ロワン「何でフレデリクはこんなにロワンに親切にしてくれたんだろう? ロワンが売った情報が役に立ったのかな?」
エドムンド・バルレラ男爵邸を訪れたフレデリク。
あんなに男爵の元に戻りたがっていたのに、いざ戻ってみると怯えだすロワン。
「君は何の話をしているんだ!」
自分でも珍しい程激昂し、私は部屋の隅で震えるロワンに詰め寄る。
「ロワンだって死ぬのは嫌だ……だけど、このお屋敷に来たら思い出したんだよ……エミリオ坊っちゃんも、よく、そうやって……来客用のカステラを手に取って食べてた……ロワンにも……よくくれた……」
じゃあ私は何をしに来たんだ? あんなに怖いマカリオと朝から街中で切り結んで、エステルを巻き込んで何をしてるんだ。
「バルレラ殿、私には貴方を煩わせるつもりは無かったのです、ここには戻れないのだとロワンに知らせていただければ、先程の執政にそう託けていただければ良かったのです!」
「あの、フレデリク、マカリオ様の事を話すべきでは……」エステル。
「ロワン! 君がこの屋敷に戻れる可能性は無いんだ、だからサフィーラを離れよう、僕が船でどこなり連れてってやる!」
ああもう……自分が何をしてるのか、何を言ってるのかもよく解らなくなって来た。私はロワンに迫る。
ロワンはますます部屋の隅に縮こまる。これじゃ私がロワンを苛めてるみたいじゃないか。
「解った! フレデリク殿!」
エドムンド男爵が、まるで何かを観念したかのように呟く。
何か凄く嫌な予感がする。簡単な話で終わると思っていたのに。
「全部……話そう。私には子供が三人居たが息子はエミリオだけだった。エミリオが落馬で死んだというのは聞いているかね。確かにその時ロワンは近くに居た。エミリオがお気に入りの道化師に気を取られたかどうかは解らない。だが……騎士たらんとする者が落馬で死んだならば、それは誰のせいにも出来ない」
エステルが居住まいを正す。私は少し俯いて聞いていた。
「マカリオもそれは解っているはずなのだが……エミリオを溺愛していたのだ。弟は女性が駄目でね。自分は跡継ぎを作れないと決めつけていて、その分もエミリオに愛情を注いでいた。それはもう、父親以上に」
うーん……そういう人も居るんですね。
「ロワンを屋敷から追放するように言ったのは弟だった。知り合いの役人に預けるから命を落とす事までは無いだろうと。私も同意した……屋敷に置いていたら、弟はいつかロワンを殺すかもしれないと思った」
「マカリオ殿は、市井で見掛けたロワンを気に掛ける事もあったと聞きましたが」
私はロワンと男爵を見比べながら言った。男爵が……答える。
「恐らくマカリオは、殺意を新たにしたのだ。ロワンがまだ生きているのを見て」
私は思わず椅子に崩れ落ち、天井を見上げ深い溜息をつく。
そこにゲスピノッサとフォルコン号、という訳か……マカリオの頭の中では、目的が先なのか手段が先なのか。
「マカリオのしている事は当家の恥……しかし卿は先程からそこには一言も言及しない。何故だね」
「些細な事だからです。僕はロワンが安全になればそれでいい」
フォルコン号が狙われた事も、爆弾コートを持ったボボネを止める事になったのも些細な件……ではないような気もするけど、この場はそれでいいや。とにかく早くサフィーラから離れたらいいんですよ。
「赤の他人の君が、何故そこまでするのだ……」
男爵は深い溜息をつき……椅子に座り込み頭を抱える。
「私はただ、起きてしまった事に失望し、マカリオの暴走を止める気力もなく、日々を怠惰に過ごしているというのに。ロワンの身の上もそうだ。何故君が彼の面倒を見るのだ。彼は私の家の道化師で……エミリオの大のお気に入りだったのだ。私だって、ロワンをアンドリニア公の晩餐会に連れて行った時には、彼の芸で大いに面目を施したものだ……」
だんだん話が拗れて来たような……
「フレデリク殿。ロワンは私が引き取りたい。エミリオだけではない、二人の娘もロワンの芸は好きだった。マカリオの件は……私が弟に気を使い過ぎていたのが悪いのだ。私の弟なのだから、私が止めなくてはいけない」
「旦那! 旦那!」
邸宅から引き上げる私とエステルを、男爵もロワンも玄関コートまで見送りに来てくれた。
「旦那、ありがとう……旦那は本当にロワンを男爵様の元へ戻して下さった」
「はは、やっと礼を言ったなロワン」
正直、これでいいのかどうか、まだ迷っている部分もある……個人的には、他所の町でやり直した方がいい気もするけどね……少なくとも、本人にとってはこれが望みだったのだ。それに……男爵も庇護を約束してるし。
「卿とはアンドリニア復興の件でお会いしたかった。本当にもう行かなくてはならないのか」
その件というのが、ぜんっぜん解らないんですが……誰と勘違いされてるのだろう。政治と歴史の話っぽいので、多分説明されても解らない。
私、物語の本とか読む時も、そういうとこは読み飛ばすのよね。
「慌てる事は無いでしょう。なるようになると思いますよ。またお目に掛かる機会もあるかもしれない」
何も解らない私は曖昧な返事をする。
丘を下り港へ戻る道の途中。男爵邸の人々が見えなくなる辺りで、エステルがせっついて来た。
「フレデリク! 今のはどういう事なんだ?」
わかんない……
「解らないよ。だが男爵はロワンを庇護すると言うし、ロワンは満足しているのだからこれでいいだろう」
「そっちじゃない、アンドリニア復興の事だ、君がグラナダ侯爵を救い復興への希望を繋いだと……それでその、慌てなくてもそうなる、って……」
そっちは、もっとわかんない……アンドリニアって何ですか? グラナダ侯爵は名前だけ知ってます。復興って何をですか?
こういう時は、質問返しだ。
「君はどう思う? アンドリニア復興について」
そう口に出して始めて思い出したんだけど、前に聞いたわねこれ。あの時の私、眠くて朦朧としてたんだっけ。
「……難しい。私の祖先は間違いなくアンドリニアの碌を食んでいる。世襲貴族の男爵はアンドリニアに恩義を感じて当然だが、一代叙任の私の父やマカリオはコルジアに恩義を感じて当然だ。私自身も今はコルジアの碌を頂いている」
本来はエステルの立場はマカリオに近いのね。
「条件が整えば、グラナダ侯爵はコルジアと話をするだろう。それでどうなるかは、今の僕には解らない」
私はどうとでも取れる適当な返事をする。これ以上聞かれたら何て答えよう……そう思ったけれど。エステルはそこで質問をやめた。
「君は……何度でも私の覚悟の上を越えて行く……」
エステルが急に萎れる。何で?
「私は何としても君について行きたいのに、その度に君は雲の上の人なんだと思い知らされる。私が君にしてやれる事なんて、一つでもあるのだろうか」
えっ……何でそんな寂しい事言うんですか。
エステルはちょっと男の子みたいな変わった子だけど、間違いなく同世代で同性の子だ。一緒に居るだけで私は嬉しい。
「僕は君と一緒に居るだけで楽しいぞ?」
「やっ……やめてもらおう! わ、私は騎士……見習いで……ただ一緒に居るだけで楽しいというような、そういう種類の女では……ないっ……」
何故か真っ赤になって抗議するエステルが、また萎れて行く。
「……私はこれだから駄目なんだ。出来もしないのに自分を大きく見せようとして、いつもそれで失敗する」
「そのままでいいよ、それが君らしさだ」
なんちゃって。フレデリクかっこいい。
「ようやくこれで、海に出られるな……君にも手伝って貰おうか」
私はそう言ってエステルの返事を待つが、それが聞こえて来ない。
立ち止まって振り返ると、エステルは先程の場所で止まったまま、顔を真っ赤にしている……えっ、また怒らせちゃった?
あ、走って来た……
「き……聞いて欲しい、フレデリク! 私は……」
何かを言い掛けたエステルの動きが止まる。
正面?
エステルの視線の先を追い、正面を見ると。
30m程先に、馬に乗ったマカリオと……レイヴン人の二人組が立ちはだかっていた。