やっちゃいけないこと
妹の為にしか書いてないんだから、検索ワードなんて別にいらねぇだろ、とか思ってたら、当の妹本人が「検索できない」と言ってきました。
絶望しました。世界は闇に覆われました。
なので、これから検索用のワードを付けておきます。
小説情報、アクセス解析という物があるのを知りました。
この駄文がブックマークされてました。
驚嘆しました。同時にちょっぴり嬉しくなりました。
ついでに評価ポイントなんて物を付けてもらえていました。
文章評価は有難いのですが、ストーリー評価も三ポイントも頂けているのが凄く不思議です。
この駄文のどこに「ストーリー」があるのでしょうか。物語文ではないとあらすじに書いてあるはずなのですが……。多分ストーリー評価はそういう評価ではないということですかね。
なろう初心者にはわけがわからない物ばかりです。
で、です。これまで妹以外読んでねえだろとか思ったら、アクセス解析曰くユニークで二百、つまり百人くらいは読んでるらしいことが判明しました。(スマホとPCは同一人物として二で割ってます)
目を剥くとはまさにこの事でしょう。
妹の為に書いてたら、当の本人は検索できず、それ以外の方が沢山読んでくださり評価までしてくださっている現実……認識しないわけにはまいりません。
誠に有難う御座います、少し小説を書くことへの希望というか楽しさみたいな物が味わえたような気が致します。
ただ、少しばかりモチベーションが下がっております。理由は簡単、妹が見れてないので。
更新速度が下がってしまうかもです。
ご了承くださいませ。
お前は俺と同じアスペルガーだが、俺と大きく違う点が一つある。
自責か他責かだ。
俺は嫌なこと、腹立たしいことがあったら、即座に「まず俺は悪くないとして」という素敵な考えが念頭に置かれる。
だがお前は違う。お前は自責だ。
「なんでこんなことになってしまったんだろう、自分の何がダメだったんだろう」が念頭に来る。
相手がどんなに悪くたって、どこかでは「でも自分も悪い所があったかもしれない」という考えを捨てきれない、それがお前だ。
悪いなんて言うつもりもない、逆に素敵なことでもある。少なくとも、日本人が好むのはお前みたいな性質のヤツだ。
俺は、どうやら商人気質というか、日本なら大阪、他国ならアメリカとかそこら辺の人達と馬が合う。少なくとも東京では合わん。
さて、今回は、「お前は悪くない」と言われても、「本当かな?」と思ってしまうお前への、お薬みたいな文章だ。
俺のクズな部分の凝縮とも言える。
反論もあるだろうが、ひとまず俺の偏見だと思って読んでくれな。
妹以外の皆さん、どうかあまり引かないでくださると嬉しいです。
まず。
人とは、総じて利己的で、自分の欲を追求する生き物だ。
生まれた頃からご飯が欲しいと泣き、お母さんのお乳が欲しいと泣き、おむつの感触が嫌だと泣き、お湯に入れられるのが嫌だと泣き、気に入らないことがあると泣く。
少しばかり成長して泣かなくなっても、あれが欲しいとだだをこね、それは嫌だとだだをこね、あの子がなんだとだだをこねる。
これが人間の本能である。
それを、大人からダメだと言われたり、自分の思い通りにならないことがたくさんあったりして、段々と自分の理性で「欲を追求する」という本能を抑えることを学んでいく。
はてさて、この本質を前提において、人間関係を考察すると、面白い事実が見えてくる。
人が怒る、苛立つという状態に変化するたった一つの理由は、「自分の思い通りに物事や人が動かない」というそれだけの事だ。
どんな大層な理由だろうと、どんな複雑な過程だろうと、最終的にはこの一言に集約される。
人は自分の欲が第一だ。それを妨げられると当然「嫌な気持ち」になる。この気持ちのことを人は「苛立ち」とか「怒り」なんてカテゴライズしてるわけだ。
さて、アスペルガー関係なしに、自責の人間が辛くなるのは人間関係だ。当たり前だ。それが絡まなかったら責める対象がなくなる。
喧嘩も責任追及も討論も、二人以上いなかったら成立なんぞしない。
一人でやって一人でやらかすのを他責できるやつというのは、逆に言えば「責任を押し付けられる他者がいないと壊れる」やつだ。つまり「自分が責任を被るのが怖くて怖くてたまらない」という小心者だ。別に悪くはない。ただそういうヤツだというだけだ。
さて、話を戻すと、人間関係において、自責の人間が自責として辛くなりうるのは問題が起こったときだ。当たり前だな。
その問題が起こったときに、自責の人間が本当に辛くなるレベルに自責になる時って、大抵誰かが怒ってるんだ。お前の年齢で言えば、周りの友達とか、クラスメイトとか、先生とか、誰かしらが怒ってるんだ。それの原因の一つが自分じゃないかとお前は自責に走るんだ。
だが、だ。考えてみろ。怒る、というのは、さっき言った通り「思い通りにならない時」に出てくる感情だ。
つまり、それに対して自責になるってのは、
「その人の思い通りに私は動いていなかったんじゃないかな」なんて思って自分を責めてんだ。
友達で、ある程度その子の事も考えてあげたいな、とか思ってるならまあいいが、それ以外で、なにが悲しくて他人の思うとおりに動けなくて自分を責めなくちゃいけないんだよ。
それに、その人はお前かお前を含む事柄や人に対して「思い通りにしたくてもできなかった」から怒ってんだぞ。ならお前だって当然「お前がお前の思い通りに動く」自由だってあるだろ、どう考えても。
他責である俺が念頭に置いて生活しなきゃいけないのは、「何でもかんでも自分の思うとおりに動いてくれるわけじゃない」だが、自責のお前が念頭に置いて生活しなきゃいけないのは、「何でもかんでも他人の思うとおりに動かなきゃいけないわけじゃない」だ。これを忘れんな。
ここからクズじゃない感じの話。
さて、これを言っておいた上で、「やっちゃいけないこと」というテーマを考えようか。
人を殺してはいけません。
人の物を盗ってはいけません。
人を殴ってはいけません。
こういうのは、俺だって「やっちゃいけないこと」だと思う。理由は単純だよ。
「自分がやられたら嫌なこと」だから。
自分がやりたくても、それをされたら嫌なら、ああ、じゃあやめておこう、と思える。というかこれは思えなきゃダメだ。よくいるんだよな。代表例はレイプ犯。男だから自分は犯されないと思ってるからかは知らんが、自分が女だったとしてやられたらどんな心の傷を負うかがわからないが故にやるその心。ただの愚か者だよ。そういうヤツって大抵自分のこともきちんと考えてないんだ。てゆうか女より価値が低い男が出しゃばるもんじゃないんだよな。っと、それはさておき。
じゃあ逆に、もう死にたくて死にたくてたまらない人間が、他の人を殺したとしても「やっちゃいけないこと」として断罪されるのはなんでだ、という風に考えたくなる。
だってそうだろ。そいつにとっちゃ「死にたい」んだから、「よかれと思って」人を殺してんだ。
じゃあなんでダメなの、となったら、まあ馬鹿でもわかるわな。
「その人がそうしたいと願ってるわけじゃない」
が答えだ。
ここまで来るとな、人殺しレベルだったらまだわかるが、特に俺みたいな常識から乖離した人間からすると、細々したことだと「いやお前が嫌かどうかなんて知らねぇよ!? こっちは良かれと思ってやってんだ!」が頻発する。
つまり、だ。この場合の「やっちゃいけないこと」っていうのは、相手によってバラバラになるんだよ。
もうこうなったら対処不能だ。だって目の前のヤツがそれで喜ぶか嫌がるかがわからないんだもの。
だから、俺ができるたった一つのお前へのアドバイス。
その人が喜ぶという自信がないなら、素直~に「こうされたら嬉しい?」って訊いちゃうことだな。デリカシーとか、そんなもんは捨て置け。
デリカシーを考えて訊かずに、贈った後で嫌がられたら手遅れなんだから。
俺はこれで失敗はなくなった。その代わりお前や家族以外へのサプライズプレゼントはできなくなったが。まあ悪くないとは思ってるよ。
……一応、他の人も読んでくださってるみたいなので、書いておきます。
感想でも、レビューでもいいのですが、もし、万が一、億が一で私に「こんな悩みがあるんだけど」というのを書いて頂いたら、それがどんな命題であれ、「妹の為になりそう」と判断したなら何が何でも回答します。時にはテーマにして長ったらしく書きます。
ただし、私はまだ十八の若輩者、人生経験は他の十八歳と比べたら豊富ですが、それでも会社勤め等もしておりません。そんな人間でも良い、と思ったなら、どうぞお書きください。妹の為になりそうなら、誠心誠意お答え致します。
……多分定期的にこの文章はコピペされます。




