何のために生まれてきたのか
先に言っておくぞ?
妹よ、お前がもし「このテーマで本当に悩んだ」なら、「きちんと最後まで読め」。
わかったな?
そうじゃないなら前半くらいで読み飛ばしちまえ。
妹でない皆さんが読むなら、今回はシスコン成分配合過多です、ご注意ください。
まさか、俺の妹であるお前が、こんなありきたりで意味のないことに悩んでたり、これから悩むことはないだろうな、と思いつつも、でもやはり俺はお前と違って心を病んだことがないから、もしかしたらお前もこういうことにも悩んでしまったりするのかもしれない、ということで、保険として書いておく。
……もう一個のテーマは完全忘却した。すまん。
何のために生まれてきたのか。
これは、思春期の、少年少女前を向く、じゃない、少年少女には結構よく扱われるテーマらしい。
……いいか? つまり基本は俺らよりIQの低い人達の為に書かれた教科書の、思春期のテーマで一番最初とかに載ってる項目だぞ?
正直これに心惑わされるようなら、お前は注意力とか閃き不足が過ぎる。
でも心が病んだ時に悩んだなら……なかなか厄介なテーマであることは認めよう。
悩む、という意味で厄介なんじゃない。そこそこの失意の海に放り投げる、という意味で、病んだ状態で言うには少ししのびないという意味で厄介だ。
勿体ぶってないでさっさと言うか。
何のために生まれてきたのか。
これについては、俺は考えるまでもなかった。
答えはたった一つだ。
「何のためでもねえよ馬鹿かお前」だな。
生きる意味とか、頑張る意味とか、逆に死ぬ意味とか、頑張らない意味なんて、あるわけもない。
俺達のやることなすことは、それ一つ一つが全て無意味だ。考えるのも馬鹿らしい。
……な? キツいだろ? 「何のためにこれまでやってきたんだ」みたいな質問にはグサッと刺さるキツーい答えだ。ただ、別段、「だからお前はダメなんだ」と、けなすつもりはないんだ。
ただ純然たる事実として、何のために生まれたか、とか、何のために生きるのか、なんてのは無意味な問だ。
悩んでんなら読め、ここからはただの偏見だ。
だが、ここで覚えておいてほしい。価値は違うんだ、ということだ。けして無価値ではない。
価値ぃ? と思うなら、先に例を出しておく。
お前は、全く知らない名前も聞いたことないおっさん一人と俺が、二人で誘拐されて身代金を要求されているとしよう。
そしてなぜかお前が手持ち五百万でそれを解決しなきゃいけなくなったとする。
で、だ。「二人合わせて五百万までしか今は出せない」となってんのに、犯人の要求は「一人につき四百万ずつ寄こせ、さもなきゃ二人とも殺す」だったら。
お前はまず、俺に四百万かけようと、思ってくれる、はず、だよな、な? そうじゃなかったら俺首吊りする自信あるぞ。
じゃあ逆に、お前の立場にいるのがお前じゃなくて、その名前も顔も知らないおっさんの最愛の奥さんだったら? そう、そういうこったよ。
つまりな、価値は、人によって、状況によって、時代によって、容易に変貌しうる。
さて、話を戻そうか?
お前のとる行動にどれだけの価値を持つか、真っ先に判断するのは、誰でもないお前だよ。
何のために生まれてきたのか。何のために生きるのか。
それを、その価値を決めてくれるのは他者じゃない。他ならぬお前自身、またはそいつ自身だ。
だから俺はこの質問をされたときには『俺にとっては』「何のためでもねえよ」と言うが、『お前にとっては』となると答えが変わる。簡単だ。
「それは俺が決める事じゃない。これまでとこれからを合わせて、あるふとした瞬間、それこそ死ぬ間際とかでもいいから、『ああ、自分はこのために一生懸命生きたな』と思える物の為にお前は生まれてきて、生きてんだよ」が、まぎれもない『お前にとっての』答えだ。
要は悩むこと自体間違ってんだよ。
何の意味もなくていいじゃねぇか。自分自身で価値を見いだせたら、そこに後付けみたいに意味は勝手にでっち上げできるんだよ。人なんて。
その意味を見つけるまでお前が悩むって言うんなら、最後にこの言葉を贈って締めようか。
お前が自分で意味を見つけるまでは、俺の心の支えとなってくれてる今を全力で生きてくれ。俺のために生きてくれ。少なくとも、お前のとる全ての行動に、お前以外なら俺が一番高い価値をつけてやれるから。
……俺、うかつに死ねねえなぁ、これじゃ。




