ジュリアン「えっ! おいら達この部屋に住めるの!?」クラリス「素敵な商会長さんが借りて下さったの!」
ロングストーン=ヤシュム間に定期航路を敷き、配下の船長達を運用するようになったパスファインダー商会。
本社事務所もちゃんとしたものにしよう!
「どこまで行ってたの船長! この丸カステラ持って先に行って!」
途中の道で、やはり走って来たアレクに出会う。これを買いに行ってたのか。
「ありがとう、先に行くねー!」
私は面接会場に急ぐ。
会場の貸し机屋ではロイ爺が執事みたいになって、来訪者の為に紅茶を煎れている所だった。
「お待たせして申し訳ありません! お茶菓子をお持ち致しました!」
私はその袋をそのまま来訪者の所に持って行こうとしたが。
「待つんじゃ船長! そういうものはほれ、きちんと菓子皿に盛ってお出しするのじゃ」
「あっ……これは気が付きませんで……」
「あ、あの……お構いなく……」
そこでようやく違和感を覚えた私は、来訪者の方を見る……先程まで私が座っていた席で待たされていたのは、私よりさらに背が低い、若栗毛色の髪をおさげにした、可愛らしい女の子だった。小さな眼鏡を掛けていて……明らかにおどおどしている。
私は一つ咳払いをして。
「私が商会長のマリー・パスファインダーです。当商会の事務員の募集にご応募いただき誠にありがとうございます」
女の子が慌てて立ち上がり、机を回って来る。
「あのっ! ごめんなさい、私どうしてこちらに座ってしまったのでしょう、あの私、クラリスと申します、ええと」
「いや、ワシがそこに座って下さいと御願いしたんじゃ」
私達も何故面接希望者を賓客扱いしているのか。初めての求人で浮足立ってるな私達。落ち着こう。
こういう時は話を先に進めるのがいい。私は元の席に座り、クラリスさんはロイ爺が持って来た、テーブルを挟んだ向こうの椅子に、お辞儀をして座る。
「アイビスの方ですね。お若いようですが」
「は、はいっ!あの……ええと……」
「おいくつですか?」
「……14歳です……」
まさかとは思うが。
「ロングストーンにお住まいですか?」
「……いいえ……最近この町に来ました」
「あの……ご両親は」
「……居りません。弟が一人……」
「風紀ある市井……」
私がそう呟くと、クラリスちゃんはびくっと震えた。
風紀ある市井。それはアイビス王国の今の国王が創設した国王直属の治安組織、通称「風紀兵団」の団員の合言葉である。
彼らは国王の命令に従い、アイビス全土から16歳未満の孤児を集め、王立養育院に連れて行く事を主任務としている。
この事は私にとっても他人事ではない。アイビス国民であり16歳未満の孤児である私は、アイビス王国本土では収監対象者となる。一度王立養育院に連れて行かれたら、18歳の年を終えるまで出られないらしい。
しかしここロングストーンは独立都市国家であり、そんなアイビス国王の魔の手も及ばない。
「王立養育院も良い所だとは聞きますよ。季節の花を楽しめる清潔で安全な場所だとか。そのまま修道女になられる方も多いと伺います」
私がそう言うと、クラリスちゃんは……少し悲しげな表情を浮かべる。
「あの、14歳ではだめですか、それでしたらその、諦めますから……」
「待って!」
私はクラリスちゃんが立ち上がるより早く立ち、身振りで制する。そして立ち上がったまま続ける。
「弟さんと一緒に暮らされてるんですね? 弟さんは何を?」
「弟は溝浚いの仕事を見つけました……」
「住まいは見つかりましたか?」
「……いえ」
素直で健気な女の子だなあ。
王立養育院は男女で完全に施設が分かれていると聞く。つまりそこに行ったらクラリスちゃんは弟にはしばらく会えなくなるのだ。
それでこの子と弟さんは、離れ離れになる事より、異国の町に飛び込む事を選んだのか。凄いな。
「実は私もアイビス人の孤児で、15歳なんです。母は遠い昔に家を出ておりますし、父は死にました」
ロイ爺が驚いた顔で私を見たが、私は見てないフリをする。父は死にました。
「大丈夫、ここはロングストーンです、風紀兵団も何も出来ません。ねえ? そして私は事務員を募集しています。もう少し貴女の話を聞かせて下さい」
クラリスちゃんも驚いたような表情で顔を上げていた。
私は椅子に座り直す。
「その前に、ちょっとこの丸カステラいただきません? お茶が冷める前に」
お茶とお茶菓子を楽しんだ後、クラリスちゃんに特技だという算盤の腕を見せていただく。アレクにもひけをとらない正確さだ。字も綺麗だし文句ないわね。伊達に事務員に応募して来た訳じゃないのね。
あ……でも一つ……今後この事務所にやって来るのはサッタルやハリブ、ホドリゴを初めとする元ホニャララの船長や水夫、貿易商、水運役人など……皆似たようなむさくるしいおじさん達ばかりなんだよな。クラリスちゃん一人で大丈夫かしら……
そんな事を考えていると。
「マリー商会長! 次の面接希望者の方が!」
アイリさんが入り口から顔を出した。横には……ロイ爺より少し背が高いくらいの、笑顔のおじいさんが立っている。
そして私が何か言うより先に、ロイ爺が口を開いた。
「サウロじゃないか! どうした、国に帰ったんじゃないのか」
「ハハ、元気そうだな、お前はまだ乗ってたのか、ロイ」
「お知り合いですか?」
「知り合いも何も、リトルマリー号の元水夫じゃ、5年前に引退すると言って船を降りたんじゃが」
「貴女がマリーさんか、ホッホ、聞いていた通りの別嬪さんだ」
そう言えば昔の航海日誌で見たわ、主計長のサウロが船乗りを引退すると言い出して困ったとか、引き留めたけど降りちゃったとか……
「マリー・パスファインダーです。父が大変お世話になったそうですね、御会い出来て光栄です」
「何とも立派に成長しなさった、しっかりした娘さんで……いやいや、困ったな、これじゃ仕事が欲しくて来たなんて言い出しにくいじゃないか」
うん? アレクが入り口から頭を半分覗かせて中の様子を伺っている。
この人が引退して、アレクがリトルマリーの主計長になったんだよな。つまりこの人はアレクが12歳から22歳まで師事したお師匠さんでもある訳か。
その距離感が、この頭半分なのね。
「願ってもないですよ、そういう事でしたら是非、こちらのクラリスさんと貴方で、ロングストーンのパスファインダー商会本社事務所の立ち上げを御願いします!」
一緒に話を聞いていたクラリスちゃんの表情がぱっと輝く。
「は、はいっ! 宜しく御願いします!」
サウロさんの方は、まだ少し気まずそうな照れ笑いを浮かべていた。
「何だか申し訳ない……一度は辞めた身なのに。フォルコンは何と言うかな……彼はまだ海の上に?」
私は斜め下を向いて答える。
「父は死にました」
皆が手際よく連携してくれた事もあり、翌日の午前までにはパスファインダー商会本社の体裁は整った。
サウロさんもクラリスちゃんもこの町の人では無いので、住居もそれぞれ商会が借りる。
ちょうど今朝、ヤシュム航路の船長の一人のホドリゴ船長が来たので、早速事務所に来てもらう。
「おお、立派な事務所が出来ましたな! いいですなあ、私も子分共も、ようやく社会復帰出来たような心地が致しますぞ!」
「声を控えて下さい、ホドリゴさん……」
今日も真面目の商会長服姿の私がそういうと、ホドリゴはそっと辺りを見回してから、ニンマリと悪そうに笑って続ける。
「大丈夫です親分、誰も聞いていません、今は猫を被らなくても平気ですぞ」
ヤシュム航路の三船長はいずれも近海で零細海賊をやっていた人達である。皆海賊時代より儲かると言っているし、実際そうだと思う。
「以前は近所の男共を無理やり船に乗せたりしてましたが、最近は向こうから水夫になりたいと言ってやって来ます! マリー親分様々ですな!ワハハハ」
ホドリゴ船長は新しくなった事務所で新しい手順での手続きを済ませると、船に帰って行った。
ホドリゴさんは今は本来の乗艦テシューゴ号ではなく、ヤシュムで借りたフリュート型貨物船を操船して、小麦を運搬している。
行先はここから北大陸南西端の半島を迂回し西へ北へ、泰西洋に面したコルジアの都市、サフィーラだ。
サフィーラは百数十年程前に始まった「大航海時代」始まりの町とも言われている。海を愛する王子が大号令を掛け、冒険航海を奨励し、援助したのだ。
それが、「新世界」の発見につながった。
「新世界」は遥か西の彼方6000km、いや7000km、遠く泰西洋を越えた所にある。
最初にそこに辿り着いた人間にはどれだけの勇気があったのだろう。行けども行けども海、海、海、その先に陸地があるはずだと何故信じ続けられたのか。
「ぼちぼち航海を再開しましょうかね! 行く先は北大陸最西端の町、サフィーラですよ!」
船に戻り、甲板でそう号令した私に、ブーイングが降り注ぐ。
「えー、パルキアじゃないのか!?」オランジュ少尉。
「パルキアまで乗せてって下さいよ」「俺達もこの船が気に入ったんです」「殺生ですよ、そんな」海兵の皆さん。
「うちは貴方達のお母さんじゃありません!! とっとと海軍に帰って下さい!」
サフィーラ目指し出港して行くフォルコン号と仲間達。
サウロさんとクラリスちゃんも早速見送りに来てくれた。
「本社を宜しく御願いしますよ!」
その二人はいいんだけど……
桟橋にはまだ、オランジュ少尉以下17名の海兵隊員が居て……荷物を小脇に抱えたまま、茫然とこちらを見送っている……まるで、置き去りにされたかのように、真ん丸に目を見開いて……
「その表情やめてよオランジュ少尉!」
ゴリラにそっくりのオランジュ少尉が特にたまらない。何なんだ、このペットを置き去りにして旅に出ようとしているかのような罪悪感は。