論理と感情
一週間以上も空いたのか……。
案外学校の子とは仲良くやってるみたいで安心だよ。
ではでは。
論理と感情、なんて打ってるが、まあ簡単な話。
母さんを見てればわかると思うが、人との話し合いや議論、特にお互い意見が食い違ったときの話し合いにおいて、最も必要になる物、それが論理。最も不要になる物、それが感情だ。
ただし感情を論理に組み込むのだけは問題ない。それも論理の内だからな。
ちとめんどくさい例を出そうか。
俺達日本人の中で、まともな倫理観を持った一人の人間と、「人を殺してはいけない」という決まりがない無法地帯にでもいるような人間が、「殺人について」なんてテーマで議論するとしようか。
これで、まあ日本人側だろうな、「人を殺すなんてダメだよ!」と、「嫌悪」みたいな感情を全面に押し出した所で、相手からすりゃ「なんで?」で終わりなわけだよ。
で、論理的に考えりゃ、「むやみやたらに人を殺すメリットが日本にはあまりない」というちゃんとした理屈が出てきて、話は発展するが、感情が爆発すると「ダメな物はダメなの!」みたいな、まるでおこちゃまが駄々こねてるみたいなセリフが飛び出てくる。
これ、こんな極端なテーマだからわかりやすいんだが、日常生活は、もっと些細なテーマで、もっと些細で複雑な感情が絡んで話し合いにならないのが多々ある。
もう母さんが典型例だろ、こういうのでダメな例は大体母さんだな。
特に理論で勝てないとなった瞬間に「あなたたちを愛してるから仕方ないじゃない」で議論を終了させて、自分は欠点を改善することなく意味の無い話し合いで終わる。
もう母さんは大体のことを「愛」で解決して、自己完結して改善しないからホントに糞。
しかもそれで愛してないわけでもないから余計にタチが悪い。
まあ、母さんとの接し方についてはまた書こうと思うけど、まぁ知っての通りあれはクズだから、話し合いが無駄でしかない。
あと、感情を論理に組み込む、というのは、感情が元だ、と認めるということだ。
どういうことかって言ったら、全ての行動の原点、というかモチベーションみたいな物は、やっぱり感情から始まるってことなのよ。
「これがしたいな」って感情があるから行動を起こすんだよ。
要は、感情に逃げ込まなきゃ良いってことだ。
ということで、少し短いが、まとめておくと、この世の中は論理と感情をごちゃ混ぜにするやつが大勢いるが、せめてお前はそうならないで欲しい、というだけのことだよ。
あと、そういう人間に出くわしたら、相手が感情に逃げるたびに「それってただの感情論ですよね、感情に逃げないでもらえますか」とツッコンでいかなきゃいけない。それができるようになって欲しい。
……眠い、思考能力もかなり落ちたし、寝るよ、おやすみ。