく解る」
ロングストーンで思いがけずグラナダ侯爵の訪問を受けたマリー。今回ばかりは本当に何の事か解らない。フレデリクも何もしてないよ……
ロヴネルさんとグラナダ侯爵は一度キャラック船に帰って行った。
彼らが乗って来た船は本当に今さっき入港したばかりで、水先案内人に誘導されている途中でボートを降ろしてこちらに来たという。
ストーク人気質ですねえ。フレデリク君がすぐふらふらと居なくなるのも、そんなストーク人気質のせいなのかしら。
私は二人を舷門まで見送ってから艦長室に戻る。そこで待っていた不精ひげに、結局あの人達が何を言っていたのか解説して貰おうと思ったのだ。
しかしそれを尋ねる前に、艦長室にアイリとアレク、カイヴァーン、それにぶち君がやって来た。
「マリーちゃん。一体何が起きてるの? どうしてストーク海軍が貴女を捜しているの? それに……あの……何でグラナダ侯爵様がここに……」
「アイリさん、何でグラナダ侯爵の所だけ小声なんですか?」
「私が侯爵の娘さんの旦那と不倫してたからよ! びっくりしたわよ、そんな人がどうしてこんな所に現れるの? ねえ? やっぱり白金魔法商会の件なの?」
しまった、素で忘れてた……アイリさんはグラナダ侯爵に会うのは気まずいのか……ありゃりゃ。宮廷舞踏会なんて、アイリさんを誘ったら喜ぶかもと思ってたのに。
「ねえ船長、全部話してとは言わないから、もう少しヒントをくれない? 僕も仕入れ担当として、次に行く場所くらい知りたいよ。本当にディアマンテに行くの? あそこは株仲間以外商売が出来ないから、行くなら他所の荷物を積むか、いっそ空荷の方が」
アレクは優しいので私を責めない。だけど……
「ナームヴァル海賊は親父の代でコルジアとバチバチやってたから……ディアマンテに居る間、俺、船の中に隠れてた方がいいかな?」
カイヴァーンにはそういうのがあったか……カイヴァーンはアイビスでは手配解消になってたし、サフィーラでは手配書を見なかったけど、ディアマンテとなると勝手が違うかも……
ぶち君はただじっと私を見ている。
アイリさんが顔をぐっと近づけて来る。
「それで。貴女とあのストーク海軍の人達はどういう関係なわけ?」
「あの人達は全く訳が解らないんです……私を誰かと勘違いしてるんだと思うんですけど、肝心な所はストーク語でしか聞いてないから訳がわからなくて」
「……まさかマリーちゃん、ストーク語話せないの?」
「ええ、さっぱり」
「それで何でストークのフレデリク君なのよ……」
「それより、不精ひげ! 貴方もあの人達の話聞いてたよね、結局あの人達どうしてここに来たの?」
「そこは船長が隠してる事を教えてくれないと、何とも言えないな」
そう来たか。これは先程突きつけた指が帰って来たような格好だ。
私は目を細め、腕組みをして天井を見つめる。
皆が私を見ている……こういう時はどうするか。
頭に思い浮かべるのは、父の顔だ。父ならこんな時どうするか……
「グラナダ侯爵とは初めて御会いしましたが、あの方の娘さん……カリーヌ夫人とは面識があります。あと……この前サフィーラでバルレラ男爵という人に会った時に、グラナダ侯爵の話を聞いたような、聞かないような……」
「バルレラ男爵?」不精ひげ。
「エステル……この前サフィーラで会った騎士見習いの女の子、あの子の届け物に付き合って……そうだ! レイヴンがフレデリクを探してるって言ってたじゃないですか!」
私は父譲りの誤魔化し術を操っていた。案の定、カリーヌ婦人の話をしようとするとアイリは目を逸らし、レイブンの話を持ち出すと不精ひげが目を逸らす。
「ロングストーンの水運組合の前にも、レイヴンが尋ね人としてフレデリクを探してるっていう掲示がありましたよ! サフィーラでも見たんです!」
「ええっ……どういう事?」アレク。
「何なら後で見て来て下さいよ。でもレイヴンが探してるフレデリクは金髪で身長170cm、髭が濃いそうですよ。いくらなんでもそれ、私じゃないでしょ?」
「じゃあ、人違いって言ってあげた方がいいんじゃないの?」
アレクの何気ない一言が、私の言葉を詰まらせる……その通りじゃないですか……人違いなら人違いって言ってあげないと……だけど私はもう、人違いではないという事を知っている。
じゃあどうするのか。グラナダ侯爵がディアマンテに行くのに付き合うのか。何の為に行くのかも、何を期待されているのかも解らないままに。
「何でマリーがその、金髪で170cmの方のフレデリクだと思われてるの?」
アレクは続ける……そうね。そうだよね。だけどそこは話せない。
「私がリトルマリー号に乗り込んだ時も……」
父の教え。言葉に詰まったら話を逸らせ。
「これから何が起きるのか、何をすべきなのか、自分に何が求められているのか……私は全く解りませんでした」
私は皆に背を向け、艦尾の板窓を開けて港を見つめる。ディアマンテか……行ってみたいかと言われたら、行ってみたい。
「だけど私は、自分の手で選んだ道が欲しかったんです。私は迷ったら、自分で選べる方の道を選びたい人です。皆さん。色々と都合の悪い事もあるかとは思いますが、今回はディアマンテに行かせては貰えませんか。白金魔法商会の件と何か関係があるのか……それとも単に、ちょっとしたご縁があったので宮廷舞踏会に御相伴させて貰えるのか。それは解らないけど、ちょっとワクワクするじゃないですか。パスファインダー商会、宮廷デビューですよ!」
私はそう言って振り返る。いつの間にか、艦長室の戸口にウラドと、疲れた顔のロイ爺までやって来ていた。
「マリーちゃん、どんどんフォルコンに似て来たのう……そうしていると、まるで……ここにフォルコンが居るかのようじゃ……」
そう言ってロイ爺は目元を拭う。どういう意味でしょう……とにかく、私は道を示した。パスファインダー商会はディアマンテに向かう事になった。
グラナダ侯爵はロングストーンで私に会えるまで待つつもりだったそうだ。例えそれが一か月後になってもと。
一方ロヴネルさんは、私、いやフレデリク君はロングストーンに居ると確信していたと言う。
「宮廷舞踏会の事も君は当然知っていたのだな。よくぞ私にグラナダ侯爵への使いを任せてくれた。それでもこんなにも風に恵まれなければ、舞踏会に間に合う日程で戻っては来れなかったとは思うのだが」
フォルコン号がヤシュムからの荷物を大急ぎで降ろす間に、私はロヴネルのキャラックを訪問していた。フォルコン号の皆には、誤解されている部分を説明してくると言って来た。
そんな事言っても、私がストーク語で何かを説明する事なんて、出来る訳が無いのだが……ところが、今日のロヴネルはアイビス語しか話さない。
「冒険に博打は付き物だけど、その風は君が呼んだんだ、そういう事にしよう。これからディアマンテの王宮という魔境に挑む僕らには、きっとかき集められるだけの運が必要になるよ」
今はストーク海軍提督ではなく、グラナダ侯爵に私兵として使える身だから、って事かしら。おかげで私もアイビス語で済ませられる。
さあ、誤解だと説明しないと。
「なるほど、そのように考えるべきなのか。ふふ、ふ……君の目には私が不安と興奮に苛まれている事もお見通しなのだろう。私は母国の温もりに甘え、北洋でただ斧を振り回していただけの男だ……フレデリク。教えてはくれないか。君は何故、国を離れ、一人で戦おうと思ったのだ?」
誤解だと説明したいのに……この人、自分から謎の貴公子ごっこを振って来るッ……
「僕はただ、広い世界を見たかっただけさ」
私がそこまで言った所で、また……ボートに同乗して勝手について来ていたぶち君が私の肩に飛び乗る。
「だから君にそんな風に言われると、負い目も感じるよ。僕はただ好き勝手にぶらぶらしていただけだし、祖国に迷惑を掛けるつもりも無かった」
「私がエイギル閣下から拝領した命令は、君をイースタッドに連れて帰るというものだったが、私はエイギル閣下が言外に秘められた想いはそれではないと思う」
勘弁してよ! 何このひそひそ話、超楽しいんですけど!? 今の私かっこよくない!? 乙女小説に出て来る、耽美な青年将校が、国とか憂いちゃったり、よく解んない国際情勢の話なんかを語り合ってるシーンみたいだよ!!
「閣下も立場上本当の事は言えないのだろう。だから私はストークからこのラヴェル半島に来るまでの航海中、ずっと考えていた。国を救う為に君を捕縛しようというのは本末転倒だと。レイヴンに協力し続ければレイヴンはますます強くなり、レイヴンの要求はますます苛烈になる」
何か喋りたい。私も何か喋りたい……意味ありげな事を言いたい、だけどロヴネルの言ってる事が難しくて何を言っていいか解らない。
「待ってくれ。まだ何も成果は上がっていないんだ、僕を連れて帰ってレイヴンに突き出す手も忘れない方がいい」
「冗談はよしてくれ。君の剣はもう暫く預からせて欲しい。そして私が君の剣となり盾となろう。フレデリク、君のおかげで近頃は実に愉快だ。ふふ」
生真面目なトライダーは疑う事もなく私の芝居に乗って来た。ジェラルドは単に自分が興味の無い事については深く考えない男だったのだと思う。
ロヴネルさんはその二人のどちらとも違う……こっちが何も振らなくても、向こう合わせで謎の貴公子ごっこに食いついて来てしまう。
肩に乗っていたぶち君がヒョイと甲板に降りる。そして何も言わずに私を見上げる……それでいいのかと問うような目で。