噂話騎士団「勇者噂話、我々も連れて行ってくれ!」勇者噂話「ありがとう! 皆で一緒に一人歩きしようぜ!」
マリーがヤシュムで落ち込んだ後で元気になったりしていたのと同じ日。
三人称でお送り致します。
ロヴネルらの航海は終始十分な順風に恵まれ、鈍重なキャラック船も飛ぶように進んだ。そして、三度の夜が過ぎた朝。
「提督、ブルマリンに入港します」
普段着で当直をしている兵が、船長室の外から声を掛ける。
船長室の中ではロヴネルが、決して軍人には見えないような、かつアイビスの地で約束の無い貴人に面会を求めるのに失礼の無いような服装を慎重に選んでいた。
支度を終えたロヴネルは船長室を出る。外には当直の兵の他、参謀のクロムヴァルも待っていた。
「これで、どこにでも居るアイビス貴族のように見えるだろうか?」
「難しいですな。閣下の容貌と立ち居振る舞いなら、外国人ではないか、軍人ではないかと詮索する者は、少なからず居るでしょう。御用心下さい」
クロムヴァルの率直な意見に、ロヴネルは苦笑する。
「では私のアイビス語はどうかな。きちんと相手に伝わるだろうか」
「それは請け合います。閣下のアイビス語は全く問題ありません。喋り過ぎなければという但し書きはつきますが」
「率直な忠告に感謝するよ。これから大都会のアイビスを冒険をしなくてはならないからな……これに比べればペール海で海賊を潰して回る事など何と容易い事か」
そんなロヴネルと、その供に選ばれた一行がボートで上陸準備をしていると。現地当局への届出と連絡の為に先に降りていた士官が一人、慌てた様子で桟橋をこちらに駆けて来る。
「船長ー! お待ち下さい! まだお出かけになられてませんでしたか!」
彼が船長と言っているのはロヴネルの事である。軍属である事は隠しての訪問なので提督ではまずいのだ。軍艦のビルギット号は遥か沖合いの公海上で待機している。
「良かった、まだおいででしたか! グラナダ侯爵は只今保養の為、ブルマリンに滞在中だそうです!」
「何と……」
ロヴネルらは本来はここから内陸へ数十km、数日かけてグラナダ侯の居城まで行くつもりだった。約束も無しに行くので勿論そこで会えない可能性もある、割合に無茶な冒険だったのだが……ところがそのグラナダ侯は今この町に居ると言う。
「提督……失礼、船長が出掛けた後でなくて良かったですね」
「それで侯爵は、あの山腹に見える城に居られるのだろうか」
「いいえ、あれはこの町の男爵家の城で……それが何と、侯爵はあの船に居られるそうなんですよ! あのガレオン船は軍艦でも商船でもなく、侯爵家の洋上別荘なのだそうです!」
士官は港の中央に錨泊している、全長50mあまりの立派なガレオン船を指差す。
「エドワール・エタン・グラナダだ。君のような客人を我が船に迎えられてうれしいよ」
グラナダ侯爵は間もなく六十を過ぎる白髪白髭の細身の男だった。そして侯爵は海軍服のような服を着ていた……しかしそれは正式なアイビス海軍の軍服でもないし、どこの海軍の服でもなかった。
そしてグラナダ侯爵はストークの海軍提督という珍客の来訪を喜び、二つ返事で会見を受け入れ、ロヴネルを艦長室に招き入れた。
アイビス国王から見てもコルジア国王から見ても同等に近い血筋にあるグラナダ侯爵は長年、アイビスとコルジアの調停役として、両国間の紛争解決に多大な貢献をして来た。しかし彼が海軍に居た事は全く無い。
「我が艦はどうかね? 今ではいささか旧式艦となってしまったな……私は若い頃から、どうしても新世界に行ってみたいと思っていてね。それでこの船を特別に作らせたのだが……それももう三十年も前になってしまった。結局の所私が航海に出た事は一度も無い」
ロヴネルは暫くの間、海に憧れ、しがらみに縛られた老人の話を聞かされた。
ここ、ラヴェル半島に古くから住んでいたのは、コルジアの民の先祖だった。
半島は千年近く前、南大陸から押し寄せるターミガン勢力の侵略を受け、一時は半島の殆どがターミガンに与する王朝に制圧されていた事もあった。
それでもその後のコルジアとなる勢力は粘り強く抵抗を続けた。争いは数百年に渡り続いた。
やがて内海西部のターミガン勢力は、分派であるニスル朝との争いや統一国家となったコルジアによって押し潰され、およそ百年前には半島から姿を消した。
だが、ブルマリンなども含まれるラヴェル半島の東海岸一帯をターミガンの勢力から奪回していたのは、アイビスの勢力だったのである。だから今でも、この地域はラヴェル半島の中で唯一、アイビス領として残っているのだ。
温暖で風光明媚な趣きとは裏腹に、この地の帰属はコルジアとアイビスの間で、ずっと静かな火種としてくすぶり続けて来た。
グラナダ侯爵の血筋は両国の争いを避けたい人々にとっては、都合の良いものだった。侯爵の母の姉が、今のコルジア王とアイビス王の祖母なのである。
「私の存在を私以上に必要とする者も居れば、疎ましく思う者も居る……思えばずっと人質に取られているような人生だった。いまだに私の一挙一動は様々な思想を持つ勢力に見張られている。純粋な私の味方は国王陛下くらいだよ」
ストーク人提督なら、さすがにアイビスやコルジアの政治には絡んでいるまいと思ったのか。グラナダ侯爵は饒舌に喋り続けた。
「私は君のような航海者が羨ましくて仕方が無い……私もしがらみから解き放たれ、自由に海を行き来する事が出来たらどんなにいいだろう……ははは、いや、君達には君達のしがらみもあるのだと思うが」
ここまで侯爵の話の聞き役に徹し、相槌を打つだけだったロヴネルが身を乗り出す。
「閣下。フレデリク・ヨアキム・グランクヴィストを御存知ですか」
「フレデリク……おお、御会いした事は無いがその名はとても良く知っている! 貴殿はストークの海軍提督……もしや貴殿は、彼の関係者なのか! 彼は私の娘と娘婿、それに私自身も救ってくれた恩人だ、何故彼が私と家族を救ってくれたのかは、解らずじまいだったのだが……何とか彼に会う方法は無いものか」
ロヴネルは大きく頷く。
「フレデリク卿は必ず閣下に会わねばと言っておりました。私は彼に剣を託され、閣下を御迎えに上がりました。フレデリク卿はサフィーラでエドムンド男爵という人物に会い、アンドリニアとコルジアについて話したと。これは恐らく、ほんの一週間前の事です」
「待て……待ってくれ」
グラナダ侯爵の顔色が変わっていた。アイビスとあまり関わりの無い異国の海軍提督の訪問を受け、気楽な気持ちで話していたら……その異国の海軍提督が、まさに侯爵が長年抱えていたしがらみを直撃するような事を言い出したのだ。
「君が何故……アンドリニア独立派の話を? 貴殿は一体どのような立場で……」
「まず神に誓って、私はラヴェル半島を巡る如何なる派閥にも属しておりません。私の目的はフレデリク卿を一日も早く北の彼方の祖国に連れ帰る事です」
グラナダ侯爵は眉を顰める……ストークの人間は実務的で、単刀直入に物を言うとは聞いていたが、これ程とは。
「それで君は……私をフレデリク卿の元に連れ去りたいと言うのかね」
「語弊がありましたら申し訳ありません。閣下がこの船旅に興味がございますれば、私は旅の間閣下の臣下として働く事を誓います」
ロヴネルは真っ直ぐにグラナダ侯爵を見つめる。侯爵は椅子の背もたれに深く腰を埋める。率直過ぎるロヴネルの言い分には、かえって難解な部分も多く、その咀嚼には少々時間がかかった。
「私が拒絶したらどうなるのだね」
「ただちに退船し、すぐにブルマリンを離れます。私の事は忘れていただけると幸いです」
ロヴネルは残念そうにそう言い、実際に立ち上がり、艦長室を去ろうとする。
「待て! 待ち給え! 想像以上だな、ストーク人の早合点は! 降参だよ!」
グラナダ侯爵は椅子から跳ね起き、立ち去ろうとしていたロヴネルの後手を掴んだ。
「思えば私はこういう冒険の機会に、いつも尻込みして皆と相談したり回答を見送ったりしていた結果、三十年も無為にこの船を港で眠らせていたのだな! 貴殿の正直な気持ちは理解した! どうか私をフレデリク卿の元へ連れて行ってくれ。君が臣下になってくれるという話も、信じていいのだな?」
ロヴネルは振り返り、片膝を突いて誓う。
「フレデリク卿にお会い頂いた後、閣下をこちらにお返しするまで、私は閣下の私兵として振る舞う事を誓います。ストーク海軍の軍規には全く反する事ですので、内密にしていただければ尚幸いなのですが」
グラナダ侯爵は、ロヴネルの肩を軽く叩く。ロヴネルは一礼して立ち上がる。
「ふふ……若い頃の力が漲って来るようだ。フレデリク卿が会いに来てくれるのは嬉しい話だが、こちらから会いに行く手段があるのなら、そうすべきだ。私は今度こそ、自分の戦いの為に海に出るぞ!」
老侯爵は、少年のように目を輝かせた。
「では、この船で行かれますか?」
「悪い冗談だよ。この船には執事と家政婦しか乗って居らん……ははは、頼むから君の船で行かせてくれ」
グラナダ侯爵は肩をすくめ、ロヴネルは最後に余計な事を言ってしまった事を少々恥じた。