猫「ふふん。そんな事だろうと思ったぞ」フレデリク「ぶ……ぶち君!?」
性格が合わないという程でもないのに、何故か相性の悪い人っていますよね。
運やタイミングが合わなかったり、ちょっとした表現が行き違ったりして、いつもギクシャクしてしまう。
嫌いな所がある訳ではないはずなのに。
とりあえず建物の隙間から海が見える場所を見つけ、海に向かって歩き、何とか海に出たら大河の上流に向かって歩く。
一時間以上かかってしまったが、私はどうにかフォルコン号に戻る事が出来た。
どうだ! 私はもう大都会でも道に迷ったりしないマリーなのだ。
「良かった、マリーちゃん、今日はちゃんと帰って来たのね!」
「当たり前ですよ、私を何だと思ってるんですか」
船に戻った私は調理室に顔を出す。アイリさんが夕食を作っている所だった。私の分もあるよね? 挽肉のステーキ……ちょっと! 数が足りませんよ!
「アイリさん……私が帰って来ないと思ってましたね!」
「あはは、ごめんなさい、大丈夫だから、私が何か別の物食べるから……とにかく、あの子には会えたのね?」
「会えましたよ、ちゃんと。話も出来たし」
まあ、結局泣かれてしまったんだけど……でもあれは私のせいかしら……?
そこに、アレクがやって来る……匂いに釣られて来たのかと思いきや。
「船長、港湾役人さんがまた来てるよ」
「へ? 何でしょうね」
私は帽子とアイマスクを会食室に置いて、甲板に向かう。
「おお、フォルコン号船長、マリー・パスファインダー様ですね! 遅い時間に大変申し訳ありません!」
役人さんは背中を丸め、揉み手をして立っていた……ってこの人! あのボボネじゃないか……
「そして誠に申し訳ありません、フォルコン号をこちらに誘導してしまったのは手違いなのでございます! 私共の部下のミスなのです、本当はブリッジのある中央桟橋に誘導する手筈だったのです!」
それを聞いた私はゲンナリする。
ボボネの向こうで話を聞いていた不精ひげはさらにゲンナリした顔をする。それでは今日の俺の苦労は何だったのかという顔だ。
手違いっていうのは嘘だろうなあ。昼間のあの新聞記事を読んで、慌ててそういう事にしたんじゃないですかね。
「どうか何卒! 中央桟橋の方に移動させてはいただけませんか、勿論我々のタグボートで移動させます故! サフィーラ滞在をどうかお楽しみいただければ……」
まあ、賓客扱いは悪い気はしないし、明日の不精ひげの仕事が楽になるのはいい事だ。断る理由も無いし、曳航して貰おうかな。
……
「お申し出は有り難いのですが、我々はここで結構です、すみません」
不精ひげが細い目を必死に見開いてぷるぷると小さく顔を振っている。何故、どうしてそんなと、目で訴えている。
ごめんね。
ボボネは去って行った。
夕飯の準備が整い、乗組員が会食室に集まる……今夜のメニューは皆大好き、アイリさんが作る挽肉のステーキだ……だけどアイリさんの皿だけ、保存食である塩漬け肉の炙りが乗っている。
私は自分の皿の挽肉のステーキを半分に切り、半分をアイリさんの皿に、半分を不精ひげの皿に乗せる。
「あら、どうしたの船長?」アイリ。
「いいんです。代わりにその塩漬け肉の炙りを一口分けて下さい」
「いいよ……船長、好物だろ」不精ひげ。
「あの……二人共要らないなら僕が食べるけど」アレク。
「いいから不精ひげが食べてよ。疲れてるんでしょ」
会食が始まる。航海中は全員揃わないので、こういうのはとても楽しい。
「まあ、船を移動させてたら皆で揃っては食えなかったかもしれんな」ロイ爺。
「明日、通船を頼んでいいのよ? その分の経費は計算してるんだから」私。
「いいよ。俺がやればタダなんだから」不精ひげ。
私は不精ひげのタンカードにワインを注ぎ足す。
「あら、さらに船長のお酌がついたわね、不精ひげ」アイリ。
「高くつくんじゃなきゃいいけど」アレク。
「失礼しちゃうなあ。飲みたきゃ言ってよ、ほら、太っちょも」私。
皆が笑う……
八人掛けの会食室。私を含め七人の、気の置けない人々。残りの席の一匹の猫。
明々と燃えるランプ。フォルコン号に乗ってから、ランプオイルの心配なんかした事なかったな。リトルマリー号の時はまだ節約してたっけ……
挽肉のステーキは食べ損ねたけど、楽しい宴会だった。
艦長室に戻り、航海日誌をつける。
そして身支度をして、キャプテンマリーの服を着たままベッドに入り……目を閉じる。
今日一日に起きた事が脳裏を巡り、目蓋の裏に様々な光景が浮かび上がる……
チョコレートはとても美味しかったな。
夕食は楽しかった。ウラドやカイヴァーンは静かだけど、ちゃんと皆の話を聞いていた。
……
今日もたくさん、船長、と呼んでもらえた。
どうして、ついこの前初めて船に乗った小娘が船長なのか。
みんな優し過ぎるんだ。私の周りの人はみんな優しい。
……
アホのマリーは今さら泣いていた。閉じた目蓋からじわじわ涙が染みだす。
今の私には、黙ってるけど優しい水夫達が居て、黙ってないけど優しいアイリさんが居る。先日は父が元気で居るという事も解った。
だけど最初からこんなではなかった。
祖母を亡くすと同時に父からの仕送りが途絶え、事あるごとに風紀兵団に追われ、針仕事の元締めには手間賃を下げると言われ、ついには父の訃報が来て……あの日私は酷く心細い気持ちで、一人。レッドポーチに向かった。
あの日、私は不精ひげに何をした? 私の為に一生懸命、人に頭を下げて周って、自分たちが失業するのも解ってるのに、船を売ってお金にしようとしていた不精ひげに、私は何て言った?
『その……本当にごめん。だから……あの……一生の御願いだ、どうかあと数時間でもいい、待ってくれ、頼む、この通り……』
『お断りって言ってるでしょ!! これでおしまいよ!! 貴方の企みも!! 私の我慢も!!』
そのあと私は何をした。自分が酷い誤解をしていたと解った後。私は何をした。
船長になってあげると言ったのだ。
不遜過ぎる。何この小娘、船の仕事何にも出来なくて、船酔いまでするくせに……だめじゃん。こんな小娘を喜んで船長にしてアイ、マリーとか言ってる水夫共がだめじゃん。
気がつけば私は甲板に出ていた。
月は無い……明日あたりが新月だ。
サフィーラにはあまり高い山はなく、市街はなだらかな丘に沿って広がっている。
遠くに町の灯、船の灯が沢山見える……サフィーラの夜はまだこれからなのだろうか。パルキア辺りと比べても点いている明かりの数が多い気がする。夜が好きな街なんだな。
この辺りは郊外なので暗い。フォルコン号の両隣はどちらも中型の二本マストの貨物船で、もう最低限の灯かりしかつけていない。
昼間は人通りのあった河岸の道にも、今は誰も居ない。
昼間、エステルが立ってこちらを見ていた道……
甘い物でも食べさせれば元気が出るだろう? 人を何だと思っていたのか。
金が無いなら奢ってやればいい? 自分にお金がない時の気持ちを、私はもう忘れたのか。少しばかり商売が上手く行ったからって、最低じゃないか。そんなんで強引に奢られる側の気持ちになれ。
そうして無理やり付き合わせておいて、自分の気が済んだらサヨナラってなんだ。
アイリさんみたいな素敵な友達が待ってるから帰る? 本当酷い。
『私を海賊退治に連れて行って欲しい! 雑用でも下働きでも何でもする!』
『どうしてここで手を離すんだ! 後はどうなってもいいのか!』
私にそう言ったエステル。今はどこに居るんだろう。この街の灯のどこかの下に居るのか。それとも一人、暗がりに居るのか。
ちゃんと頑張って、助けてって言ってたのに。
そして私は、一度は助けるふりをしておいて、手を離してしまった。
逆風の中。人の世に良かれと思って頑張っている子なのに。
私はどうかしていたのだ。
艦長室に戻り、帽子とアイマスクと、トゥーヴァーさんのレイピアを取る。それから辺りをもう一度見回す……今日は皆居るから見張りは要らないと言ってあるし、私は今夜皆にさんざん酒を注いで周った。どうやら皆さんよく眠っているようだ。
ボートは二艘とも浮かべたままになっていた。私は舫い綱を解き、小さい方のボートに乗り込む。
皆さんごめんなさい。ちょっと出掛けて来ます。