IQが高いからといって《滅多にない読者の為の物》
今回の話は、かなーり珍しく「妹より他の人へのメッセージを優先した駄文」です。
あとの方、ちょっぴり、ほんの少しだけ、言葉が荒れたかもわかりませんが、いやそんなことはないな、うん。
今回は、多分今回「だけ」は、私の自発的な、妹のため、というよりも、どちらかというと「これを読む俺の妹以外のあなたのため」です。
妹よ、お前はもう知ってることが大半だから、最後の方だけ読めば良いぞ。
IQが高い。
これを人は俗に「頭が良い」と呼びます。
頭が良くない人の言う「頭が良い」は、「頭が良い」意外にも色々な意味を内包します。
勉強ができたら頭が良い。
物覚えが良ければ頭が良い。 他色々と。
逆に、頭が悪い人は、「頭が良い」からできる事を「頭が良い」とは言わない事もあります。
運動神経が良い。
動きのキレが良い。 とか主に身体的な事ですかね。
さて、この世に生きとし生ける人類は、ほとんどが「ある分野では大なり小なり頭が良い」人達ばかりです。
例えば、目で見て覚えるよりも、耳で聴いて覚えた方が物覚えが良い、とか。
計算は恐ろしく早くできるけど口下手で、数字は出るのに言葉は上手く出てこない、とか。
その逆も勿論然りです。
ただ、たいていの人は、この差があまり大きくはなりません。
IQで言えば、「目で見て覚えるIQ」と「耳で聴いて覚えるIQ」の差が15は、いやもしかすると10もないです。
「能力を特定分野ごとに測った時に、それぞれの能力にあまりバラつきがない」。これが定型発達、所謂「普通の人」ですね。
全くバラつきがなく全て同じレベル、と言う人も定型発達ですが、逆に滅多にいないでしょう。
少しずつは、やはり得意不得意があるはずです。
逆に。
この「特定分野ごとの能力の差」が、思いっきし出る人達がいます。
これが所謂「アスペルガー」とかですかね。あくまで「とか」です。
アスペルガーは、「能力の差が大きいが、平均すると一般人と同じくらいかそれより上になるため、社会生活を送るのに著しい障害はない」人達のようなものだとお考えください。
さて、ちなみに私もどこに出しても恥ずかしくないアスペルガーですが、「耳で聴いて覚えるIQ」が「目で見て覚えるIQ」より、二十近く上です。検査で出てます。
こういうのがアスペルガーなんですが、これ実は相当恐ろしい事なんですね。
「IQが15離れると会話はできても意思疎通は困難になる」という事実をご存知でしょうか。
実際、私もIQが平均的な(と思われる)人と会話してると、段々とズレが出てきます。
話してるテーマがズレるんですよね。軌道修正しても、どうしてもズレる。
幸せの変遷について話してたのに、何故か「社会でそれを幸せと言うのか云々」となったり。
概念論がいきなり結果論になったり。
とかく、そんな風になって会話は難しくなります。できないわけでは、勿論ありませんがね。
さて、そんな事態が、一人の頭の中だけで起こるわけです。
私とかだと、「これ覚えといて、多分明後日の授業で必要だから」と紙を渡されると、それを覚えようとしたときに友人達が喋っていた雑談の内容は事細かに覚えているのに、その紙の内容は全く覚えられない、なんてのがザラにあります。
そしてこれが一般では「なんでそんなどうでもいいことは覚えられるのに大事なことは覚えられないんだ」と言われるわけです。
「いや、あんたが雑談せずにその内容を口頭で伝えるか、せめて自分で呟く音が聞こえるくらい静かにしてくれてたら覚えられたよ」と言いたくなるわけで御座います。
さてさて、お解りになりますでしょうか。
つまり、IQが高いからと言って、「なんでもかんでも覚えられる」というわけではありません。
まして「頭が良い=勉強ができる」とか最早お笑いですし、「言葉が上手く喋られないから頭が悪い」なんて侮辱でしかない。
そういう人ほど二億年先のカレンダーの日付と曜日をピタリと言い当てられたりするんですよ。
逆に、「運動神経が良い」というのは、「頭が良い」もある程度は同義です。神経系とかの事を抜けば。
体を上手く思った通りに動かせない、その部分のIQは低い、と言う人はやはりごまんといます。
はてさて、それをふまえまして。
アスペルガーと定型発達は、最早脳の造りが違います。
そして、定型発達の人間というのは、全ての分野が高IQという化け物以外は、基本的に「まんべんなく頭が悪い人達」で御座います。
逆にアスペルガーは「滅茶苦茶頭が良いかと思えばふとした拍子に滅茶苦茶阿呆」という人間。
ここに、人間の考え方のよくあるパターン「自分が思うことが当たり前、自分が世界の中心」理論をぶち込みますと。
定型発達とは「まんべんなくできる」人達。つまり「AがそこそこできればBもそこそこできる人達」で御座います。
そんな人間が「Aが凄く良くできるのに、Bがからっきし」という人を見たとします。
どう思うか。「やる気がない」です。はい。
だって自分はできますから。自分ができるなら他の人もできて当然らしいですから。
と、ここで、日本人の(といって良いのでしょうかね、まあ外国人の方が口を揃えて言ってるから少しは信憑性がありますかね)悪い癖、「満点の教科と苦手な教科を見たら苦手な教科を直そうとさせる」をぶち込みましょうか。
「生まれつき」能力が備わっていないからできないのを、「やる気がない」と、「できないところだけ」延々となじられるわけです。
……良いですか? 「生まれつき」です。
やってることが白人の黒人差別や、足や腕のない人とかのあからさまな差別と何も変わらねぇんだよ。
そういうのは皆から「良くない」と言ってもらえんだよ。
見えるから。
俺達の歪みは、「生まれつき」は、目には見えないから。
できなかったら孫の手が裂けるまで叩かれて。
できることは「もうできるから」となおざりにされて。
得意なこともできず、能力的にできないことをギャンギャン毎日のように言われて、時には一番理解して欲しい親から殴られて。
ふざけんな。
だから人間なんて嫌いなんだよ。
……自責のアスペルガー、または自閉症関係の方へ。
大卒の資格を持ってるなら、海外に行くのもありですよ。
多分、言葉の壁さえ越えてしまえば、すごく生きやすいと思います。
アメリカやイギリスの人と話していて、思いました。
日本は、アスペルガーには向いてない。




