近所の勇気あるおじさん「おう! これが世界一の水桶だ! 爆弾でも吹っ飛ばなかった代物よ!」鍛冶屋「うちのだぞ」
マカリオの二度目の襲撃を凌ぎ切ったフレデリク。
これにて一件落着! ハッピーエンド! おしまい!
一回目は水路と船、二回目は馬……マカリオは私に有利な条件で戦ってくれた。本人にそんな自覚は無いだろうけど、普通に平地で剣で戦ったら一瞬で負けてたろうな。助かった。
エステルの剣術はかっこよかった。きっとたくさん練習してるんだろうな。
「君の剣もなかなかの手並みじゃないか」
「よしてくれ……君の手並みはあのマカリオ殿を子供扱いする程じゃないか……私は真剣で人を傷つけたのも初めてだった」
あれは……気持ちのいいもんじゃないよね。
私は途中、今朝まで居た宿屋に寄ってもらい、そこで預けたままになっていたロワンの荷物を受け取り、街の配達人を探して渡す。宛先は男爵屋敷だ。
「これで心残りも済んだかな……」
私は思わずそう呟いた。
その間、エステルは馬を抑えていた。ちょっとでも離すとどこかへ帰ろうとするのだ。さすが騎士の馬、天晴れと言うか。
「これでやっと本題に戻れるね。エステル、海賊退治に興味があるなら僕と一緒に来るか?」
私がそう言った瞬間。
「あっ……」
エステルは馬の手綱を離してしまった。たちまち馬は反転し、どこかへ空のまま駆けて行く。エステルは三歩ばかり追い掛けたが、追いつく筈もなかった。
「ご、ごめん、どうしよう」
「いや……主人の所へ戻るんだろう……返しに行く手間が省けたよ。じゃあ、歩いて行こうか」
「ど、どこへ……?」
どこへ。うう。どんどん気が重くなって来る。
「僕の船は河岸の上流の方なんだ」
「君は……船長でもあるのか?」
「それは……うん……道々説明しようか」
鍛冶屋が並ぶ街……ああ、昨日の爆発があった所だ。あーあ、立派な鍛造の水桶が、変形したままになっている……これ弁償した方がいいのかしら。
「おいおい、そいつに触るな!」
私は奥の作業場から出て来た鍛冶屋のおじさんに叱られる。
「ん? もしかしてあんた、フレデリク? こいつをこんな風にした張本人か!」
ひゃあああ! ごめんなさい!
「すまない、緊急避難だったんだ、代わりを買うのにいくらかかる?」
「とんでもない! こいつは今やサフィーラで一番の水桶になったんだ、あんたのおかげでな! それで評判になったのはいいんだけど、みんなやたらと寄ってたかって突っついたり叩いてみたりするもんだから」
確かに、爆発で膨らんで変形はしてるけど、水漏れしてないわね、これ。
「これ自体も俺が打ったんだ、うちの技術を証明する為にな。こんな大きくて頑丈な鍛造の水桶を作れるのはサフィーラでもうちぐらいだぞ。ハハハハ」
「実際この水桶のおかげで、僕ももう一人も助かった。犯人さえ命を落とさずに済んだ。大したものだよ」
「犯人なあ……港の役人だって? 何であんな事をしたんだか」
私は溜息をつく。なんだかこんな話をしていたら、マカリオへの怒りがふつふつと湧いて来たような気がしないでもない。
あんなベスト誰に作らせたんだ。作る奴も作る奴だ。私なら……いくら貧乏してたって、そんな依頼引き受けるもんか。
賑やかだったのはそこだけ。材木通りから郊外の田園地帯に出ると……黙ったままで居るのが辛くなって来る。
とは言えエステルに元気が無い。私もさる事情で元気が無い。
いい加減にしろ私。決めろ。どのタイミングで言うか決めろ。
その前に何て言うか決めろ。
先に口を開いたのはエステルだった。
「どうして君と知り合えたんだっけ……私がロワンに食ってかかるのを、君が見ていたからか……いや。君が何にでも首を突っ込む人だからか……」
「あの時も言ったけど、ロワンが言ってる事自体は割と貴重な情報だったから、面白い事になるかもと思ってね。こんな事件だとは思わなかったけど」
「ふふ」
エステルがようやく笑った。
だけど会話はまた途切れる。
河岸の道は続く……
時折、やはりこの辺りに船を泊めさせられた船乗りや、近所の農家の人らしき人とすれ違う。
やがて河岸にこじんまりとした林がある所が見えて来る。フォルコン号はもうその向こうだ。
早く言え。早く。
「海賊の事だけど」
違う! そっちじゃない私!
「南大陸北西岸の捜索になるから、それなりの時間はかかるけど……大丈夫かな? その、家を空けても問題無いのかな」
「私は既に天涯孤独で、家族と言えば使用人だけなんだ。君には言ってなかったな……私はあと二か月少々で恩給を失い、使用人や小作人を解雇しなければならなくなるんだ……それで……どうしても騎士になりたいと思って」
マリーの時に聞いたけどフレデリクは聞いてないんのよね。何て答えよう? いや! もう時間無いよ! 種明かしを急がないと! あああ、エステルが思いつめた顔をしている……!
「だけど……失敗ばかりで! ゲスピノッサや沿岸の海賊の話を聞いて、そんな奴等が許せなくて、騙されるもんかと突っ張って、色んな人に迷惑を掛けて、こんな私が騎士になろうなんて、おこがましいにも程があるんだ、今だって!」
あ……ああああ!!
「私は! 君が好きだ!!」
ああ……
「こんな事で騎士になりたいだなんて……だけどもうどうしようも無いんだ、君が好き過ぎて頭がおかしくなりそうだ! だけど駄目だ、戦場に余計な感情を持ち込む、私のような足手まといを連れて海賊退治なんかに行ったら、君の身が危くなるに決まっている!」
ああああ……
「そして君は何故私みたいな愚かで強情で武骨なコルジア女に構うんだ! 飽きたらさっさとどこかへ行けばいいのに、なぜ君は何度でも言葉で私の胸を引き裂くんだ! いい加減にしてくれ! 私は! 君の方では気がないのに、君にまとわりつく、そんな女にだけはなりたくない!」
ああ……
「だから……だけど……はっきりさせてくれ! もしここから先へ私を連れて行ってくれるなら……私は! 地獄の底まで君に尽くす!! どうか私を! 君の側に置いて欲しい!」
耳たぶの先端まで真っ赤になり、ぼろぼろと涙を溢し、そう言いきって、エステルは嗚咽し、肩を震わせている……
私は……
「申し上げたき儀がございます!!」
ずっと続けていたフレデリクの声色を解除し……そう叫んで……
――ガバッ……!!
土下座をする。
「ストーク人少年、フレデリク・ヨアキム・グランクヴィストとは、世を忍ぶ仮の姿! その実態は……」
私は、帽子とアイマスクを取り……顔を上げる。
「アイビス人商人、マリー・パスファインダーめにございます……」
エステルが一瞬、私を見た。
私はすぐに目を伏せ、彼女が人相を確認出来るよう……必死で……一秒間だけ……顔を上げたまま堪え……すぐに額までつけた土下座に戻る。
――ピロロロロロロ、ロロロロロロロロ……
鳶が上空を旋回している。
――ミャア、ミャア、ミャアッ、ミャア……
カモメが水面から飛び立つ。
――ぺたん。
誰かが尻餅をついた音がした。
私は、恐る恐る……少しずつ……顔を上げる。
エステルが……座り込んで……ボロ泣きしている……涙も鼻水も一緒になって……ああああ……
「初めて……」
私は再び額を地面につける。
「初めて人を愛したと……初めて異性を好きになったと思ったのに!!」
「申し訳ありません! 色々と訳があったのです! 私には決してエステル殿を傷つけようとする意図はなく、物事の成り行きの中で仕方なく……だからあの、フォルコン号に乗って一緒に海賊退治に行きませんか?」
「悪魔だ!! 君は悪魔だ!! 君は……永遠に……私の初恋の相手になってしまった! 酷い、酷過ぎるッ……見るな、不様な私を見るなッ……」
――ザザッ……タッタッタッタッタッタッタッタッ……
私は顔を上げた。ああ……エステルが……走り去って行く……
去って行くじゃない!追わなきゃ!
「待って! エステル!」
――がしっ……
立ち上がり、エステルを追って走り出そうとした私の肩を、誰かが掴んだ。
私はカクカクと振り返る。
そこに居たのは……怖い顔のアイリさんだった……
「マリーちゃん? 昨夜はどこへ行ってたのかしら? またあの子と遊んでたの?」
「放して下さいアイリさん、私、エステルに悪い事しちゃったんです!」
「聞いてたわよ!!」
私の全身の力が抜ける。
「ねえ、今の貴女を見てると私、10年前に私を捨てて消えた船乗りの顔……思い出すのよね……何故かしら。所詮貴女も船乗り、そうよね……陸の人間の気持ちなんて、ばつびょう~とか気の抜けた合図をした瞬間に、平気で切り捨てるのよ……」
お許し下さい。お許しください……
「とにかく! あの子はやめなさい、貴女が構えば構う程泣いちゃうじゃない」
「違うんです! エステルはいい子なんです、私と同年齢で、本当は気も合うはずなんです! 頑張ってる子だから応援したいんです!」
「諦めなさい……あるのよ、そういう人の縁って。性格の相性はいいのに、一緒に居ようとするとお互い良くない事になる……私とヴァレリアンもそうだったわ」
本来ならこのくらいで諦める私ではないけれど。
親父そっくりだと言われた上、アイリさんの人生経験で補強された理論をぶつけられると……手も足も出ない。
同じ年の女の子の友達が出来たと思ったのになあ。
船酔いだってアイリさんに頼めば大丈夫だったろうし、フォルコン号の仲間に加えたかったなあ……ちょっと強情な所も含めて、私は好きだったのになあ。
ロワンを助けたのも縁なら、エステルを助けられなかったのも縁か……
「……じゃあ……なるべく早く出港させていただいてもいいですか……ぶち君は戻ってますか?」
「戻ってるわよ。やたらとニャーニャー言ってたけど」
私は子供のようにアイリさんに手を引かれ、フォルコン号への帰途に就く。