ランベロウ「おのれ……フレデリク……このままでは、このままでは済まさぬぞ……」
ストーク海軍の伏兵をまんまと出し抜いたフレデリク。
しかしただ一人、フレデリクの計略を見抜いていた者が居た。
注:
これまでにも何度か使用している表現ですが、この小説の登場人物達は様々な言語で喋っています。
文中では全て日本語で書かれていますが、登場人物達は、自分の知らない言語で話された言葉は聞き取れていません。
それで、読者の皆様には解るけど、登場人物には解ってない、そういう状況が生じる事がございます。
ぎゃあああ!? 大ピンチ! 大ピンチですよ!
振り向いてウラドのボートに走って戻るか? そうすべきですよ! 回れ右!
どうした私! 回れ右だッ! 早く……早く! 何をしてるの! 何故真っ直ぐ歩く! 何事も無かったようにすれ違おうというのか!?
「君が……」
私より30cmくらい背の高い、銀髪のお兄さんが口を開く。
これは。私にとって恐らく、ある意味人生最大のピンチ……
「君がフレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト……そうなのだな? お初にお目に掛かる。私はストーク王国海軍のマクシミリアン・ロヴネル」
私は……足を止める……お兄さんは今や5m前に居る……向こうも立ち止まったけれど……桟橋の幅は2m、気づかないフリをしてすれ違うというのはかなり無理がある……
「部下達の非礼を許して欲しい。そして君を出し抜いたつもりは無い……だがどうしても君と話をしたかった。私は武装していないし、部下も連れていない」
ぎゃあああああああ流暢なストーク語で喋られても、私ぜんぜん解らなぁぁぁぁぁい!!
マリーは気分でストーク人のフレデリク君を名乗り、気分でその芝居を続けて来た! だけどマリーは何と! ストーク語をほんの片言しか話せないし、殆ど聞き取れないのだ!
恥ずかしい……恥ずかし過ぎる……
どどど、どうしよう……土下座したら許して貰えるだろうか……私はフレデリクという人ではありません、フレデリクという人に憧れて格好だけ真似してる愚かなアイビス人の小娘です! って、そう言ったら許して貰えるだろうか……
土下座するか!?
後ろ向いて逃げるか!?
二つに一つだよ! 決めろ! 早く決めろマリー!!
「君の勝ちだな」
ぎゃあああしゃべるなフレデリク! 黙れッ! これ以上恥を上塗りするなッ!
マクシミリアン・ロヴネルというのはこの人の名前だと思う。
本屋では私がコルジア語で話しかけたらコルジア語で答えてくれたので、コルジア語で話したら普通に会話は出来るだろう。
「君の話を聞こう」
なのに何故! 片言のストーク語で喋るんだフレデリク!
私は散歩にでも誘うように桟橋の先を指差しながら、ロヴネル氏の横を通り過ぎる。ロヴネル氏は……少し離れてついて来るようだ……
「呼び止めたのは私だったな……話しにくい事だが言わねばならない。君のした事を理由に、レイヴンが我が国に莫大な補償を求めている。恐らくレイヴンの目的は補償そのものではなく、我が国から別の譲歩を引き出す事だ。北限の港の割譲か……王族の人質か」
だめだ、部分部分しか解らない。レイヴンが何? 王様の物真似? 何の事?
「そうだな……僕が悪いんだろう」
知っているごく僅かなストーク語の中から適当に選んで、勝手に喋るフレデリク。
「待ってくれ。君はこう言いたいのだろう……ストークはいつからレイヴンの走狗になったのかと……だが私にはレイヴンが寄越した以外の情報が無い。ストークでは誰も知らないのだ、君が何故ランベロウ氏の誘拐に関わったのかを。どうか教えては貰えないだろうか。実際には何が起きたのか……」
教えて、と言ってるのだけ解った。
解ったけど何を教えて欲しいのかは解らないし、多分質問の意味が解っても私も知らないから教えられない事のような気がする。
あと……ランベロウが出て来たわね……もう人違いの線は無いみたいね……
「それは無駄だよ」
ごめんなさい、ってストーク語でこうだったよね? 確か。
「私が真実を知った所で、レイヴンの主張が変わる訳ではないという事か……」
ロヴネル氏は黙り込む……許して貰えるのでしょうか……それとも……ああ。やっぱりウラドのボートに逃げれば良かった。
「別の質問をさせて欲しい。君は今、何をしようとしているんだ?」
ロヴネル氏が再び口を開いた。最近は何をしていた? そう言われた気がする。どうしよう……何かを説明しようにも、ストーク語の高い壁が……そうだ、固有名詞いっぱい並べたらいいかな……
「サフィーラに居た。アンドリニアとコルジア。エドムンド男爵には会った」
ああああ、思い出せない、誰だっけ、確かカリーヌ夫人の実家の……あっ!
「グラナダ侯爵……彼にはまだ会えていない。必ず会わなくてはならない」
そうだ、グラナダ侯爵だ。自力で思い出せたよ! あースッキリ!
……で、グラナダ侯爵が何だっけ? いや私、適当に名前並べただけだった……
「……グラナダ侯爵はアイビス領となっているラヴェル半島東部沿岸の大領主だっただろうか。アイビス王家ともコルジア王家とも近い立場と。私は軍人なので、知っているのはその程度だが……エドムンド男爵については寡聞にして存知上げない」
私は何を粘っているんだろう。さっさと私はアイビス人のお針子ですと言えばいいのではないか。だけど……この人達、本当にフレデリクを捜しに来てるんだ。フレデリクがやった事で困ってるんだ。
「教えてはくれないか。君は何故、国を離れ、一人戦い続けて来たのか。国には君を祖国に仇為す者として誹謗する者も居る。私には解らない。母国の温もりに甘え、レイヴンの言いなりになって過ごす私と、一人戦い続ける君、どちらが本当にストークの人々を愛しているのか」
ロヴネルさんの言葉は全然解んないんだけど、何故だか気持ちはすごく伝わって来る。
ロヴネルさんは、私のせいでとても困っているストークの人々を代表してここに来ている。だけどロヴネルさんは私を責める事もなく、むしろ何故かすごく気を使ってくれている。
今更アイビスのマリーちゃんでしたー、何て言えないよなあ。つい最近同じ失敗をしたような気もするし。とにかく何か言わなきゃ、何か……
「君がストークの軍人だから、話せない事もあるんだ」
「今、私はストークの軍人ではない。軍服も剣も乗艦も全て置いて来た。それでも駄目か?」
わあああ何か即答された! 私何の話してるんだっけ、いや知ってる単語並べただけですよ、どうしよう、とりあえずロヴネルさんの表情を見よう……うう、この人、乙女小説の王子様みたいな顔してるな……私は男の美形が少々苦手である。
だけど、ちゃんと返事をしなきゃ。どうしよう、出て来い、私の中のストーク語、残らず出て来い……私どうしてストーク語を齧ったんだっけ……ヴァイキング物の絵本が読みたかったんだ。
「僕も君を信じているんだよ、君は優秀で任務に忠実な軍人であると。これが僕の答えだ」
私はサーベルの鞘に手を掛ける。あの、剣を抜く訳じゃないですよ? 警戒しないで下さいね。
大丈夫? はい。
私はベルトから鞘ごとサーベルを外し、右手に持ちロヴネル氏に差し出す。
「預かって欲しい」
このストーク語は合っているはず。絵本に出て来た通りだから。ヴァイキングのヒーロー、白熊のオーケはそう言って、自分を捕まえに来た隊長に金の斧を渡すのだ……でもあれって今考えたら賄賂を渡してたのかしら。
「解った。大切に預かる。いつの日か受け取りに来てくれるのだな?」
ロヴネル氏は頷き、私のサーベルを受け取った。相変わらずロヴネル氏の流暢なストーク語はほとんど聞き取れないんだけど、貰っていいのかとか言ってるんだと思う。
よく解んないけど、ロヴネルさん軍人なのに剣も持ってない。ジェラルドみたいに貧乏なのかしら。
「勿論だ」
私はそう言って、ロヴネル氏に背を向けてもう一度歩き出す。
波止場の向こうに露店が立ち並ぶ雑踏が見える……一緒に何か食べるというのもいいかもしれないわね。空腹は世界の共通語ですよ。
ところで、どうしてランベロウ氏の事でレイヴンやストークが困っているのだろう。まあレイヴンは解るわ。ファルク王子が10倍請求してやるって言ってたわね。
ハマームのファルク王子はレイヴンの外交官ランベロウに暗殺されかけ、妻子をも陥れられそうになった。それを阻止したのはハマームの皆さんとアホで勇敢なジェラルドだ。
暗殺に失敗したランベロウはその日のうちにハマームから単身逃げ出した。これでは自分が犯人に違いありませんと言っているようなものだ。おまけにそのランベロウは海賊ファウストに追いつかれ、誘拐されてしまった。
そしてファウストに金貨5万枚の身代金を払い、身柄を買い受けたのはファルク王子だった。
ファルク王子の言葉が本当なら、レイヴンは金貨50万枚くらい請求されたという事になる。
ちょっと待って下さいよ。
ストーク関係無いじゃん。
ハマームがレイヴンにお金を請求するのは解るよ、レイヴンの外交官が場合によっては内戦になってたかもしれない大犯罪を企んでたんだから。
じゃあストークは誰に何を請求されてるの? 何故? 意味が解らない!
まさか。
まさか、ストーク人を名乗るマリーちゃんが、ファウストのランベロウ誘拐にちょっとだけ関わったせいで、レイヴンはストークのせいだって言って、ストークにお金を請求してるの!?
さっきからロヴネルさんが静かだ。だけどここ、凄く大事な事のような気がする。もうコルジア語で聞こうよ! ちゃんと聞かなきゃ!
「念の為……もう一度聞かせてくれないか」
私は、コルジア語でそう言いながら振り向いた。
そこには誰も居なかった。10mくらい先で釣り糸を垂れていた、暇そうなお爺さんの他は。
マクシミリアン・ロヴネルさん。ストーク海軍軍人、銀髪の美男子、そして……そんな事で本当に艦長とかやっていけるんですか? というくらい、素直で聞き分けのいい人は……私からサーベルを受け取ると、そのまま立ち去ったらしい……