セブリアン「颯爽たるマリーか……もう少し話す時間を頂戴したかった」ヒューゴ「あの英傑は多忙なのです、閣下」
ついにフォルコン号の大砲(※豆鉄砲レベル)が咆哮した!
そして船に見切りをつけ逃亡したゲスピノッサ。
フォルコン号の艦長室の扉の内側にはかなり大きな取っ手がついている。そして蝶番側にも謎の取っ手が。一体これは何に使う物かと以前から思っていた。
カイヴァーンは船長室の扉を持って、操舵手のウラドが銃撃されないように防御している。なるほど。あんな事に使えるのね。
――ターン! ターン!
――バンッ……バンッ!
ひ゛ゃあああ怖い怖い怖い怖い!! だから私の方を撃って来る! 艦長室の大して厚くない壁に穴が空く……
私は扉の無くなった船長室の入り口、船長室の中の砲門蓋、船尾の明かり取りの板窓などから覗いて撃つのだが……私は陽動の為に撃ってるだけで、人に当てたくないので、帆に向けて適当に引き金を引いている。
――ドン! ドン! ドン! ドン!
そしてすぐ隠れる。
さっき海に飛び込んだのゲスピノッサだよなあ。カイヴァーンと戦った奴でしょ……まさか泳いで来てこの船を襲う気かしら。怖い。お父さんが居てくれたらなあ。
「もういいよ! 離れて! 撃ち方も止め!」
私は甲板に向かって叫ぶ。
「了解! おもかぁぁじ!」ウラド。
「撃ち方止め!」不精ひげ。
まさに同じタイミングで。幅を寄せて船を寄せようとしたのか、キャラック船も右に舵を切ってきた。船体が傾き、不精ひげ達が大砲で開けた小さな穴が喫水線に漬かっているけど……
どっちにしろ小回りはこっちの方がずっと効く。二隻の距離が離れて行く……
「船長、この後はどうするんじゃ!」
ロイ爺が物陰から声を張る。フォルコン号は甲板の物陰からだけでもある程度帆を操作出来る。アレクは不精ひげの手伝いなので結局銃を撃っているのは私だけだ。こんな有様で海戦ごっことは。酷い話である。
「100mくらい離れたらもう一度……」
私はそう言い掛けたが。どうしよう。私はゲスピノッサが海に飛び込むのを見た。この船を追うべきか? ゲスピノッサを追うべきか?
「もう一度砲撃して足止めしましょう! 一旦距離取って下さい!」
あの船がそこまで通り、真っ直ぐサフィーラを目指していたら、何も起きなかったのかもしれない。
だけどゲスピノッサが逃げた後、キャラック船はフォルコン号に接舷しようとして迷走し、フォルコン号はおちょくるように距離を取りながら豆鉄砲を撃ち続け、そうこうするうちに……とうとうアイビス軍艦、ロットワイラー号に追いつかれた。
サフィーラ港からも、コルジア商船に対するフォルコン号とロットワイラー号の狼藉を咎める為、コルジア海軍のカッター艦が三隻ばかり急行して来て、一時現場は緊張したが……
「コルジア海軍ダルフィーン艦隊士官、バルビエリだ!あのキャラックの臨時艦長だったが……船は賊に乗っ取られていた!」
ロットワイラー号にはコルジアの海軍士官が何人も乗っていた。
キャラック船は二日前に囚人に乗っ取られ、バルビエリ船長代理ら海軍二十数名はボートで退船させられていたそうだ。
彼等は回航中のロットワイラー号に偶然拾い上げられた。
そして事情を聞いたロットワイラー号艦長、ヒューゴ・ベルヘリアル艦長はサフィーラに急行し、この通り、入港直前だったキャラック船を短い接舷戦の上制圧したという訳である。
キャラック船に残されていた人質も無事解放、百人近い海賊達も改めて逮捕された。ただ一人、波間に消えたゲスピノッサを除いて。
少しの後。私は真面目の商会長服姿で、サフィーラ港のコルジア海軍事務所に居た。事務所とは言うがアンドリニアが独立していた頃は一国の海軍司令部だった建物なので、大層立派である。
「ふふ、ふ……謙遜が過ぎるぞ、パスファインダー艦長。賊徒は我が艦が追いつくより先にサフィーラ港に入る様相だった。バルビエリ艦長も落胆の御様子だったが……私は向かいから何食わぬ顔をして近づいて来るのがフォルコン号だと気づいて、笑いを堪えるのに必死だった」
ヒューゴ艦長も来ている。相変わらず身長2m近い長身痩躯の眼光鋭い、絵に描いたような精悍な軍人さんだ。この人が笑いを堪えてるの図が想像出来ない。
「私はフォルコン号なら、必ず気づいて何とかしてくれると信じていた」
「私もキャラック船の背後にロットワイラー号を見なければ、何も出来ませんでしたよ。ゲスピノッサを取り逃がしたのが心残りですが」
私達が通されたテラス付きの応接室には数種類のコルジアのワインと皿に盛られた様々な料理があり、給仕係まで居た。
「自ら海に飛び込んだのでは仕方あるまい。その男はそれだけ貴公を恐れていたのだろう。そもそも奴を捕まえたのも貴公だと伺ったが」
コルジアさん、囚人輸送をしくじってアイビス人に助けられた気まずさは解るんですけど、ちょっと下手に出過ぎでは? ヒューゴ艦長もそう思ったのだろう。私達はテラスで少しばかりの赤ワインだけいただいていた。
「あの作戦はアイビス海兵隊他、様々な善意が集まって行われました。私は志を同じくする者の一員であったに過ぎません」
「相変わらず、謙虚なのだな……貴公と轡を並べるのもこれで三度目。ここまでは負け知らず……常にこのようにありたいものだ」
やめて! いやに格好いい事言うのやめて! 酔うから! 私が自分に酔うから! するとこのワインは……勝利の美酒……だめだよこういう妄想は!
「そう、次の機会に伺おうと思っていたのだが。ナルゲス沖の戦い……貴公が単独で海賊バッテンを制圧した海戦。御記憶だろうか」
私はヒューゴ艦長の声で我に返る。ナルゲス沖? ばってん? なんだっけなんだっけ、えーと、えーと……とりあえずいつも通り、解る所だけ意味深に答えよう。
「ナルゲスに居たのはちょうど三ヶ月前。夏も盛りの頃でしたね……」
そこへ。儀礼服を来たコルジア海軍の人が一人、テラスに現れる。一瞬偉い人かと思ったけれど、それは伝令役だったらしい。
「失礼致します、コルジア海軍提督セブリアンが両閣下に面会を求めております」
軍人さんにそこまで謙られると、私のような者はちょっと困る。
テラスから応接室の方に戻ると、ちょうど肩幅の広い壮年の紳士が、廊下の方から入って来る所だった。
「コルジア警備艦隊のセブリアンだ……アイビスの友人達よ、大変な世話になってしまったな……すまない……特にパスファインダー艦長には、同じ賊を二度捕まえて貰う事になってしまった」
「ゲスピノッサ本人を取り逃がしてしまったのが心残りです。申し訳ありません」
あれ、ヒューゴ艦長……ヒューゴさん! 私を前に置かないで下さい!
「現場海域は陸から5kmは離れているが……念の為周辺海域や沿岸に捜索隊を出しておいた。目撃証言では、飛び込む時には服を脱いでいたそうだな。錯乱したのではなく勝算があってそうしたというのなら、恐ろしい男だ」
何か、ものすごく悪い予感がした。
セブリアン提督が、知的な風貌を憂鬱に歪め、深く溜息をつく……
「差し詰めこれは……悪のパンツ一丁のフォルコンという所か……」
ぎゃあああああああ!?
「フォルコン?」ヒューゴ艦長。
「去年の末にタルカシュコーンでレイヴンの軍艦を一人で盗み出し、最後はサメだらけの入り江にパンツ一丁で飛び込んだ、アイビス人の奇怪な豪傑の名前がフォルコンだと。コルジアの外洋艦隊の将兵の間でも噂になっている……いや待て、何故私は今それを思い出したのだったか」
「パスファインダー艦長の乗艦の名前がフォルコン号です」伝令の人。
「ああ、そうだ、すまない、関係無い事を言ってしまったな」
思いっきり関係あるわ!! 言えないけど……
「私は東方艦隊に属しておりましたので……その豪傑の噂、寡聞にして存じ上げませんでしたが」
ああ……ヒューゴさんは知らなかったのね、知らないでいいんです、あの……
「閣下は先程ゲスピノッサをして、悪のフォルコン、とおっしゃいましたな」
「うむ。レイヴンは密かにタルカシュコーンの港湾使用権の独占を狙っていたのだ。勿論事件発覚後はそれを否定しているが……事が成っていれば、新世界に一番近い港がレイヴンの許可が無いと使えない港になっていたのだ。そこに現れたフォルコンという男は」
私はグラスを音高くテーブルに置く。
「恐れ入りますが閣下、私そろそろ御暇させていただいて宜しいでしょうか。私共のような商船には商船の戦場がございます」
「む、いや、そのように急がれなくても……貴殿の勇敢な行動がなければコルジア海軍はどのような恥をかいていたか解らない……アンドリニアに国王がおいでにならないのが残念だ……本来ならば宮廷にお招きして歓待すべき所を」
「その御言葉だけで光栄至極です。また御用の際は何なりと。ヒューゴ艦長もまたいずれ。たまには穏やかな海で御会い出来るといいのですが」
誰も私を足止めしませんように。そう願いながら私は身を翻し、振り返らずに、足早に歩き去る。これ以上父の話をされる前に。