《一種の終活?》 直接的方法論集
三千字書くのにかかった期間、二週間。
リハビリがまだまだ必要ですね……。
最後の方はなんとか、ボロボロになる前の、思い立ってバーッと書けたときの半分くらいの速度では書けたのですが……。
時間というのは、問題を有耶無耶にするのにおける一番の処方箋だと思うが、その例に漏れずお前も少しずつではあるが安定はしてきてる。
もうそろそろ、「精神的に不安定だから」人を頼るのではなく、「自分の足りない物を自覚するから」人を頼るようにシフトしていかないといけないし、事実そうできるだろう。
もうお前も次は中学三年生。俺の妹で、そのIQなら、世間一般の高校三年生~大学二年生程度の知性と品性は身に付いて然るべきだ。
俺も色々と人と話したりして、どうやら俺の感性と知性と品性は三十代半ば~四十代前半くらいらしいとわかって大いに愕然としたが、まあそんなもんかもしれない。
もう少し成熟したい、とももう思わなくなったしな。
さて、そんなこんなで、「精神的に不安定なお前のため」の駄文はそろそろ終わりを告げようとおもう。これからは「自分で自分を高めていくため」の駄文だ。
そのきっかけを作るための駄文にしていこうと思う。
さて、だから、これが一種の終わりだ。
それを締めくくるのはやはり、直接的な物だと思う。
さて、書いていこうか。
基本的には対処法だ。俺がとってきた行動を書くだけ。
参照にはなるが、参考になるかはわからない。
1.精神的に不安定になったとき
・他のことを考える
無理矢理でも良い。とにかく不安定になる要因から一回離れて、他のことを考えるんだ。
それがすぐにはできないなら、不安定ではないときに、「不安定になったらこうして気分転換をする」というルーチンを先に決めてしまうと良い。
因みに俺の場合は「本を読む、動画を見る、ゲームをする、徹底的に無駄なことを考える」だ。
・運動する
リフレッシュの方法として一番とも言われるのが運動だ。運動すれば、頭の中の黒い感情や思考ごと血液が押し流してくれる。
ストレッチ、有酸素運動、無酸素運動何でも構わない。
ただし二十分~三十分は最低でもする事。五分程度じゃ流石にリフレッシュ効果は期待できない。
・寝る
実は案外優秀な方法として睡眠がある。疲れるくらい泣いたり、怒ったりして「今なら不安定でも寝られそうだな」となったら、さっさと寝てしまうのもありだ。
ただし大抵不安定なときは眠れないから、これは頭か体がある程度疲れた時に使える技となる。
2.死にたくなったとき
・自分が死んだとき、大泣きしてくれる人のことを考える
お前なら俺だ。たとえそれが自分勝手な望みだとしても、辛いお前にもっと辛い状態を味わわせてしまうかもしれなくとも、それでも「頼む、死ぬのはやめてくれ」と言ってくれる人間がいてくれるなら、やはりお前は『まだ死ぬ運命ではない』。
「自分に何ができるんだ」なんてお前は言うが、何度でも言おう、書こう、「いてくれるだけで十分俺は嬉しい」。
・損得勘定で考える
例えばの話だ。いくら辛くて、死にたくなるときがあったとしても、それを上回り余りある幸福に身を満たす時が来るかもしれない。
それを経験してからでも、死ぬのはいいんじゃないかな。
ん? そんなの経験するかどうかわからないって?
そうだよ。だからこそ俺達は生きるんだろ?
お前だってよく知ってるじゃんか。そしてたまにやるだろ?
リセマラ。
これからどういう風に強くなって、どんな風に育つかが全部わかりきってるアカウントキャラなんて、よっぽどの事が無い限り誰も満足しねえよ。
これから起こりうる事への「期待」が俺達にそのアカウントを、ひいてはその人生を選ばせるんだよ。
逆に期待ができなくなったらキツいわけ。
だからその度に「でも」と期待をし直せるようにしないといけない。じゃなきゃ生きていけない。
だから、それができるようになってくれな。
3.ひどく怒ったとき、悲しくなったとき
・考える。
いいか? 決して「辛くなったとき」ではないのが最大のポイントだ。怒ったときと悲しくなったとき。この場合は、考えるのがいい。
なぜ自分は今怒っているのか? なぜ自分は今悲しくなっているのか? これを、とりあえず感情が爆発した後でもいいから考えるんだよ。
これで、「ああ、これが原因か」とわかってしまえば、その問題は感情と切り離して、論理的に、理性的に対処ができるようになる。
対処してしまえばその怒りや悲しみはごっそりとなくなる。
ただし問題は対処が非常に困難な場合だ。
この場合は逃げろ。その問題自体から。
逃げることすらできない、という問題はあまり存在しない。
時間のスパンにも確かによるが、それでも「現状を良くするために逃げる」ことを目標に全力で動き出すと、大抵一年以内で逃げる準備が整う。
そしたらとっとと逃げてしまえ。
この「逃げる」というのは、辛くなったときにも、一応は使える。すこーしニュアンスが違うが。
4.辛くなったとき
・逃げる
三行上に書いた通り、この逃げるはニュアンスが違う。
いいか。辛くなったら、「辛い」と感じたその瞬間に、「辛い」と感じさせる対象から即座に逃げろ。可及的速やかにだ。
そして心からその事象と感情を閉め出せ。シャットアウトだ。
「辛い」というのは、怒りや悲しみと違い、自分に肉体的精神的問わず実害が生じて、それが傷として残る場合の言葉だ。
まずはその場から離れる、見ない、聞かない、話さない。
そして可能な限り基本的に原因を二度と自分と接点を持たないようにする。
例外として、数年経ったら辛く思わない、みたいなのがあるからそこはさじ加減だ。大体は「特定の人に辛いだけ」ならこの例外に当てはまりやすく、「大体の人は誰でも辛い」ものは当てはまりにくいぞ。
5.ひどく嬉しく、楽しくなったとき
・記憶する
いいか、自分が喜んだもの、楽しんだものは、可能な限り鮮明に、克明に、しっかりと記憶しておけ。
そしたら後は大事にしまって鍵をして、心の底にそっとおいておけ。
心に傷を負ったとき、鍵を開けてもう一度見てみると、楽しくはならないが、それでも懐かしく、微笑ましく感じられて、自然と心が温かくなる。
それが異様に早く傷を癒してくれる。
そして気が付くと成長してる。
こんなもんでいいか。書こうと思ったらちょくちょく追記するさ。なんせこれは駄文だからな。
基本的に、楽しかったり、嬉しかったり、反省すべき事以外では過去は振り返ってはならない、と俺は思う。
マイナスな出来事は、なるべくその時その時で消化してしまうのが最も素晴らしい。
消化に時間がかかってしまうなら、感情的なことならいっそ忘れてしまえ。
いらないから、そんなの人生には。
「忠言耳に逆らう」なんて言葉がある通り、一応自分にとって耳が痛い言葉は聞く価値や意味があるときも多い。
が。
人というのは脳構造的に「肯定してもらうことで成長する」生き物だ。認めてもらって、褒めてもらって初めて人は成長する。
だから、自分のことを何でも肯定してくれるような人間は、一人は身近にいないといけない。
逆に、「言う相手の事を思って」聞くのも辛いことを言う奴も、一人は身近にいないとまずい。
だが、この二人さえいたなら、後は人生で必要な友人や家族や上司や先輩やその他なんていらないんだ。
下手をすれば、「褒めてもくれるし、忠言も言ってくれる」最高の友達ができるかもしれない。
それでもなにより、お前がされるべきなのは「認めてもらうこと」と「褒めてもらうこと」だったわけだ。
それが少しずつ、少しずつ叶い始めた。
ここから、ちょっとずつ前に進んでいこうや。
ここで、駄文は一度切れ目を迎えます。
妹が精神的に少しずつではあるものの立ち直ってきており、「過去」から「未来」、馬の骨的には「西」から「東」に向かえるようにシフトしてきたので、それに合わせるような物を増やしていきます。
少し直接的、具体的な駄文が増えるかもしれません。いや、増えます。
一応タイトルに、抽象的か具体的かは書いていこうかと思いますので、妹は勿論ブックマークのあの御方、それ以外の方にも少しは親近感が湧きやすくなるかもわかりません。
断言はできませんよ。
本人じゃありませんから。




