「世のため人のため」に人を殺す社会
今回は、割と駄文めいてる駄文だ。
要は……下手っぴってことだ。
そして予約投稿が四日連続で失敗してる。
なんでだ。
前に、「いい人」の話はした(駄文ではなく日常会話で)と思うが、あれ関連だ。
社会主義ほど顕著じゃないが、資本主義だって、「どれだけ大多数の役に立てたか」という基準でお給料を貰うわけだから、ある程度「皆のために、社会のために」が原則となるわけだ。
さて、各々個々人が「社会のために」働くということは、それを通じて「自分のため」に働いている事にも他ならない。
社会が便利になると、それを自分も使ったりするときが来るだろうから、まあわかる話だよな。
だが、だ。
チャップリンがかなり上手く喩えているが、社会や、そうまでいかなくとも企業や機関が大きくなれば大きくなるほど、人一人の価値や意味というのは薄れる。
要は「取り替え可能な歯車」という感覚が強くなるわけよ。
例えば三人しかいない部活で一人が休んだらやることが結構制限されるが、百人もいる大所帯で一人が休んでも大した事ではないだろ?
それと同じようなもんだ。
それが会社とかに当てはめられると、「壊れるまで働かせて、壊れたら取り替える」という図が出来上がる。
実際産業革命直後のイギリスとかは子供の働かせ方が異常だったし、何も間違ってない。
しかしこれだと今のご時世、「ブラック企業」と叩かれて人が来なくなる。これはキツいのよ。
壊れたら取り替えられるから壊れるまで働かせるのであって、替えが無くなったらそれこそその会社や機関が成り立たなくなる。
と、いうことはだ。
この社会は、「壊れるまで働かせたい」と「壊れて人が来なくなると困る」の板挟みに遭うわけだ。
そうなると採る選択肢はだいたい三つになる。
1.壊れても知られないよう隠蔽する
2.壊れないよう調整する
3.壊れても人が来るようにする
さて、俺達が採りたい選択肢は2となるわけだが、1や3を採ってる会社もた~くさんあるよな?
そこに引っかからない為にも、お前がやるべきなのは何かをちゃんと調べておくと良い。
……悪いな、流石に俺もまだ社会人になってないし、なったとしても多分会社勤めするタイプの社会人にはならないだろうからあまり偉そうなことは言えないが……。
まあ、そんなわけだ。
結局何が言いたいかって言ったら、「死にたいやつなんていないはずなのに、人が集まって社会になった途端に人の死を許容するようになる」ということなんだよ。
社会ってのは、本当に怖い。冷酷で、無慈悲で、道徳なんてどこにもない。
その事を、社会人になる前に知っておくのは、悪いことではないぜ、というだけだな。




