バルビエリ「終わりだ……ここまでしていただいたのに申し訳ない、アイビスの友よ……」ヒューゴ「……」
結局エステルを余計泣かせてしまったマリー。
アイリさんに説き伏せられ、観念してサフィーラを離れる。
「ば~つびょう~」
アイリさんにああ言われたばかりなので、不精ひげの間の抜けた声がいつも以上に腹立たしい。
私は船酔いでもないのに舷側の柵にぶら下がっていた。
また気が変わって戻って来たりしないかあ。
自分のした事は、父がアイリにした事と大差無いのだろうか。
「船長、いい? まだ積荷にチェックもらってないんだけど」
「あ……ごめんね、砂糖、アーモンド、鉄製品……いいですね、あれ、ワインは買わなかったの?」
「ワインは今は新酒の季節で大手がガバッと持って行くから、僕ら中小は歯が立たないの。あ、船員用は買ったよ、備品リストはこっち」
アレクが来ていつもの台帳や書類を見せてくれる。
ウラドも来てくれる。
「船長。以前押収した3ポンド砲とマスケット銃だが、昨日今日で分解整備を終えた。不精ひげが装薬と砲弾も入手して来たようだ。銃は武器庫に収めた」
「……あまり使わないで済ませたいわね」
「……うむ」
でも船牢を見た時に同じような事言ったら、あの部屋結構使う事になったわね。
そんな風に、船の仕事の話をしていたら少しは気が紛れた……と思った途端。エステルはどこかで一人で泣いてるんだと思い、また気が沈む。
「ごめん、カイヴァーン、見張り代わって」
「へーい」
私は見張り台で望遠鏡を手に取る。母が父に贈った品物……それをまさか私が受け継ぐ事になるとは……いや、これは機会があれば父に返したい。
船はサフィーラを離れ、河口を出て南と進路を変え……南西のまま行くのか。まあ、南東風だもんね。
不精ひげはいつもおかしな事を言うけど、誰が乗ろうが船は船、海は海……風は吹くようにしか吹きませんよ。ああ、少し白波が立って来たわね。
こりゃ、エステルが乗らなくて良かった、これじゃすぐ船酔いしてたよ。
だけど船酔い知らずの服は今はキャプテンマリーかお姫マリーしかない。お姫は嫌がりそうだし、バニースーツなんて見せるだけで怒ったろうなあ。
だって私も最初すごく怒ったもん。
……
虚しい。未練がましいな私。
ん……風が変わった……わぎゃっ!? 帆がっ! 裏帆を……
――バフッ……!
「とぉぉりかぁじ!」
「太っちょそっち頼む!」
「へーい!」
――パンッ……!
下が慌ただしくなる……急に風向きが変わった。急ぎ回頭するフォルコン号。帆の向きも変えてますね。
船乗りも大変だなあ。
いや私も船乗り見習いですよ、見張りくらいは真面目にやらないと……
サフィーラはサフィーラ自体が有力な海洋都市でもあるし、サフィーラ沖は極太の航路でもある。周りでは大小多くの船が航行中だ。
だからこんな風に急に風が変わると、どこの船もてんやわんやだ。
わりと近く……200mくらいの所に居たバルシャ船がもたついている。人数が少ないみたい。
大きな商船なんかは割とちゃんとしてるわね。
こういう時の軍艦の動きはキビキビしてて、見ていて気持ちがいいんだけど、今付近には居ないみたい。
意外とのんびりしてるのね、サフィーラって。パルキアは港の外まで軍艦が並んでるし、ディアマンテなんて近くの航路上まで哨戒艦だらけだったのに。
ん? でも正面から北進して来る大きな船は……私の目にも操帆にもたついてるように見えるわね……あの幅の広さはキャラック船かしら……キャラック船……
「ニック先生!」
私が甲板に向かって叫ぶと、操帆を終えて半休に戻ろうとしていた不精ひげが甲板の段差に足を引っ掛けて転んだ。
「いきなりニック先生はずるいだろ……」
私は見張り台に登って来た不精ひげに、フォルコン号備品の方の性能のいい望遠鏡を渡し、自分は父の形見の方の望遠鏡で見る。
「あのキャラックか?」
「何か解らない?」
「うーん……ありふれた型だしなあ……」
「先生は沈んでるボートだって見破ったじゃないですか」
「先生はよしてくれよ……」
私は望遠鏡から目を離し不精ひげを見る。一応、真面目に観察しているようだ。
「コルジア船籍で商船の識別旗がついてるぞ」
「それだけ?」
「そうだな……あとは40年前にコルジアのアマティスタ造船所で設計された型だって事くらいか。ここからじゃ船名は識別出来ないけど、この前の奴隷商人騒ぎの時に居た密輸業者も、この型を使ってたな」
「あの、それがこの前の船と同じ船である可能性は……」
「8割くらいかなあ。ゲスピノッサ一味ってサフィーラに護送されて来るんだろ? それがあの船かもしれないな」
「それが商船の識別旗をあげてるの?」
「そうだな……うっかり出しっぱなしになってるんじゃないかな……」
そのキャラックよりずっと後ろの船が一隻、かなり急いでいる様子で、この強風の中、総帆を張り上げている。
あの船は見た事があるかもしれない。でも何故こんな所に……
「先生、あれは」
「フリゲート艦っぽいな。同型艦が何隻あるか知らないけど、ロットワイラー号に似てるよな」
ロットワイラー……ああ、ヒューゴ・ベルヘリアル艦長ですね、かっこいいけど賄賂に弱い人。
「でも何でアイビス海軍がここに?」
「そりゃ何か訳があって内海側から泰西洋側に行きたければ、普通にここを通るだろう」
アイビスは内海にも泰西洋にも面している国だけど、コルジアのある半島沖を経由しないと内海からアイビス泰西洋岸に行く事は出来ない。つまりこの辺をアイビスの軍艦が通る事自体は、戦争中でもなければ珍しくないか……
手前のキャラックはどうにか操帆を終えたか。
奥のフリゲートは……まだ遠い。
「あのキャラック大砲積んでないよね」
「囚人護送中なら、念の為火薬や砲弾は港に置いて行くだろうけど、銃は何十丁と持ってるかもな……ん?」
次の瞬間。私は望遠鏡を降ろし、見張り台に座り込む。
「何やってんのよもう……」
「あーあ……」
不精ひげも頭を抱えている。
「でもどうする? こっちも小さな大砲が一門だ、挨拶くらいにしかならないぞ」
「前から言ってるじゃない! こういう時の事は不精ひげが考えてよ!」
「船長はマリーだぞ、それに今まで全部船長の判断で上手く行ったんだから」
「何でも博打みたいに考えるのやめてよ!」
不精ひげは……一呼吸置いて答えた。
「博打じゃない。船長の目は今までにも様々な物を暴き、道を見つけて来た。勿論、あんまり無茶だと思ったらその時は止めるよ。だけどこういう時は俺が常識で考えるより、船長が勘で考えた事の方が当たると思う」
「今当たるって言った! やっぱり博打じゃん!」
「言葉のアヤだから……」
「それに私の目なんて何も見えてない、ただの小娘の目だよ、レッドポーチで酷い事言われたの覚えてないの? 不精ひげの事疑う事しか出来なかったんだよ!」
「最後はあんな格好してまで助けに来てくれたじゃないか。あの時だって、俺の方法では船を助けられなかったのに、船長は船も助けてしまった」
何一つ納得した訳ではないが。反論を思いつかないので、私は黙っていた。
「船長、決断してくれ」
囚人護送をしていると思われるキャラックの動きがおかしい。なぜか商船のフリをしてるし、変に操船にもたついている。
囚人の頭目ゲスピノッサはカイヴァーンと互角に戦う豪傑で狡猾な男だ。
そしてその船の後ろを、回航中とは思えない勢いでアイビスの軍艦が追い掛けている。しかしさすがに追いつきそうにない。
キャラックの方はこのままサフィーラ港に逃げ込む気かもしれない。河口に入られたらアイビスの軍艦は追跡出来なくなる。
そして最後に。私と不精ひげが望遠鏡で覗く中、船首楼の上で乗組員数人が、何かを瓶で飲んでるのが見えたのだ。
「絶対乗っ取られてるじゃん、あんなの……」