猫「フォルコン号に伝えるのが拙者の役目か。全く世話の焼ける連中だ」
エステルはフリデリクの役に立ちたいと思い、一生懸命ついて来た。
だけどフレデリクは何も言ってくれない。次にすべき事も。
それで、自分は邪魔なのかなと思い、立ち去ろうとすればついて来いという。
裏通りを走って行く私……ロワンが立ち去ってからまだ数分。飛び跳ねるように立ち去っては行ったが……
100m程続いた通りが水路を挟む広い道に出るまでの間には、レイヴン人もロワンも見つからなかった。しかし。
「あれだ……ロワン!」
ロワンは長いボートに乗り、水路の上に居た……漕ぎ手はあの背の高い方のレイヴン人で、背の低い方はロワンと一緒に居る。
水路の幅は10m近く、ボートは他にも行き交っている……私はボートを追いながら叫ぶ。
「ロワン! どこへ行くんだ!?」
「フレデリク君! やっぱりバルレラ様が、ロワンを呼んでるんだって! ロワンはバルレラ様の屋敷に帰る事になったよ!」
ええっ……
「ロワン、待て! 詳しく話を聞かせるんだ、そのボートを止めてくれ!」
ボートに追いつくのは難しくなかったけれど。レイヴン人の背の低い方が……私に向かい、コルジアの言葉で言った。
「どこの誰か知らないが、こっちはバルレラ男爵家の用事だぞ! 見ろ、きちんと紋章入りのレターも持っている! 邪魔をされる謂れはない!」
私は追いついて来たエステルに囁く。
「まずいよ、昨日ボボネに爆弾コートを渡したのが本当にバルレラなら……彼はロワンに何をさせようとするか解らない」
エステルは酷く困惑した顔で答える。
「昨夜も言ったけど……バルレラ男爵は砦と荘園を所有する領主でもあり、アンドリニア復興運動の熱心な推進者の一人である事は、私でも知っている……そんな人が自らサフィーラの下町まで港湾役人に爆弾を渡しに来るだろうか」
「なるほど……試してみよう」
私はもう一度声を張る。
「ロワン! 君は宿に元の道化服を置いて来ただろう! どんなに汚れてたとしても、あれは男爵から頂いたものじゃないのか!」
「……そうだ……そうだった! 旦那方、一旦ボートを止めて! ロワンはあれを取りに戻らないといけない!」
「大丈夫だロワン、あれは俺達がちゃんと後から届けてやるから、男爵様が一刻も早くお前に会いたがってんだよ、な?」
「だめだ! ロワンはあれを持っていないとだめだ! ロワンは降りる!」
「ああほら、立ち上がると危ねえから!」
ロワンはボートの底に投げつけられるように転がされた……やっぱりあれは、お抱えの道化師を迎えに来た奴じゃない。単なる誘拐犯じゃないのか。
私は水路の先を見る……橋があるな……あそこからボートに飛び乗ってやろうか。
私は黙って、橋に向かって先回りして走る。ブルマリンで似たような事があったわね……あの時は私がボートで逃げる側だったっけ。
エステルもついて来る……そのエステルが。橋の上の人影に気付き、叫ぶ。
「マカリオ殿……!」
そのエステルが控え目に叫ぶ。
橋の上に、一人の……黒いプールポワン姿の、背の高い男が立っている……口髭を細く整えた眼光鋭い男前の中年男。体格も良く、腰のサーベルは飾りでは無さそうだ。
エステルがマカリオ様と呼んだその男は、ボートのレイヴン人達に向かって小さく手を上げた……そしてすぐ視線を、私に戻す。
マカリオは一見自然体で立っているように見えたが、その目にははっきりと、ここは通さないという意志が見て取れた。
私は橋の袂で立ち止まっていた。エステルは私を二歩追い越して、私とマカリオの間に入るようにして止まった。
「マカリオ殿……何故、こちらに……」
「……君は確か、クラウディオの娘。君こそどうしてここに……まあ良い。そちらの少年……失礼、紳士に、何か誤解があるようなので」
言葉こそ穏やかだが……その視線には切り裂くような殺気が篭っている……私の足元、帯剣の長さ、歩幅や腕の長さまでつぶさに観察しているようだ……って、ぎゃあああ!? なんかこの人超怖い!? だけど……
「そこの二人が何か無礼な振る舞いをしたのなら申し訳無い、学の無い兵卒なのだ。だが彼らは当家に仕えていた道化師を連れ戻しに来たに過ぎない。彼……ロワンもそう言っていただろう?」
私が黙っているので、その男、マカリオは溜息をつき、エステルに視線を向けた。
「クラウディオは戦友だった。勇敢で正義感の強い、良い男だった……コルジアの国土再興運動は道半ば……彼と最後までそれを見届けたかったものだが」
私はエステルに視線を向ける。エステルはバルレラ家の人と面識があったのか。エステルも一瞬こちらを見た。何か申し訳なさそうな顔をしている……
いや……何だろう。エステルの考えている事が、その視線から伝わって来る……或いは単に、私がエステルを信頼しているのか。
ロワンの乗ったボートが橋に近づいて来る……
私は……正直、泣きそうだった。
今まで無茶をした事はたくさんあったけれど。人から見たらどう思われるかはともかく、私としてはちゃんと大丈夫と思ってやって来たのだ。
強いトライダーが一緒だから大丈夫。強いジェラルドが一緒だから大丈夫。ファウストは本気じゃないから大丈夫、等々……
アイリが魔法を掛けてくれた短銃も。さすがに何度でも撃てる銃なんてあったら、私のような者でもちょっとした活躍が出来る。
ゲスピノッサと戦った時なんか、お化けが味方ですよ。
だけど今はそういう材料が無い。私の中身はお針子のマリーちゃんで、目の前に居るのは能力も高く経験豊富な本物の大人の男の剣士、味方のエステルはこの男に剣を向けられないし、そもそもとても敵う相手では無いだろう。
だから、今はこの男の言うなりになって、引き下がるしかない。
この男がそれでいいと言ってくれているのだ。この男からしたら、私を二つに畳む事など造作も無い事だろう。でもそうしないと言うのだから。
だけどこの男の声は、あの時、ボボネと話していた男に間違いないんだ……!
「貴方に渡されたコートを、ボボネはロワンに渡さなかったんだよ。ロワンはボボネがコートを持っているのを偶然見てしまった。ロワンはボボネにコートをくれるよう哀願した。だがボボネはロワンを蹴りつけて、それを断った」
私はそこで言葉を切り、マカリオの反応を見た。ぎゃああああ私何言ってんの!? 怖い、マカリオの顔が怖く歪む!
「ボボネは確かに、ロワンに仕事をさせてその上前をハネるクズだったんだけど。不思議だね。貴方に言われた通り、ロワンに爆弾コートを着せてフォルコン号に送り出す事は、出来なかったんだ。彼にもね、ロワンへの友情はあったんだよ。貴方にロワンは必要無い! 返して貰うよ!」
ぎゃあああ! マカリオが憤怒に顔を染めサーベルを抜いたああ、私は橋の上へと走る! 走る! 橋の下を、ロワンを乗せたボートが通り過ぎて来る……それ行けー!
「へっ……ぐあっ!?」
私は櫓を漕いでいた背の高い方のレイヴン人の頭を踏んで、ボートの上に飛んでいた。
目の前でロワンが目を白黒させている……この人に何て言って納得させるかがまた面倒だなあ……
「フレデリク!!」
エステルの声に……振り向くと……
ぎゃあああ!? マカリオが追って来た! 橋の上からもうボートに飛び降りていて……あ、今ボート揺れてるのね……屈んだままだ……
今なら突ける? 今剣を抜いて突いちゃえば良くない!? 早く!
私は剣を抜いたが、突く事は出来なかった。
マカリオは態勢を立て直し、私に向け……ピタリと剣を構えた……
「決闘だ。理由は先程の君の私に対する侮辱。良かろう?」
私を殺す気の、強い、大人の男。味方はなし。
相手は一人だけど……多分、今までで一番危ないんだと思う。