士官「あれがフレデリクなのか……聞いていたのより小さく見える」海兵「何て身軽な奴だ、舷側を垂直に駆け上がってる」
ファウストのサイクロプス号と交戦していた軍艦……マリーは人道的見地から、炎上するその軍艦に近づいてみた。
それはレイヴン海軍の船だった。
ポンプは戦列艦にも勿論あったが、火事を消し止めるには至っていなかった。
フォルコン号から持ち込んだポンプも、すぐに水夫達の手で消火活動に駆り出される。
「レイヴン海軍ソーンダイク号艦長、ヘンドリー・ヘイウッドだ……貴艦の来援に感謝する」
ヘイウッド艦長はレイヴン海軍の制服を肩から羽織っていたが、その腹から肩にかけては幾重にも血の滲んだ包帯が巻かれていた。
私は炎上し救難信号を出している船に対し、あくまで船乗り同士の仁義として救援に来たのだが……ここで何と名乗るか迷った。
「フレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト。万国海上条約に基づき、負傷者の救護と火災の消火に御協力します」
御願い、知らないでいて……ああ、知ってる……知ってるというお顔……ヘイウッド艦長は、目を見開いて、アイマスク越しの私の目を見る。
私はただ、レイヴン海軍の人だと解った相手に、フォルコン号のパスファインダーでーす、とだけは言いたくなかったんだけど……だからってフレデリクを名乗る事も無いよな……トーマス君でもピエール君でも何でも良かったじゃん。
「イノセンツィを追い詰めたつもりで返り討ちにあったかと思えば、まさか……その名を名乗る人物に出会えるとは……」
それでも、私はここに来た事を後悔する事は出来なかった。
甲板などに着弾した砲弾は船の材木を粉砕し、破片は周囲に飛び散る。そういった木片が、刃となって人を傷つける。
本格的な砲撃戦の後で、砲撃された船を訪れたのは勿論これが初めてだ。
負傷している人の多くが、広範囲に傷を負っているように見える。
「早めに陸上で手当てを受けた方がいい重傷者が、30人は居る……連れて行くのか」ウラド。
「ヘイウッド艦長。重傷者をボートに、それからあの船に移して宜しいですか」
艦長は項垂れる。初老でがっしりとした、いかにも大型軍艦の艦長然としたヘイウッド艦長。そのレイヴン語はウラドが手短に訳してくれるので、一応言っている言葉の意味は解る。
「相手が凶悪な海賊とはいえ、私のした事はロングストーン条約の精神に反するものだ。その上でこのような一敗地に塗れては……最早私に艦長として物事を判断する権限などあるまい……貴公が誠にストークのフレデリク卿ならば、この場で介錯を頂戴する訳には行かないだろうか」
いきなり何を言い出すんですかこの人! 冗談じゃない。
「御冗談は……」
私がそう言い掛けた瞬間、何故かぶち君が私の肩に飛び乗って来た。そして力なく椅子に座ったままのヘイウッド艦長を見下ろす……私は仕切り直して言う。
「御冗談はお止め下さい。貴方のような人生の先輩に申し上げるのは失礼とは存じますが、困難な時にこそ船と部下の為に粉骨砕身するのが艦長というものではないのですか」
「これは手厳しい。そうだな……この上は一人でも多くの兵を、生かして国に連れて帰るべきなのだろう。申し訳ないが、航海に耐えられない負傷を負った者を、ロングストーンに搬送しては貰えないか」
短い会見を終えた私は、重傷者をボートに吊り降ろす作業の手伝いをする。
非力でも例の魔法で舷側を素早く駆け上がったり駆け下りたり出来る私は、自分で言うのも何だがこの仕事に向いていた。
「慌てるな! ゆっくり降ろすんだ!」
アイマスクをして来て良かった。
船乗りになってもうじき五か月、だけど私が乗っているのは商船であり、私掠船でも海賊船でも、勿論軍艦でもない。
その割に私の周りには何故か荒事が多い。私自身は荒事には何の心得も無いし好きでもない。本だって荒事の多いやつは読まないくらいなのに。
それでも、本格的な砲撃戦の跡を見たのは、これが初めてだった。
人間はここまで進化すべきじゃなかったんじゃないかなあ。棍棒で殴り合うくらいまでで良かったんじゃないの。
砲撃戦というのは、人間の手を離れた戦いだと思う。砲撃で負傷した人々……彼等は飛来する砲弾に対して、何も出来なかったのだろう。飛来する砲弾は跳ね返す事も、避ける事も出来ない。
そんな砲弾に傷つけられた大の大人の男達が、痛い痛いと喚き、泣いている。
この人達は海軍兵士や海軍軍人で、この人達だって大砲で相手を撃つのだし、実際にこの人達に撃たれて負傷した人がサイクロプス号にも居るのだろうけれど。
とにかく、私は嫌だ。砲撃戦は嫌だ。こんなのは無い方がいい……涙で濡れたマスクが、肌に貼りついて気持ち悪いし。
レイヴン海軍は私を捕まえようとも、取って喰おうともしなかった。
「負傷者をレイヴンの領事官にお渡しする所までは責任を持ちます」
「我々……私の条約違反については、どうするのだね?」
「私は南から来たので、戦闘の様子は存じ上げません。それだけです」
ヘイウッド艦長にそう言って、私は負傷者を満載したボートでソーンダイク号から離れる。
ボートは呻き声で一杯だが……少なくとも彼らは陸上で治療を受けさせる事を選ばせて貰えた。恐らくそれは、不幸中の幸いなのだろう。
「火災もだいたい収まったようだね」私。
「うむ……ポンプが戻って来て良かった」ウラド。
私は短いパドルを取り出し、ボート漕ぎを手伝う。すると……重傷者の何人かが、備え付けのパドルを手に取ろうとする……
「君達は動くな! 頼むからじっとしていてくれ!」
私のアイビス語をウラドが訳すと、どうにか怪我人共は落ち着いてくれた。こういうのやめてよ、本当に。