マカリオ「美少年だと思って油断した。この次は必ず……ねじ伏せて……」
「ニック先生、ありがとうございました……ぐぇ」
フォルコン号船上での剣の稽古の後、不精ひげに頭を下げる水夫マリー。
「……船長もしかして、相手と立ち会った時、剣より相手の足を見てないか?」
「へ? だめっスか、気をつけます」
「いや、いいよそのままで」
ボートの上……大きく動けば大きく揺れる足場の特性を、マカリオもよく理解しているのか……少しずつ、間合いを詰めて来る……
一方の私は大きく踏む事も出来るし、船縁でも何でも足場に出来てそこで跳ぶ事も出来る、そういうズルは持ってるけれど。
この幅が狭く長いボートの上では、左右の動きにどれだけ意味があるか……
最後にもう一度、美味いステーキを食べてみたかった。
「セイ!」
「ハッ!」
びゃあああ! 間合いに入るなり私の手元を打ちに来るマカリオ! 速い! 大人の男の、その中でもかなり強い人の速さだよ! 死ぬ、私死ぬの!?
「ふん!」
二合い、三合い……何とか攻撃を捌く。
強い人だけど、やっぱり足元が悪いのだろう、出足が丸見えだ。
速く激しい攻撃だけど、打って来るタイミングははっきり見える。
だけどこのままじりじりと詰められたら、そのうちやられる……そうだ!
「それっ!」
私はちょうどすれ違って来ていた別の長いボートの船首に飛び移る!
「むっ……」
「うわっ!?」
元のボートとの間隔は1mちょっと。マカリオは小さく呻き、向こうの船頭さんが驚く。
すれ違う細長いボート……こういうボートは特に横揺れに弱いのでは。
「ハッ! ハイ!!」
突く可し、突く可し、私は船縁を踏める、揺れない!
「おのれ……身軽な!」
向こうは揺れる、踏めない! どうだ!
すれ違うボートの上、水路を挟んで打ち合う私とマカリオ。
まあ間合いも遠いから相手のサーベルをちょっと払ったくらいでしか無いんだけど……ああっ、もう元のボートに戻らないと。
私は再び元のボートの船尾に飛ぶ。かなり横揺れしている……むしろこれひっくり返してやる方法ないかしら? だけど私が踏んでもボートは揺れない。
ああ、でも唯一出来そうな事がこれで終わったな。
マカリオは横揺れに耐えようと踏ん張っていて前進して来ないが……この揺れが収まった時が年貢の納め時か。
今行くしか無いじゃん!!
「それ!」
「小癪なッ……!」
一気に行くとみせて私は一度止まる、マカリオは左腕で船縁を掴んで大きな横薙ぎを浴びせて来るぎゃあああ怖い怖い怖い!!
間一髪すり抜けた私は、千載一遇の好機に、一気に……
マカリオは私が剣で突いて来ると読み、倒れこみながら大きな蹴りを放って来た。だけど私はただ船縁の上を、反対側へと駆け抜けていた。
マカリオの鷹のような目に、僅かに焦りの色が浮かぶ。私の方は後ろに回って剣を構えるのも一瞬だ。そしてマカリオのサーベルの先端は、座席に引っかかっている……
「ハッ!」
私は突くふりをして間合いを詰める! マカリオは殆ど転がるようにして船尾側に逃れながら膝立ちになった……!
「何の真似だ、小僧……!」
マカリオが憎しみを込めて私を睨みつける……怖い怖い怖いきゃあああ!
千載一遇の好機が二度もあったのに、私は剣を突かなかった。その事に怒っているのか。
私はボートの中央に立ち、レイピアを構えている。マカリオのサーベルは足元にある。怖くて下を見られないが多分ある。
何だか解らないけど、すごく上手く行った……魔法と地の利を最大に生かしたズルだけど。
「フォルコン号の連中も僕も、ゲスピノッサの事など何も知らない。詮索する必要は無かったんだよ。今でもそうだ。君がロワンに干渉するのを諦めてくれれば、それだけでいい」
だからもう、決闘とかやめませんか?
まあ、これでめでたしめでたしとは、ならないんだろうなあ……私がそう思った瞬間。船首側に居たロワンが、後ろで喚いた。
「待ってよ! どういう事! 君はなぜロワンがバルレラ様の屋敷に帰るのを邪魔するんだ!?」
ああ……そうなるんだ……勘弁してよ……
「ロワンは、ロワンはやっとバルレラ様の屋敷に帰れるんだ、なのになぜ君はマカリオ様と喧嘩をするんだ?」
だんだんロワンの声が近づいて来るし……これでロワンに掴みかかられたらどうなるの!? 誰か助けてぇぇ。
あと……マカリオの動きが何か怪しい……これは……隠し武器を取り出して襲いかかって来るとか、そういう雰囲気か……これまだ全然終わってないんだ。
私はマカリオを牽制しなければならないのに、ロワンの声がだんだん近づく……助けてぇぇ! 誰かぁぁ!
助けは、居た。
「食らえぇぇ!!」
あのレイヴン人コンビの背が低く太った方は、ロワンと一緒に船首辺りに居たのだが、そいつが。声を潜めて忍び寄り、背後から襲い掛かって来たのだ!
ただそれは、岸壁で私を追い掛けていたエステルがジェスチャーで教えていてくれたので、丸見えではあったのだが。
よろよろと忍び寄り、最後に一気に短剣を突き出して襲い掛かって来たそれを、私は船縁を飛んで難なく交わす。
そして私が居た場所を通り過ぎ、無用心に丸出しになった、かなり厚みのあるその皮のズボンを履いた尻に……私はちょっとだけレイピアの先を刺してやる。
「あいたぁぁぁぁ!!」
「こ……この大馬鹿者!!」
そいつは正面のマカリオめがけてすっ飛んで行き、二人は絡み合って船尾に倒れる。
「フレデリク、橋だ!」
エステルが叫ぶので後ろを見ると……だいぶ低い橋が迫って来ている……
「ロワン、船底に貼り付け!!」
私はそういうなり……ごめん、ロワン……さっきレイヴン人がやったみたいに、ロワンを船底に投げつけるように転がす。
悪いフレデリクはそれで終わらない。私は船縁に立ち、迫る橋の下で身を屈めると、天井となった橋を押し上げて、真っ直ぐに船縁を押し込む。こうするとどうなるんだろう。
「何ィイ!」
「うわああ!」
どうやら船酔い知らずの魔法でも、ここまですれば世界を押せるようだ。
ボートは思い切り傾き、どうにか立ち上がろうとしていたマカリオと背の低いレイヴン人は、一気に水路へと転げ落ちた。
「ひいいい!」
ロワンまで落ちたらどうしようと思ったが、ロワンはどうにか、座席板の間に挟まっていて無事だった。
橋を通り抜けたボートの上には、私とロワン、それにレイヴン人の背の高い方が残って居た。
今ので結構水が入っちゃったな。このボート。ああ、マカリオのサーベルがまだ残ってる……切っ先が少し船体に刺さってたのかしら。
左手でそれを拾い上げる私。これはどうしよう。河岸に投げておいたらマカリオが拾うかしら。
ふと顔を上げると、背の高い方が青ざめた顔で私を見ている。さっきの揺れには対応出来たのね、この人は。
「このままボートを漕いでくれてもいいんだよ?」
私は言ってみた。
「うわー、やられたー!」
何かを棒読みにしたような悲鳴を上げ、そいつは水路に落ちた。
じゃあこのボート、私が漕ぐの? めんどくさいなあ……だけどとにかく早くマカリオ達から離れたい。
あ、でもエステルはどうしよう。
エステルはまだ河岸を走って来ている。私はボートを岸側に寄せる。
……
「君も乗るかい?」
少し集中力を失っていた私は、思わずそう言ってしまった。
「乗るかいって……!?」
エステルは一瞬絶句する。
「乗るよ! もう!」
エステルはどうにか、ボートに飛び移る。船底にかなり水が溜まっているので、結構な水飛沫が飛ぶ。
「巻き込む気があるのか無いのか、せめてそれだけでもはっきりさせてくれないのか……」
エステルが呟く。
あのマカリオという人はエステルの父と知り合いだった。そういう人と事を構えた私に、ついて来いというのは少し酷だったのではないだろうか。
だからと言って今私がエステルに「やっぱり降りる? そうした方がいいよ」と言ったらどうなるのだろう。怒るよな。
困ったなあ。私確か、何かエステルの助けになれるような事がしたいと思って出て来たはずなのに。どうしてこうなったんだろう。
「どうして? どうしてロワンをバルレラ様の元へ帰らせてくれないんだ!」
ロワンが私の上着の裾を引っ張る……こっちもどうしたらいいんだ。
「ロワン。男爵の屋敷へは僕が連れて行く。マカリオ様の事は忘れてくれ」
私がそう思った瞬間、フレデリクはまた適当な事を言い出す……勘弁してよ……
水路が広がり、小さな川に出る……私は勿論、男爵の屋敷がどこにあるかなど知らない。
「……マカリオ様はロワンの芸が好きだったんだ。バルレラ様……男爵様はそんなに笑わなかった」
ロワンが私の上着の裾から手を離す。
私はエステルの方を見て……一瞬、話し掛けるのを躊躇する。彼女はまた真っ直ぐに私を見ていた。
「あの、エステル、君バルレラの屋敷がどこにあるか知らないか?」
「……知っている。訪問した事は無いが道案内くらいは出来る」
私、エステルを助けに来たのよね? 私がエステルを利用するだけしてるように思えるのは、気のせい……よね……?
なんだか諦めたようにため息をつきながら、エステルは答え、続けた。
「剣の腕も凄いな、君は」
それは言わないで……ズルなんで……