フルサイム「あの道化師かな?」ベルズ「違うな、ロワンは汚れてるが元は上品だった服を着てるってよ」
アイリ「きゃあああああああ居ないー!!」
不精ひげ「ま、まだあの爆音と関係があると決まった訳じゃないから……」
夜遅く。安宿の居間にも人が絶え、残っているのは私とエステルだけになった……ロワンももう男女別の寝室に去った。
ロワンの為の道化服は完成した……表地に更紗生地を贅沢に使った見栄えのする物だと思う。赤と黒を左右に分けて使い、裏地をしっかり合わせ……少しゆったり目かもしれないが、我ながらいい出来だ、デザインが特にいい。
「君は服屋の真似まで出来るんだな……本当に器用だ」
「不器用だぞ僕は。それに真似じゃなくて、本当に服屋さ」
「まさか。ふふ……あの……少し、アンドリニアという国と、私の家の話をしてもいいだろうか」
うーん。実は私は今、猛烈に眠い……ポルトワインはキツかったし、その上でのこの精魂込めた針仕事だ、それでいつバッタリ倒れてもおかしくない所に、頭の悪いマリーちゃんの苦手科目を並べられたら、私は間違いなく墜落する。
しかし彼女の家にもまつわる話というのなら、頑張って真面目に聞かないと。
「コルジア王がアンドリニアの王を兼ねる事になり、アンドリニアという名前が使われなくなって数十年……それは勿論私が生まれる前の話だし、正直、私自身はこれをどう考えていいのか解らない。けれど世間にはアンドリニア復興を願う人も居る。私の祖父もそうだった。祖父はアンドリニアで叙任を受けた騎士だったから」
そうだよ、私はエステルの助けになりたくて、船を抜け出して来たんですよ、でも何をすればいいかが解んなくて、その前にボボネの事件があって……
「一方、父は勇敢なコルジア軍人でコルジアの国土再興運動に従事して戦い、コルジアで叙任を受けた騎士だった。父はアンドリニアはコルジアと共にあるべきと考えていたのかもしれない。そんな事を娘の私に語って聞かせるような男ではなかったから、本当の所は解らない」
私は真面目で健気なエステルの助けになりたいので、この私の頭の周りで踊るうさぎの群れにどこかに行ってもらいたい。ほらチーズを踏んずけた。
「なあ。君はストークの人なんだろ? ボボネとロワン、そして彼等に金貨を取られた私……どこにでもあるようなくだらない風景、君がこの港で見た光景はただそれだけだったんじゃないのか? 何故それを君はそんなに気にしてくれるんだ……気の毒な道化師の為に、新しい服まで作って。それとも……」
そういえばそうだ。にんじんが無いからいちごケーキが作れない……いやいちごケーキににんじんは要らない……私はここで何をしてたんだっけ……
「一体、君の目は本当は何を見つめているんだ? バルレラ家の……アンドリニア復興派の若手リーダーであるエドムンド男爵と、その弟でコルジアに忠実な騎士マカリオの確執……ロワンはそこに辿り着く布石だったというのか?」
エステル、本当にごめん、アホのマリーには君の質問の意味すら解りません……
「武骨で未熟な私には、明日何をすべきなのかも解らない。君は何をしようとしているんだ……?」
とりあえず、今何をすべきかは明白……すみません、限界です……
私はふらふらと立ち上がり、寝室へ向かう。
「今は眠ろう、エステル。明日すべき事は明日の朝日が教えてくれるさ、頼りにしてるよ、今日は本当に君が居てくれて助かった」
「そんな、私なんて……ちょっと待てフレデリク、そっちは女部屋だ、君は向こうだろう」
ああ……私今フレデリクだった……いや男部屋に行って寝るのはさすがに……
「失礼、ぼんやりしていた。僕はこのままここで眠ろう、ぶち君も一緒だし、何かあればすぐに動ける……」
もう限界。考えるのも面倒臭いので、私はぶち君が眠る居間のソファに座りなおし、レイピアを抱え、帽子の鍔を降ろす。おやすみなさい……
「……ならば、私もここがいい」
エステルがそう言ったような気がした。いや、エステルは駄目だよ、こんな所じゃなく、ちゃんと女性用寝室に行って寝て……
しかし私は桃色のうさぎ達に網を掛けられ、たんぽぽの咲く道をゆらゆらと引きずられて行った。
意識が戻ったのは明け方早く……ああ……頭いたい……私こんな所で何してるんだっけ……
「……おはよう」
ヒエッ!? エステルちゃん? 何でエステルちゃんがここに?
ああそうだ……昨夜は安宿に泊まって縫い物を……ここはその居間、ぶち君は横で毛づくろいをしてる、私はソファーで居眠りをしていて、エステルは向いのアームチェアに座っていて……
……
まさかとは思うけど、エステルはずっと起きてたのだろうか……?
あと、このテーブルの上の服は何……これを私が縫ったのか……うわっ、何このデザイン!? どうやればこんな悪趣味に作れる!? 縫製は……ああああ、生半可頑丈に縫いやがって、これじゃ直すのも大変だよ……
「旦那、そいつはなに? そいつはなに?」
ヒッ!? ロワンまでそのへんの部屋から出て来た。
ああ、思い出した……頭が痛いのはあの強いワインのせいだな。昨日私は……
「それがロワンの新しい道化の服!? ぴかぴかのさらさらだ! 下さい、それをロワンに下さい! 新しい、ぴっかぴかの道化の服だ!」
「ああ……だけど君が気に入るかどうか……」
半ば躊躇する私からもぎ取るように道化服を受け取り、ロワンは狂喜して部屋に戻って行く。
「いいのかな、あれで」
「嬉しそうじゃないか……フレデリク、これを」
エステルがカップに入った水をくれる。ああ……とても有り難い。
戻って来たロワンは、ポルトワインでおかしくなった私が一晩で縫った、赤と黒の更紗が奇怪な模様を形作った道化服を着ていた。
「見てくれ!ぴかぴかのロワンだ! もうきたないロワンじゃないよ、これならあっち行けって言われないよ、これで皆に笑って貰うんだ!」
皆に会うのが待ちきれないのか、ロワンは朝のまだ人気の無いサフィーラの街に飛び出して行く。
私は少々胸が痛い……いくら道化師でもそのデザインはおかしいよ……
……
そもそも私は何をしていたんだっけ? 夜中に急に、自分ばかり恵まれてるのずるい、エステルの助けになりたい、と思い立って、飛び出して……
「あの……君は昨日ボボネが起こした爆発とその黒幕について教えてくれたけど……彼が襲撃しようとしていた船の事はいいのだろうか」
エステルが遠慮がちに聞きながら、空になったカップに水差しの水を注ぎ足してくれる。
まあフォルコン号は私よりは大丈夫だと思う。書き置きもして来たし……いや。一応警戒するように伝えた方がいいかな。
そうだ、ぶち君も居るし一度船に帰ろう。考えてみれば私もうフレデリクじゃなくてもいいんじゃないか?
エステルを連れて船に戻る、ボボネと黒幕とその企みについて皆に説明する、エステルが協力してくれた事を皆に伝える、皆とエステルが打ち解けた所で、私はマスクを取る、実はマリーでした……そして大団円……
「すまない、君の思案の邪魔だったろうか」
私がぼんやりしていると、エステルがまた遠慮がちに一言。
私はエステルの方を見る。
エステルは目を伏せていたが、私が視線を向けると、真っ直ぐに私を見る……
「ああ、いや……邪魔なものか。僕には目先の事に囚われやすい傾向があるから、時々そうして視点を変えて貰えると助かるよ。確かに、ボボネが失敗したと解ったら黒幕は別の手を打つかもしれないね」
「ではその船に知らせてやるのだな? 君が行くのか? ロワンの方はどうする? 人手が必要なら遠慮なく言ってくれ」
これは、自分に出来そうな事を見つけた時の、喜びと決意……エステルはそんな表情を浮かべ、アイマスク越しに私の目を見ていた。
何故かは解らないけれど。実はマリーでした、を言うのがどんどん怖くなって来た……これはもしかして、何かの泥沼に入りつつあるのか……