宗教の不思議
二十貯まったから、ちょこちょこタルそうなテーマも入れてみることにしたよ。
興味がでたらちょいと読んでみてくれい。
宗教。
この世には三大宗教と言われる物以外にも、色々な宗教が存在してる。
だがな、話を聞いてみると、「いやいや何言ってんだんなもん有り得るわけねえだろ馬鹿か」と言いたくなるようなほら話や、「ならそれを再現してみろよ、まさか昔と比べて今は信仰心が足りないので再現できませんとか言わねえよな? 壺売りつける詐欺の常套句と同じだぜそれ?」みたいなよくわからん話がゴロゴロしてるんだよ。
じゃあなんでそんな訳のわからん宗教を信じてるやつが沢山いて、それでもこの社会が成り立ってるのか、という話になる。
正直このテーマについては俺より詳しい人はごまんといる。
それについて研究する人達がいるんだから当たり前だな。
だが、これは駄文だ。
別に俺の私見で問題はないだろ。
まず、宗教の価値で大きな物というのは、「規律」というものがある。
つまり、国の憲法とか法律とか、そんなもんを遥か越えて「いやそもそもこういうのはやっちゃダメだよね」を形作るのが宗教の役割の一つなんだよ。
殺しちゃいけませんよ、人を騙しちゃいけませんよ、みたいなのって、「そう教えられてきたから」、何も考えずに「ヒトヲコロスノワルイコト」って出来の悪いロボットみたいに何も考えなくとも出てくるんだ。
つまり「人を殺すのが当たり前」と教わればそいつは人を殺すんだよ。
そういうのを防ぐために、殺しちゃダメだよね、そう教えようねとするための宗教よ。
外国人がよく「日本人は無神論者で構成されるのに他のどの国より礼儀正しいのはどういうことなんだ」と言ったりするが、それはこの考えに基づいてる。
次に挙げるべきなのは、やっぱり「精神安定剤」だろうな。
どんな辛いことがあっても「これは神が私に与えた試練なんだ」と思ったら、「神様のために」乗り越えようとする。できる。
人ってな、「自分のために」何かできるやつってすんごい少ないの。それができるやつって滅茶苦茶心強いのよ。
だから心の弱い一般ピーポーは、基本は「自分じゃない誰かのため」に生きてるわけだ。まあお前もそうだな。
で、だ。その、誰かのための「誰か」が一人の人間だったら、そいつが死んじまったら生きる理由がなくなるだろ? ヤバいやん?
だから、いるかいないかすらわからない、だからこそ「信じている限り絶対に死なない」神のために生きるわけだよ。
だから神を信じるやつってのは、「神はいる」から全ての思考を開始する。
だから、「いやそれってどう考えてもおかしくね」というのも、「神はいる」を前提とすればなんとか話の筋道は通るわけよ。
まあ、その場合は「神ってホントにいるの?」という問には永久に答えられない訳だから、聖職者はそこら辺辛いわな。
で、「神のため」なら結構色んな無茶できんのが人間だ。「神のため」に数千人殺したり、何の罪もない女性を魔女として殺したり、路上で爆弾を体に巻き付けて自爆できるわけだ。
つまりそれくらい「他者のため」は強いのよ。
これらは、大東亜戦争の時にアメリカが日本の京都を爆撃するか悩んだときに「京都って日本の宗教施設が集まってる所でしょ? 心のよりどころじゃん、やめよやめよ」となって爆撃されなかったのが良い証拠だな。
そんな風に、宗教ってのは、今挙げたたった二つだけでも大きな効果を持ってる。だからこんなに人が集まるわけだよ。
どうしても日本にいると「宗教」を感じづらいけども、俺みたいに何かを信仰してる人間ってのは、「ああ、心の拠り所と、自分の良心の最後のタガがそこにあるんだな」、と思ってくれりゃいい。
そう思えば、「心の拠り所を否定されちゃそりゃブチ切れるよな」という考えにもなろう?
宗教を信じてるやつに、その神のことを馬鹿にしたりするなよ。
まあ、お前はそういうのないか。
……一応、他の人も読んでくださってるみたいなので、書いておきます。
感想でも、レビューでもいいのですが、もし、万が一、億が一で私に「こんな悩みがあるんだけど」というのを書いて頂いたら、それがどんな命題であれ、「妹の為になりそう」と判断したなら何が何でも回答します。時にはテーマにして長ったらしく書きます。
ただし、私はまだ十九の若輩者、人生経験は他の十九歳と比べたら豊富ですが、それでも会社勤め等もしておりません。そんな人間でも良い、と思ったなら、どうぞお書きください。妹の為になりそうなら、誠心誠意お答え致します。




